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「こんなかわいい、出待ちするのファンの子がいたの?小田さんも隅に置けないわねぇ」

 白椿さんが俺をからかうようにそう言った。

「いやいやいや!この子はファンでもなんでもなくて、今日初めて、たまたま会っただけで……」

 慌てふためく俺を目を丸くしながら地雷系女がじっと見つめていた。

「お兄さん有名人なの?ライブハウスの緑パーカーの人がここでイベントに出てるって教えてくれたの!だからここで終わるまでずっと待ってたんだよ!」

 出くわしてから間もないにも関わらず、甘ったるい馴れ馴れしい口調で女はそう言った。他人との距離感がいくらなんでもおかしい。最近の若いやつはみんなこうなのだろうか。


「ねぇ!くまさん!くまさん見せてよお!」

 女は強引に俺の腕からぬいぐるみを奪い取ろうとする。それを隠すように俺は女に背を向けた。後ろには一部始終をただ微笑みながら見ていた犬神と馬飼先生がいた。犬神はポケットから紙切れを取り出すとそれを俺に手渡した。居酒屋への地図だった。

「まだ続きそうなら先に自分たち居酒屋向かってますよ。用が済んだら地図見ながら来てください」

 そう言って犬神は馬飼先生と白椿さんを引き連れて歩き出した。それに俺も付いていこうとした。しかし腕を掴まれた。

「なんで見せてくれないんだよ!いじわる!」

 地雷系女がヒステリックにそう叫んだ。周囲の目がこちらに集まる。早く逃げ出したい。強引に女を振り切る。女の手が離れる。しかしすぐにまた腕を捕まれる。そんな事を五回繰り返した。女がさらにヒステリックな声を上げる。

「なんで見せてくれないんだよ!なんでだよ!なんでだよ!」

 女は肩で息をしながら地面を睨んでいた。異様な雰囲気だった。その姿に俺はうっすらと恐ろしさを感じていた。

 

 通りがかりのサラリーマン風の男が近づいてきて「なにかトラブルですか?」そう聞いてきた。助けを求めようと周囲を見渡すが、犬神も馬飼先生も白椿さんもすでに姿が見えない所まで行ってしまっていた。

 素直に俺はサラリーマンに事情を話した。

「良い歳した大人が子供相手になに意地張ってるのぉ。少しだけでも見せてあげればいいじゃない」そうサラリーマンに諭された。

 女はまだ地面を睨んでいた。

「分かった。ちょっとだけだぞ。これは俺の大事な仕事道具なんだ。それにこのぬいぐるみは呪われてるんだ。下手に扱うと恐ろしいことになるんだよ」

 俺はぬいぐるみを渋々女に差し出す。女は顔を上げそれを受け取った。ぷっくりと腫れ上がった涙袋に塗りたくられていたピンク色は涙で滲み、黒い雫が頬をつたっていた。

「呪いとかオカルトかよ。そんなのあるわけないだろ。アホらしい」

 そう言うとサラリーマンは立ち去った。

 

 女はぬいぐるみを赤ちゃんを抱くように持った。

「かわいそう。かわいいお目目を隠されちゃって。かわいそう……」

 ささやくようにつぶやいた。

「もういいかい?」

 俺は手を差し出して返すよう促した。しかし女は首を横に振った。

「だめ。だめだよ。私この子と離れたくない!」

 また女は叫び声を上げると、ぬいぐるみをぎゅっと強く両手で胸に抱きかかえた。

 俺は激しくうんざりした。

「返せよ!返せって言ってんだよ!」

 思わず大きな声が出る。

「いや!もうすぐ私、誕生日なの!だから誕生日プレゼントにこの子ちょうだい!お願い!」

「誕生日とか関係ないだろ!それになんで見ず知らずのお前に誕生日プレゼントなんかあげなきゃいけないんだよ!おかしいだろ!」

 

 気づくとスマホを持って俺たちを撮影する人たちにぐるっと囲まれていた。みんな半笑いでカメラをこちらに向けていた。

 俺は強引に女からぬいぐるみを取り戻そうとした。勢いよく女に向かっていく。ぬいぐるみに手を伸ばす。体当たりすような格好になった。弾みで女がぬいぐるみを抱えたまま飛ぶように地面に倒れこんだ。助けようと周囲の人たちが女に群がる。

 女は俺に向かって指を差しながら叫んだ。

「このおじさん痴漢です!胸触られました!しつこく付きまとってくる変態です!」


 女に群がっていた人たちが一斉に俺に向かってくる。

「何やってんだ!どういう事だ!警察呼ぶぞ!」

 そう叫びながら俺を取り囲んだ人と人の隙間から、女が立ち上がるのが見えた。

 女はぬいぐるみを抱え、暗い歌舞伎町の雑踏の中へ走って消えていった。



 

 

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