4
大久保公園から目と鼻の先に古ぼけたラブホテルが数軒立ち並ぶ通りがある。料金は格安だけど清潔感がなくて、仕事でなければ出来るだけ避けたいホテルばかりだ。
大抵のお客さんはホテル代をけちってその安いホテルに行こうとする。でも上島さんは違った。一軒だけ綺麗でおしゃれな〈ワンダフルB&G〉というホテルがあって、料金は他のホテルより倍ぐらい高いけど、そこを毎回使ってくれるのだ。上島さんはお金持ちなのだろうか。
何度も上島さんと会っているけど、働いてる会社の業種やお給料をどれほど貰っているかなんて話しを一度もした事がなかった。持ち物やスーツはそれほど高級な物という感じもしないけれど、きっとお金があるから余裕もあって、遊び方もスマートなのかもしれない。
仕事については深く話す事のない上島さんも家族の事は明け透けに教えてくれている。奥さんがちゃんといて子供も二人いるらしい。子供二人はどちらも男の子で、中学一年生と小学四年生だそうだ。
ホテルの部屋に入るまでにする雑談はその家族に対する愚痴か、芸能ニュースが多い。でも今日は違った。
「ミズキちゃんぬいぐるみ持ってたね」
上島さんの方からミズキの話しを振ってくるのは珍しかった。
「やっぱりあれ目立ちますよね」
そういえばミズキと別れる時、上島さんは横目でちらっと何かを気にするようにぬいぐるみを見ていた気がする。
「あれ?マイナさんまだ見てない?あの動画」
私は無言で首を傾げた。何の事だか私にはさっぱり分からなかった。
「部屋着いたらさ、見せてあげるよ動画」
口元は微笑み、目は困惑している。上島さんはそんな不思議な表情をしていた。
ホテルに着き部屋に入るなり上島さんはソファーに座ると、スマホを取り出して操作を始めた。
「これこれ。見て見て。これミズキちゃんだよね」
上島さんは、前に立っている私の方へとスマホの画面を向けた。私は少し屈んで画面に顔を近づけた。どうやらティックトックの動画らしい。
その動画にはミズキが映っていた。
東宝ビル前の人通りも多い大きな通りで、ミズキは背中を丸め隠すようにぬいぐるみを抱きかかえている。少し離れてミズキの前に立っているジャージを着た男が、何やら大きな声で叫びながら早歩きでミズキに向かって行った。奪おうとしているのか、男はぬいぐるみに手を伸ばした。するとその弾みでミズキは地面に倒れこんだ。周囲の人たちがミズキに駆け寄る。するとミズキは男に向かって指をさしながら「このおじさん痴漢です!」そう叫んだ。ミズキに駆け寄っていった人たちが男に詰め寄り取り囲む。するとその隙にミズキは立ち上がり、どこかへ走って行ってしまう。そんな動画だった。その動画には『歌舞伎町の日常』というテロップが貼られていた。
「ティックトック見てたらおすすめで流れてきたんだよ。この女の子ミズキちゃんじゃんって驚いたよ」
上島さんは苦笑いしながらそう言った
私が歌舞伎町を離れている間にこんな事が起こっていたなんて。ミズキはさぞかし怖い思いをした事だろう。側にいてあげられなかったのが悔しい。
「この男なんでぬいぐるみを奪おうとしたんだろう。酔っぱらいか何かに変な絡まれ方したって事なんですかね」
私は素朴な疑問を上島さんに投げかけてみた。
「実はさ。俺、この男の人が誰だか知っててさ」
「えっ?上島さんの知り合いなんですか?」
「知り合いというか、俺が一方的に知ってるだけなんだけどね。この男の人、そこそこ有名な怪談師なんだよ」
上島さんは再びスマホを操作し始めた。そして「ほらほらこれこれ。この人」そう言ってスマホの画面をもう一度私に見せた。
青いジャージを着た男が藁人形を手に持ちながら何やら喋っている〈最恐藁人形がもたらす無限地獄〉というタイトルのユーチューブ動画だった。再生回数は五十万回を越えていた。ミズキを突き飛ばしたあの男と同一人物だと一目で分かった。
「小田ヤスオっていう怪談師なんだけどね。その人プラスワンっていうさ、東宝ビル近くのライブハウスあるじゃん?そこでやってた怪談イベントに最近出てたらしいんだ」
そんな有名な怪談師とミズキが何故あんな揉め事を起こす事になったのか。男の素性が分かった所で事態を飲み込むことは出来なかった。上島さんは畳み掛けるように話しを続ける。
「それで気になってツイッターで検索してみたの。小田ヤスオ。歌舞伎町。ってな感じで。そしたら出てきた」
また上島さんはスマホの画面を私に向けた。どこかの誰かが投稿したツイートが写し出されていた。そこにはこう書いてあった。
『歌舞伎町怪奇祭に行ってきた。小田ヤスオさんが紹介した呪いの熊のぬいぐるみがヤバかった!実際に呪いが発動する所を見てしまった!』
呪いの熊のぬいぐるみ。ミズキが持っていたぬいぐるみがその呪いの熊のぬいぐるみということなのだろうか。上島さんが言いたいのはそういうことなのか。
「もしかして悪い事しちゃったのはミズキちゃんの方かもしれないねぇ」
上島さんは誰に対して言うでもない雰囲気で小声でそう言った。
「ミズキはぬいぐるみはお客さんにもらったって言ってたんですけど……」
「うーん。でも色々と状況を整理すると……」
上島さんは腕を組んで口を尖らせると黙り込んだ。
私の胸はざわつき始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます