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ぬいぐるみを顔の目前で持ったまま、まるで金縛りにあったかのように体が硬直し、動かなくなってしまった。しかしそれと反比例するように、心拍数はとんでもないスピードでさらに上がっていく。
早くステージに出ていかなければいけないのにも関わらず足が一歩も前へ出ていかないし、声も出せない。
かろうじて途切れ途切れ空気が漏れるように呼吸は出来るが、このままいけば酸欠で倒れてしまうだろう。
なんとしてもステージに立たなければいけない。そんな強い意思を持っているからこそなんとかなっている。そうでなければ意識は朦朧としてすぐに倒れてしまったかもしれない。
これは凄い。凄い。凄い。凄い。とんでもない。
これはとてつもない強力な力を持った呪物だったのだ。
言い知れぬ恐怖と歓喜と興奮が同時に大爆発した。
今まさにステージに上がってこの呪物を紹介しようというタイミングで、リアルタイムにとんでもない呪いのパワーが発動したのだ。まさにライブで、観客たちに身を持ってこの呪物の恐ろしさを届けられるのだ。
呪物コレクター冥利、怪談師冥利に尽きるという物だ。
一刻も早くこの力をみんなに見せたい。しかし依然としてまったく足はピクリともしない。
「あれ小田さん?小田さん?出てこないですねぇ。どうしちゃったんですかねぇ?ちょっと失礼して楽屋確認してきますので、みなさんしばらくお待ちください」
動揺が隠しきれない声でそう話した犬神が楽屋に入ってきた。
「ちょっと小田さん!大丈夫ですか!」
犬神はマイクを持ったままだった。だからその声はマイクを通して客席にも届く。ざわめきがこちらに伝わってきた。
「小田さん!小田さん!」
犬神が肩を持って身体を揺さぶってくる。それでも金縛りは解けない。なんとか喉から漏れる少しの空気で、なんとか目の前のぬいぐるみの事を伝えようと試みるが上手くいかない。
馬飼先生と白椿さんも楽屋に駆けつけてきた。
馬飼先生が神妙な表情でゆっくりとこちらに近づき横に立つと、ぬいぐるみの頭を掴み、思い切り上に引っ張り上げた。
手の中からぬいぐるみがすり抜ける。
すると、心拍数が急失速して落ち着きを取り戻し始めた。息が思い切り吸えた。
凝り固まっていた体が柔らかみを取り戻す。肩の位置まで上げていた腕がだらりと下へ落ちた。金縛りから解放されたのだ。そして膝から崩れた。
「あー!大丈夫ですか!?」
犬神が手を差し出しながら一緒になってしゃがみこむ。
「どうしたんですか?具合悪いんですか?救急車呼びましょうか?」
そう呼び掛ける犬神に対して首を振る。
「もしかして呪物の力かい?」
ぬいぐるみを掴んだままの馬飼先生そう言った。「先生ありがとうございます。助かりました。ぬいぐるみと目を絶対に合わせないでください。金縛りにあいます」
馬飼先生は掴んでいたぬいぐるみを忌々しそうに一瞥すると、床に置き、ぬいぐるみから手を離した。
「まさか。そんな事って本当にあるんだ」
そう言う白椿さんの声は恐怖で震えていた。
「これとんでもない呪物ですよ。早くお客さんにこの事を報告しましょう!今日は伝説のライブになりますよ!」
思わず大きな声が出た。
「今あったこともステージで説明します。全てをありのまま話します。さぁ行きましょう」
床に置かれたぬいぐるみを掴み立ち上がる。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫です」
「分かった。じゃあ早速頼むよ」
心配がまだ残る声でそう言うと、犬神は俺の背中をポンと叩いた。弾かれるようにステージに向かって歩き出す。
ステージに現れた俺を見て、観客たちは静まり返った。
「この呪われた熊のぬいぐるみ。とんでもないですよみなさん!今日皆さんは伝説の目撃者です!」
右手に持ったぬいぐるみを客席に向かって突き出し叫んだ。
そして、ぬいぐるみを両手で掴み、顔の目前に持ってくる。
ぬいぐるみと目を合わせる。
(本当にしょうもない男───)
頭の中でまた声がした。
身体が再び硬直した。
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