ボサ男と寝癖マンと絞殺死体(四)

「ここからじゃよく判りません。もっと側に寄ってみましょう」


 遺体を前にしてもボサ男はひるんでいなかった。観察を続けるつもりの彼は遺体に近付いた。あろうことか私の腕を引っ張って。


「ちょっと、放してよ! 独りで行くのが怖いんだったらやめなさいって!」


 ボサ男は強く私の手首を握りながら、ズンズンと進んでいった。聞いちゃいねぇ。そして一点に目を留めた。


「これは何でしょう?」

「あのね、後は警察に任せて……、ん?」

「マングローブは原生林……。地球環境保護をPRする資料でしょうか? だとしたらこの、ヴィジュアル系バンドっぽい謎の人達は誰でしょう?」


 興味の対象がコロコロ変わるボサ男くんは、コタツテーブルに置かれたディスクジャケットを見ていた。たまたまソレに関する知識が有ったので、私は彼に説明して差し上げた。


「それ、昔のヒットソングCDだよ。写真の人達は演奏者。そうね、もう三十年以上前の歌だから、あなたは知らなくて当然ね」


 ボサ男の見た目は二十歳くらいだ。


「え? 歌? これCDなんですか!?」

「ああ……」


 若い世代は8センチのCDも、シングル用のコンパクトジャケットも見たことが無いのか。ジェネレーションギャップだな。


「私が若い頃はね、シングル曲はこういう小さいケースで売られていたの。棚に並べにくかったな」

「へぇ……、でも変な曲名ですね。昔はこんなのが支持されたんですか?」


 さりげなく私世代を馬鹿にしていないかい?


「当時でもこの曲名は攻め過ぎだと言われたよ。でもだからこそ、センセーショナルを巻き起こしたのかもね」

「ふぅん、こんなのがヒットしたん……」


 ピピピピピ! 至近距離で間覚まし時計の爆音が轟いた。


「ひゃあ!」


 私は飛び跳ねそうになった。心臓に悪い。

 時計はテレビ台の上に置かれていた。ボサ男が指紋を付けないように注意して、アラーム機能を解除した。


「ね、もう外に出ようよ」

「駄目ですよ、まだ死体も部屋もよく見ていません」


 そう言ってボサ男は、回り込んで遺体の顔が見える位置へ行った。若い彼はまだ人の死に関わったことが無いのだろうか? 彼には畏怖いふという感情が欠落しているように思えた。


「うん、完全に死んでますね。身体、死後硬直でカチカチだ」


 遺体の顔を見られずに目を背けている私の耳に、ボサ男が発した無遠慮な感想が届いた。どうやら彼は遺体を指でつついている模様。


「さ、触ると指紋が付くんじゃない? やめた方がいいって」

「大丈夫です。皮膚に付いた指紋は、まず検出できないそうなので」

「え、あなた、直接肌に触ってんの?」

「はい」


 事も無げによく言うものだ。どういう神経をしているんだろう。


「あの人も触ったのかな?」


 あの人とは先に入った寝癖マンのことかな?


「……かもね。部屋が暗かったから住人が眠っているのだと勘違いして、揺り起こそうとしたかもね」

「なるほど。それで冷たさと硬さを感じて、この人が死んでいるって理解したんですね。電気を点ければ一発で判ったのに」


 一発で死んでいると判る? つまり、寝顔の如き穏やかな死に顔ではなかったということ?


「苦しまれた、感じ?」

「ええ。殺されたんだから苦しかったでしょうね」

「はい!?」


 予想以上の返答をされて、私はつい、ずっと避けていた遺体の顔を直視してしまった。


「っ!!」


 事切れた男性の首には、黒い電気のコードが巻き付けられていた。コード付近の皮膚は赤黒く変色しており、相当な力が加えられたのだと訴えていた。

 そして、顔。眼球が落ちそうなくらい見開かれた目。涙と鼻血の跡。だらりとだらしなく口から垂れた舌。


「ううっ!」


 胃液がこみ上げてきた。昼食を摂っていたら確実に吐いていた。

 私はボサ男の手を振り解き、玄関まで一気に走り抜け、ドアを開けて外気に触れた。

 ああ、外には色鮮やかで美しい世界が在った。


「だ、大丈夫?」


 相変わらず腰を抜かしたままの寝癖マンが出てきた私を気遣った。先程と立場が逆転してしまっていた。私は寝癖マンが羨ましい。明かりの下でアレを見ずに済んだのだから。


 アパートの囲み塀にもたれ掛かって吐き気と戦っていた私の元に、遅れてボサ男が到着した。


「あの、靴、忘れてますよ?」


 ボサ男は私に、仕事用のくたびれたランニングシューズを差し出した。私は靴も履かずに飛び出していた。

 たくさん歩いて汗の染み付いた靴を他人に触れられた。普段なら羞恥心でいっぱいになるところだが、この時の私は無感情で靴を受け取った。他のことに気を回す余裕が無かったのだ。


「あ、僕のもお願い」


 同じく靴を履いていなかった寝癖マンが、ボサ男に自分の分も持ってくるように依頼した。玄関とはいえ、もう遺体の有る空間に入りたくなかったのだろう。気持ちは解る。

 ボサ男は寝癖マンを完全無視して、携帯電話をコートのポケットから取り出して操作を始めた。


「殺人事件です」


 それが電話に向かってのボサ男の第一声だった。続いて自分達が何処に居るか、アパートの大まかな位置を告げていた。警察に通報したのだ。

 何故ボサ男はそんなにも冷静でいられるのだろうか? 一般人が遺体を前にしたら、普通は私や寝癖マンのような反応になると思うのだけれど。

 私の普通と、彼の普通は違うのかな?

 出会った当初のオドオドした態度のボサ男。遺体に平然と触れられるボサ男。どちらが彼の本質なのだろう?

 私が事件に巻き込まれたと知ったら、夫と子供達は心配するだろうな。警察の事情聴取は一回で終わるのかな?


 遠くから聞こえてきたサイレン音をサウンドに、私は取り留めの無いことを考えていた。

 全てがまるで、夢のようで。

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