連続殺人と死神青年(四)
「木嶋さんの時と状況が似ています。坂上さんの身に何か
才は力説しながら、尻餅をついたままの私の足から強引に靴を剥ぎ取った。ゴラアァァァ! 女性が身に着けている物を
あんたさ、オバさんは遊星からの物体Xとでも思っているかもしれないけど、まだ辛うじて女なんだよ。恥ずかしいって気持ちを持っているんだよ? これでもさ。
「才さん!」
凛とした口調で美波が才に詰め寄った。しかしそれは、奴の非礼を咎める為ではなかった。
「健也おじさんに何か遭ったって、どういう意味ですか!?」
大きな声を出されることが苦手な才は、少し怯えながら答えた。
「あの……、木嶋さんの時もこうだったから。時計のアラームだけが鳴っていて、でも人の気配が無くて……」
サアッと美波の顔が白くなった。血の気が引いたのだ。彼女は靴を履いたまま駆け出した。音が聞こえてくる方角へ。
「美波さん、駄目だよ!」
気配は感じられないが、何処かに誰かが潜んでいる可能性が有った。そんな状況で美波を一人で行かせてはいけない。才と私は手を繋いだまま駆け、律儀に靴を脱いだ聖良はやや遅れたものの、全員慌てて美波の後を追った。
伸びる廊下の奥、左手にキッチンダイニングが在った。
対面式の調理台の端に小型テレビが置かれていて、音の発信源はこれだった。
テレビは点けっ放しなのに、ダイニングテーブルに坂上健也の姿は無かった。
「おじさん、何処……?」
か細い声で呼び掛けながら、美波はキッチンスペースに足を踏み入れた。私と才も。
誰も居ない調理台のまな板には、切りかけの野菜が放置されていた。肉の塊も出しっ放しだった。たった今まで、誰かが料理をしていたかのように。
何となくメアリー・セレスト号事件を思い出した。ポルトガル沖で漂流していた一隻の船。船内には作り立ての朝食と温かいコーヒーが用意されていたが、船長夫妻を含む乗組員全員の姿が消えていたという不可解な事件だ。
後に朝食とコーヒーの件は脚色されたものだったと判明したが、今回はどうなのだろう? 坂上健也が仕掛けたドッキリだったらいいのに。私の心臓はうるさく鳴っていた。
「あっ……」
調理台の後ろに回った美波の足が止まった。対面式なので近付くまで死角だった場所に、男性が横向きに倒れていた。
おじさん、と美波は呼び掛けなかった。代わりに鼓膜をつんざく高音が彼女の口から発せられた。
「キャアァァァァァァアーッ!!」
男性は血だまりの中に倒れていたのだ。調理台の内側には
「……おじ、さん?」
美波は男性の顔を凝視した。
「健也おじさん、なの……?」
自分の記憶の中の坂上健也の面影を、美波は男性の横顔で探そうとしていた。そして不幸にも、それらは一致してしまったのだ。
「嫌っ、嫌よぉーッ!」
息をしていない男性に美波が縋り付こうとして、寸前で才に抱き止められた。
「駄目です、行っては駄目なんです!」
「でもっ、でもあれ、あれは健也おじさんなのぉぉ!!」
「だからです。現場を荒らしたら、坂上さんを殺した犯人の手掛かりが消えてしまうんです!」
殺した犯人……。
私は唾を吞み込んで、そして軽くえずいた。
「そんな、やだ、やだよぉ」
美波は何度も、動かない坂上健也に向かって腕を伸ばした。才が強引に美波の身体を引っ張ろうとするも力が足りない。私も手を貸して、なんとか彼女を調理台の外まで
「健也おじさんまで……。どうして、どうしてよぉ!!」
美波は完全に錯乱状態だった。
「聖良さん」
「は、はい」
才が後ろで立ち尽くしていた聖良に指示を出した。
「美波さんと一緒に玄関まで戻って下さい。つらいようなら、家の外に出ても構いません」
「あ、ええ、そうね、そうする……。あっ、通報しなくちゃ?」
「俺がやります。美波さんを頼みます」
「分かった……。行こう、美波ちゃん」
聖良は頭を抱える美波を伴って、廊下の奥へ去っていった。私も一緒に行きたいけど、才が許さないだろうなぁ。
指先が妙に冷たかった。美波を引っ張る力仕事をしたばかりなのに。
何が起きているんだろう。私が見ているこれは何なんだろう。
「これも……、ゴッドの仕業だと思う?」
私は警察への通報を終えた才に尋ねた。
「まだ何とも。被害者が殺害された瞬間を見た訳ではないので」
才は自分の手荷物をダイニングテーブルの上に置いて、遺体が横たわる調理台の裏へ歩を進めた。
よく近付けるものだ。木嶋友樹のアパートでもそう思った。そして、よく触れられるものだ。
才は血だまりを踏まないように注意してしゃがんで、坂上健也の首部分を指でつついた。もう私は注意をしない。才の行動は死者への
首に続いて、才は腕や背中も軽くつついた。
「……あれ?」
首を捻った才はつつくだけではなく、遺体を手の平で軽く押したり
「さ、才くん?」
彼の行動に私の肝はすっかり冷えていた。どうしてそこまで死者に対して大胆になれるのか。恐れは無いの?
才は立ち上がって、私が居るダイニングスペースに戻ってきた。何をするのかと思ったら、彼は置いたバッグから携帯電話を取り出した。通報はさっきやったのに。
「才くん、どうかしたの?」
「死後硬直と死体の体温について調べてるんです」
携帯電話を操作する才の指は素早く動いた。
「死体の状態が、木嶋友樹さんの時と違う」
才は難しい顔をして液晶画面と睨めっこしていた。
違う? 絞殺と刺殺、殺害方法が違うのだから当然では?
「死体って、冷たいってイメージが有りますよね?」
「うん」
「でも寒い場所に放置されない限りは、意外とゆっくり、死体の体温は下がっていくものなんです」
違うとは体温のことか。二人の身体にどう差異が有ったのだろう?
「死後数日の木嶋さんの身体は冷え切ってましたが、坂上さんは服を着ている部分が、まだほんのりと温かいんです」
心を読んだかのように、才は私の疑問に的確に答えた。
「えっ、じゃあ坂上さんは、殺されて間も無いってこと!?」
私は周囲を見回して警戒した。殺人犯が家の何処かにまだ隠れていたらどうしよう。
「いえ、坂上さんの顎付近が固くなってましたから、殺されてからある程度の時間は経ってます。犯人は流石に逃走したでしょう」
私は胸を撫で下した。
「ただこのサイトによると、硬直は死後二時間ほどで始まり、遅くとも半日で全身に回ると有ります。坂上さんの身体はまだ柔らかい部分が多いですから、殺害されてから二~三時間ってところでしょうか」
「二~三時間……」
ほんの数時間前までこの人は生きていたんだ。食事の準備だってしていた。今日も一日、坂上健也は生きるつもりだったんだ。
それが一瞬にして奪われた。日常を。命を。
彼は自分が今日死ぬなんて想像していなかっただろう。久し振りに会う聖良と美波の来訪を楽しみに待っていたのだろう。ああ、その為の料理だったのかもしれない。
「カナエさん、どうして泣いてるんですか?」
私の涙を見た才が不思議そうに尋ねた。
「坂上さんのファンだったんですか?」
「違う、でも……」
例え知らない相手だとしても、人は我が身に置き換えて相手の不幸を
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