ボサ男と寝癖マンと絞殺死体(二)
寝癖マンは大きく頷いた。
「そ。時計のアラーム音。今日だけでじゃなくて昨日も一昨日も。一分間鳴って五分間スヌーズってタイプみたいだけど、それが一時間くらい続くんだよねー。外だとこの程度だけど、部屋ん中だと相当うるさいよ? このアパート壁薄いからさー」
なるほど、音が消えた。スヌーズに入ったのか。
「僕は遅番で夜働いてるワケ。だからこの時間帯は寝ていたいワケ」
聞いてもいないことを寝癖マンはつらつらと語った。きっと空気が読めないタイプの人間だ。だけれど確かに、安眠を妨害されることはつらいだろうな。
「この部屋の住人さん、目覚まし時計を解除しないまま旅行にでも行っちゃったんですかね?」
「もしくは爆睡してるかだよね。たまに居るらしいからね、目覚まし鳴っても起きられない駄目人間。隣人が在宅なら今日こそ僕、ハッキリ文句を言ってやりたいんだよ!」
「はぁ、そうですか」
何で私は空きっ腹で、ご近所トラブルの愚痴を聞かされているんだろう。おうちに帰ってご飯を食べたい。
「あ、あの、俺達仕事の途中なのでそろそろ失礼します」
なんとボサ男が話の腰を折った。モジモジとした態度は恥じらう乙女の如くだが、よくぞ申した。俺達、と複数形で言った所が特に評価できる。
私の本日分の仕事は終了しているけれど、ここはボサ男に便乗しておこう。
「そうでした、そうでした。私達は仕事に戻らないといけないんでした」
だのに寝癖マンは口を尖らせて、とんでもないことを言い出した。
「駄目だよー。キミ達も僕と一緒に、隣人に抗議するんだから」
「はいぃ!?」
私とボサ男の声が見事にハモった。
「一緒にって、私達が何故!?」
「か、関係無いよ、俺達……」
二人の抵抗を寝癖マンは一蹴した。
「僕一人じゃ怖いじゃんか」
何だコイツ。私とボサ男は自然と顔を見合わせた。しかし世界中に蔓延している新型ウィルスの対策で、仕事中もマスクをしていたので互いの表情を測ることはできなかった。ちなみに寝起きの寝癖マンはノーマスクだ。
「おーい、お隣さーん」
寝癖マンは玄関チャイムを連打した後、ノックにしては粗雑にドアを叩き始めた。
「居ないのー? 居るなら出てよー、おーい」
勝手に認定した私達という味方を得て、寝癖マンはかなり調子に乗っていた。今度はドアノブをガチャガチャ回し出した。
「ここまで騒いでも出て来ないってことは、住人さんはたぶん留守なんですよ。もうやめましょう」
「そ、そうですよ。後は大家さんに相談するなりして……」
「あれっ!?」
威勢の良かった寝癖マンが素っ頓狂な声を出した。そして玄関ドアを外側に引き開けた。
「開いてる……」
「え」
「あ」
私とボサ男も間の抜けた声を口から漏らした。
この部屋の住人は施錠せずに外出したのか? それとも中で爆睡しているのか?
どうしようという顔で寝癖マンは私達を振り返った。知らないよ。
「……お隣さーん?」
だいぶ勢いが削がれた声音で、寝癖マンは室内に呼び掛けた。人の声での反応は無かった。代わりにピピピピという、けたたましい電子音が鳴り、私達の不快感を大いに煽った。目覚まし時計、スヌーズ機能の無音五分間が終わった瞬間だった。
「もうっ!」
直に聞くと凄まじく耳障りな音だ。寝癖マンは再び激昂し、止める間も無く室内へ身体をねじ込んだ。
内側に戻りそうになったドアを見て、私は咄嗟にノブを掴んで閉まるのを防いだ。
「あの人、入っちゃったよ……」
「これって、じゅ、住居不法侵入になるんじゃ……」
私とボサ男は追随せず、共用通路に留まった。
「うるさいんだよ、目覚まし止めろよッ!」
部屋から聞こえてきたのは寝癖マンの怒鳴り声。それからしばしの間が有って、そして……
「ぶっきゃあああああ!!」
と殺される豚のような雄たけびが上がった。玄関が開放されていたのでその大声は、アパート全体を揺らしながら響き渡った。
私とボサ男は動けなかったが、二階のドアが開く音がした。平日の昼時でも、在宅の住人が他にも居たようだ。階段を降りてくる気配は無い。悲鳴らしきものを聞いたので様子を窺っているのだろう。
「ど、どうしますか?」
ボサ男が私に判断を求めた。あの悲鳴、部屋の中で何かが起きているのは確実だ。だからといって、いやだからこそ、中に入る勇気は私には無い。
「少し離れて、そこから様子をみましょう」
危険を察知したのなら、まず自分の身を安全な場所へ移すべきだと私は思う。素人が下手に首を突っ込んで、ミイラ取りがミイラになる事態は笑えない。
「ですよね!」
無気力青年に見えるボサ男が力強く同意した。だよね、自分が一番大切だよね。
だけれどすぐに、
「はふぁ、はひっはひぃイイ!!」
妙な擬音を発しながら寝癖マンが部屋から飛び出してきて、共有通路の囲み塀に激突した。そしてそのまま彼はへたり込んだ。悲鳴の主はこの男だろう。
心の底から見捨てて逃げたかったのだが、辛うじて残っていた私の良心がそれを許さなかった。ボサ男も同じだったようだ。
「ど、どうしたんですか?」
「はひはひっ、はひっ……」
寝癖マンは口をパクパク動かすものの、言葉を上手く紡げなかった。
私は部屋の中と寝癖マンを交互に見た。部屋の中は薄暗く、ここからでは見える範囲が狭く限られた。
「何が有ったんですか?」
「はふぅ、ふぅっ、ふひゃっ」
早よ喋れや。
「ひとっ、人が……」
漸く言葉らしきものが出てきた。
「人がッ、人があそこで死んでる!!」
寝癖マンの言葉は私の脳に衝撃を与えた。死んでいる?
「噓でしょう? ……ドッキリとか」
「いくら何でも、こんな不謹慎な噓を吐くもんか!」
寝癖マンの取り乱し方を見ていると、イタズラしているようには見えない。では、本当に?
ちょっと待って、急にそんなことを言われても困る。さっきまでいつも通りの日常だったんだよ?
「その人は……、あなたのお隣さん……ですか?」
「知らないよッ、隣とは交流が無かったから! でも死んでる、誰かが中で死んでるんだよ!!」
金切り声で寝癖マンは捲し立てた。バタンと、二階のドアが閉まる音がした。様子見をしていた二階の住人が自室へ引っ込んだのだろう。いいなぁ、私も安全地帯に逃げ込めたらなぁ。
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