第60話 夜会と呪われた令嬢(4)

 ララが笑いかけると、少女は目を見開いて頬を上気させた。シアーズ侯爵と夫人も、驚いたような表情でこちらを見る。

 少女は両手を体の前でもじもじと動かした後、恥ずかしそうに名乗った。


「……アンジー。アンジー・シアーズ、です」

「アンジー様ですか。素敵なお名前ですね」


 霊の正体はアンジー・シアーズ侯爵令嬢。シアーズ侯爵家の一人娘だ。

 公表されていない名をララが呼ぶと、夫人はアンジーが立つ場所を見つめる。


「……本当に、アンジーが?」

「いらっしゃいます。容姿や服装に心当たりは」

「間違いなくアンジーです。でも、どうして? あの子は元気なはず……あれ?」


 夫人は焦ったように視線をさまよわせる。侯爵も同じ反応だった。


「ケイト。最後にアンジーと話したのはいつだ?」

「……分からないわ。あの子に泣いているところを見せたくなくて。……あなたは覚えてる?」

「いや……」


 そうだろうと思った。

 アンジーが心細そうに夫人たちを見る。ララはアンジーの頬に手を伸ばした。サーシャの時と同じだ。触れられないが、触れているつもりで撫でる。


「アンジー様は、寂しくなってしまったのですね」


 侯爵と夫人は、神の元に帰った子供のことで頭がいっぱいだった。悲しみに打ちひしがれていた。優しさゆえの反応であり、間違えていない。しかしその優しさが、愛娘を孤独にさせた。

 アンジーは頬を撫でるララの手に、自分の小さな手を重ねる。


「アンジーがね、……男の子だったらよかったの」


 ああ、こんなことを言わせてしまうだなんて。

 違うよと伝えたくて、ララは首を振る。だがアンジーの気持ちは痛いほど分かる。男兄弟……家の後継がいないララも、何度も同じことを考えてきたから。

 この少女は、テオドールに救われる前の自分と似ている。


「男の子でなくとも、あなたは愛されていますよ」

「でも、お父さまもお母さまも、アンジーを忘れちゃったの。いらない子みたいに。お母さまはずっと泣いてて、お母さまを見てるお父さまも悲しそう」

「アンジー様はお二人が心配になって、慰めようと頑張ったのですね」

「夜いい子に眠ったらね、お母さまの所に来れるの」


 アンジーは両親のために生霊になった。そばにいようとしたのだ。深い悲しみから抜け出してほしくて、自分の存在を思い出してほしくて、音を立てたり、物を動かしたりしたのだろう。

 ララはアンジーの方を見たまま、侯爵と夫人に話しかけた。


「……私は子供を授かったことがありませんので、お二人の苦しみを完全に理解することはできません。我が子を想う親の気持ちは分かりません。……ですが、親を想う子の気持ちは、分かるつもりです」


 ララは自分の両親を思い浮かべる。

 二人が泣いていたら、自分は苦しい。苦しかった。息ができなくなるほどに。


「子供は大好きな家族に、いつだって笑っていてほしいのです」


 幸せであってほしいのだ。愛する人に。


「お二人の心に空いた穴は、そう簡単に埋まるものではないでしょう。神の元に帰った命を想い続けることは、何も悪いことではありません。……ですがどうか、そばにいる命も奇跡のような存在だと、思い出していただけないでしょうか」


 今当然のように隣にいても、それは決して、永遠ではない。ないがしろにして良い理由にはならない。


 夫人の元に現れたアンジーの霊は、少女の心そのものだ。少女は両親への愛を、不器用ながら伝えようとした。どうか二人には、この愛を知ってほしい。

 ララはアンジーに微笑みかけ、夫人と侯爵に視線を向ける。

 目が合った夫人が涙をこぼしたが、心は痛まなかった。涙が負の感情ではないと思ったから。


 夫人は本来気丈な性格なのか、目元をぐいっと拭った。そしてララの隣にしゃがみ込む。


「私は恨まれていたのではなくて、愛されていたのね」

「そう思います」


 ララが頷くと、夫人は今日初めての笑顔を見せた。


「私の可愛いアンジー。寂しい想いをさせてごめんなさい。格好悪い母でごめんなさい。でもね、あなたが私のお腹の中にいた時から、あなたは私とジェイクの宝物よ。何があっても、それだけは変わらないわ」


 はっきりと自分の気持ちを伝える姿は、とても強くて、格好良かった。アンジーは立ち尽くしたままぽろぽろと涙を流し、夫人を見つめる。


「本当は今すぐあなたを抱きしめに行きたいけど、体は眠っている時間よね。明日の朝、必ずジェイクと一緒に会いに行くわ。だから今日は、ゆっくりおやすみ」


 夫人が小指を出すと、アンジーは自分の小指を絡めた。二人の小指が繋がれている様子は、ララにしか見えない。だが直感した。

 この親子なら、心配いらない。


「……やくそく」


 幸せそうに頬を緩めたアンジーの体が透けていく。少女は最後、ララに向かって手を振った。


「ララさま、ありがとう」









 夫人と別れたララは、来た時と同様、シアーズ侯爵の後ろに続いて廊下を進む。


(……よく考えたら私、侯爵に歯向かったのよね)


 彼の依頼を無視したことを思い出し、こめかみを押さえる。

 自分の選択に後悔はしていないが、侯爵からの依頼内容を夫人に喋ったのはまずかったかもしれない。後で喧嘩になっては困るし、早めに謝っておこう。


 侯爵に話しかけるタイミングを見計らっていると、大広間に戻ってきてしまった。

 なぜだか分からないが、入場した時とは違う視線を感じる。会話に花を咲かせていたであろう令息たちも、壁際で退屈そうにグラスを煽っていた令嬢も、踊る男女も、皆あんぐりと口を開けてこちらを見る。


「何かあったのでしょうか?」


 半分ひとり言のつもりだったのだが、声に反応して侯爵が振り向いた。


「驚くなという方が、無理だろうな」


 彼の視線を追って自分の手元を見ると、握ったヴェールがふわりと空気を含んだ。ララは飛び跳ねそうな勢いで目を剥く。


「……ああっ!」


 しまった。アンジーの前で外したまま、被り直すのを忘れていた。大慌てで俯き、ヴェールを被ろうとする。しかしその手を侯爵に止められた。

 

「これを被るのはもうやめなさい。下を向く必要もない」

 

 ヴェールを取り上げられ、ララはひどく狼狽える。


「ちょ、え、ちょ、それがなくては」

「アンジーには普通に笑いかけていただろう」

「あ、あれは例外でして。ご存じだと思いますが、貴族が集まる場では顔を隠しているのです。ヴェールを外したせいで、みなさまも驚いていらっしゃいますし」

「私には妻と娘がいるからこのようなことは言いたくないのだが、皆が驚いているのは、君が美しいからだ」

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