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東宝のビルの横の路地をしばらく行くと、明るく開けた大きめの通りに出た。おそらくこの辺りに目的地があるはずだ。
どこにあるのかキョロキョロと周囲を見渡していると「小田さん!」と聞き慣れた声が自分を呼んだ。
声がする方へと視線を移すと、怪談師の犬神マサヤが手をブンブンと振っていた。
ホッと胸を撫で下ろして犬神の方へと向かっていく。
「すいません!違う会場に行っちゃって」
「もしかしてロフトに行っちゃったんですか?確かに場所近いしややこしいですよね。でも間に合って良かったですわ。安心しました」
犬神は大袈裟に溜め息をつくと、関西訛りで「良かったわぁ良かったわぁ」と何度も繰り返し言いながら猫背で歩きだしたので、それにくっ付いて行く。
雑居ビルの狭い階段を地下へ降りていくとそこが今日の会場らしかった。
有名な会場だが、ずっと大阪に住んでいたこともあって初めて足を踏み入れる会場だった。
喫茶店のような入り口のドアを開け中に入ると、今日のイベントの共演者たちが客席の中央の席に固まって座っていた。
「おはようございます!すいません遅れてしまって」
出せる限りの大きな声でフロアに入るなり頭だけで細かくお辞儀しながら謝罪した。
「あぁおはようございます。間に合って良かったね。今日はよろしくね」
真っ先に声を掛けてきたのは、貫禄のあるシックな黒いスーツを着て白い髭をたっぷりとたくわえた、ベテラン実話怪談作家の馬飼隆二先生だった。出版した実話怪談本は百冊を超える、今年還暦を迎えた実話怪談界の第一人者にして権威だ。今日のイベントの目玉出演者だ。
「先生すいません。大先輩をお待たせしちゃって」
「いいのいいの。気を遣わないでよ」
馬飼はしわがれた声でそう言うと優しい笑顔で肩をポンと叩いてくれた。彼を一番怒らせたくなかったから安心した。
「馬飼先生と小田君は大阪のイベントで一度共演してるのよね?」
そう話し掛けてきたのは、女性怪談師の白椿さんだった。
白椿さんはユーチューブのチャンネル登録者数が百万人を超える人気怪談師だ。元声優という経歴だけあって声が抜群に良く、艶やかなその声で一度でも怪談を聞くと、誰もがその魅力に取り憑かれてしまう。そんな魔力を持っている怪談師だ。
「そうそう。その時も俺の主催のイベントやったですね?」
犬神マサヤが着ているチェックシャツの腕を捲りながら白椿にそう返答した。
犬神マサヤは大阪で活躍していた元芸人の三十四歳で、今も大阪に住んでいる。
大阪と東京を忙しなく行き来しながら精力的に怪談イベントを東西各地で主催している。
怪談師としての腕も確かで、有名怪談コンテストでの優勝経験もある。
呪物コレクターとして細々とユーチューブで活動していた自分に目をつけ、怪談イベントへの出演を初めて持ち掛けてくれたのが犬神だった。
知名度も上がり、テレビ、雑誌をはじめとした各種メディアに出れるようになったのも犬神のおかげだった。
「どうなるかと思いましたが、とにかく出演者全員揃って良かったです。みなさん今日は本当によろしくお願いします」
犬神はそう切り出すと、イベントの趣旨と全体の流れの説明を始めた。打ち合わせだ。和やかだった雰囲気が引き締まった。
そこからステージに上がりマイクとモニターのチェックを済ますと、もう開場の五分前になっていた。
ステージ横の楽屋に入り、椅子に座り熊のぬいぐるみをテーブルに置く。
「それが新しく手に入れた呪物?ぬいぐるみかぁ。かわいいのにねぇ」
隣に座った白椿さんが興味深そうに熊のぬいぐるみに顔を近づけて眺めている。
その姿を見つめていると、あの地雷系女の事が脳裏に思い浮かんだ。
「なにか感じますか?」
もしかしたら女性はこの呪物から強く感じる物が何かしらあるのかもしれない。そう思い白椿さんに尋ねてみた。
白椿さんはしばらく考え込むと笑顔で「私は霊感ないからな。何も感じないな」そう言った。
「そろそろ開演なんで準備よろしくです」
犬神が顔を覗かせる。
「このくまちゃんにどんないわくがあるのか早く聞きたいな。本番楽しみにしてるね」
そう言うと白椿さんは立ち上がって、衣装の和服の崩れを直し始めた。
自分も立ち上がり熊のぬいぐるみを小脇に抱える。
「じゃあもう行きましょうか」
犬神がスタッフに合図を送ると出囃子の不穏で不気味な音楽が会場の空気をホラーに変えた。
怪談イベント〈歌舞伎町怪奇祭〉が開演だ。
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