第69話 新事実

 え? と聞き返したが、彼女は机に置いていたイヤーカフをこちらに差し出す。


「で、ですが、これは……」


 テオドールの形見だ。遺族が持っておくべきだろう。首を振って断ろうとしたララの手を、マリッサが包み込む。しっかりとイヤーカフを握らされた。


「あの子も、その方が喜ぶと思うの」


 母親の勘ってやつね、と笑った彼女の顔がテオドールと重なって、急に涙が溢れそうになる。

 顔を伏せて目をつぶる。ララはイヤーカフを包んだ両手を、祈るように顔の前に持ち上げた。


「……ありがとう、ございます」


 自分の元に、彼との繋がりが残る。思い出だけで充分だったはずなのに、一度受け取ってしまったら、もう手放せそうにない。

 いつからこんなに、欲深くなってしまったのだろう。


 ララはイヤーカフを丁寧に片付けた。その後三十分ほどマリッサと話し、捜査局に帰ることにした。


「本日はありがとうございました。お会いできて嬉しかったです」

「私もよ。テオの話をするのは辛いだけかと思っていたけど、とても楽しかったわ。知らなかったあの子を知れた気がして。……これで私も、神の元に送る覚悟ができそうだわ」


 公爵家の門の手前まで来たところで、マリッサが足を止めた。


「また来てくださる? テオの秘蔵話を用意しておくから」

 

 なんと嬉しいお誘いだろう。喜んで、と返し、頭を下げる。彼女とならいくらでも話ができそうだ。

 次回はテオドールと出会った時の話をしよう。悲しい記憶ではなく、幸せな思い出として。そんなことを考えながらマリッサに背を向ける。


 門に向かって歩き出したララだったが、五秒も経たぬ内に呼び止められた。

 どうしたのだろうかと振り向くと、何かを言いたげな表情のマリッサと目が合った。


「……医療棟を安眠の間で覆うまでは、全てをお話しするわけにはいかないのだけれど」


 そこで彼女は言葉を区切った。苦しそうに眉を寄せる。何度か深呼吸を繰り返し、やがて決意を固めたように口を開いた。


「あの日、テオはね――」


 続けられた言葉を聞いて、ララはテオドールの元に急いだ。








「へえ。俺は腹部を刺されていて、おまけに塩水で全身びしょ濡れだったと」


 帰りの馬車に揺られながら、テオドールが確認してきた。ララは激しく頷く。そうなのだ、新事実だ。


「よく聞き出せたな」

「と、問い詰めたりしていませんからね?」

「そんな心配はしてない。君を気に入って話したくなったんだろ。刺殺となると、ある程度犯人像を絞れそうだが……塩水ってことは海に落とされたのか、飛び込んだのか。……なんだ、浮かない顔だな」


 この状況でにっこりできる人間がいるのなら会ってたいものだ。ジットリとした目でテオドールを見る。


「好きな人が刺されたと知って、泣かなかった私を褒めていただきたいのですが」

「ん? 耳の調子が悪いみたいだ。もう一回好きな人って言ってくれ」

「ふざけてる場合ですか」

「大事なことだろ?」

「言ったら、どうなるのですか」

「俺の気分が良くなる」

「くっ、……す……」

「す?」

「……好き、です」

「俺は愛している」

「……もうぅ」


 緊張感のない会話に力が抜け、背もたれに倒れ込んだ。無邪気に肩を揺らすテオドールに腹が立つ。熱くなってしまう自分の顔にも、腹が立つ。ときめいている場合ではないのに。


「……頭の中で、何かが引っかかっているんです」

「死因についてか?」

「いえ。あなたが亡くなるくらいですから、それなりの理由だと覚悟はしていました。この事実が公になれば、国民は大騒ぎでしょうけど」

「そうか?」

「だって捜査官以外は、あなたが亡くなったという情報しか聞かされていないのですよ? 普通誰かの訃報を聞いて、真っ先に『あー、あの人、殺されたんだなぁ』とは考えません」


 大々的に捜査を行っているのであれば、事件だと勘付く者もいるだろう。だが、今回はグラント公爵家によって捜査を止められている。

 テオドールは亡くなったが、捜査はしていない。つまり国民は、事件性のない事故や病気を疑うはずだ。


「ですから、他殺だと聞いて驚かない人がいれば、それは……あれ?」


 そうだ。捜査官とテオドールの家族以外にテオドールの死因を知っている者がいれば、この事件の重要参考人だ。

 理解した途端、ある人物の言葉が妙に鮮明に思い出された。背もたれからガバッと起き上がり、袖口についているカフスボタンを操作する。


「どうした」

「ちょっと、見ていただきたいものが……」


 宙に映し出されたのは、初めての巡回で立ち寄ったルーウェンの景色だった。空を記録するマックス。輝く海面。港を出発する船。違う、もっと後だ。

 ピ、ピ、ピ、ピ。

 映像を早送りしていく。


 ザザッと映像が乱れた後、倉庫街の記録に変わった。カルマンとの遭遇を回避しようとするララの声。あの時はカルマンに気を取られていて、の不自然な言葉に気が付かなかった。


『イーサン卿は、グラント卿と面識が?』

『いえ。直接お会いしたことはありませんが、ご活躍は風の噂で。それゆえに残念です。この国は大きなものを失った』


 ここです、と、ララはテオドールに目くばせをする。

 映像の中のイーサンが、視線を落としている。ララと二人で倉庫の外を歩いていた時の記録だ。


『――あの方は死さえも覚悟されていたでしょう。功績を残す方というのは、それだけ多くの想いを背負うものですから。期待だけでなく、恨みや妬みなんかも』


 イーサンに『あの方』と呼ばれたテオドールの眉が、ぴくりと動いた。同じ部分に引っかかったらしい。

 ララは記録を一時停止させる。勘違いかもしれない。考えすぎかもしれない。だが――、


「この言い方、……あなたの死因が他殺だと、知っているように聞こえませんか」

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