第6話 サレ妻、断る。

「ようこそ、ハナ様。お待ちしておりましたわ」


 王都の中心に建つグレイヴス侯爵邸を訪れたハナを出迎えたのはグレイヴス侯爵家令嬢、アデレード・グレイヴスだった。ヒマワリのように鮮やかな金髪と深紅の瞳に、瞳の色と同じ深紅のドレスが凛として良く似合う。

 グレイヴス侯爵家の領地では縫製業が盛んで、特にアデレードがデザインしたドレスは社交界でも大人気だ。今回、ハナが着る予定のウェディングドレスもアデレードにデザインをお願いした。

 一階にある事務所代わりの部屋に通されたハナは美しい装飾が施されたソファに腰かけた。お茶を運んできた侍女が部屋を出て行くのを待ってアデレードも対面に腰かける。


「急にお呼び出ししてしまってもうしわけありません。でも、ハナ様に直接会ってお聞きしたいことがあったものですから」


 背筋を伸ばして話すアデレードの表情は険しい。不愉快なことでもあったのだろう。眉間には深いしわが刻まれている。社交界の華とうたわれるアデレードにはふさわしくない表情だ。


「先日、立て続けに二回、トンプソン男爵家のご子息がこの事務所を訪れました」


「レオが、ですか」


「えぇ、あなたの婚約者であるはずのレオ・トンプソンが」


 格下の家柄とは言え客として来たのだろうレオをアデレードはさらりと呼び捨てにした。アデレードの険しい表情の理由は間違いなくレオだ。一体、何をやらかしたのだろう。ハナは早速、頭が痛くなってくるのを感じた。


「レオ・トンプソンは女性を連れていらっしゃいました。しかも、二回とも違う女性です。一人はフランシス侯爵家のレナ・フランシス嬢。一人は豪商グリフィス家のカレン・グリフィス嬢。ハナ様も名前と顔くらいはご存知なんじゃないかしら」


「……はい」


 うなずきながらハナは額を押さえた。レナとカレンに二股がバレないように協力しろと言っておきながら堂々と連れ歩いているとはどういうことだろうか。それも同じ店に立て続けに連れて来るなんて。


「そのご様子だとあの男が言うようにハナ様はあの男と女たちの関係をご存知なのですね」


 ハナの表情を見てアデレードは深々とため息をついた。


「彼らは……そんな話までアデレード様にしたんですか」


「えぇ、恥ずかしげもなく堂々と。あまりに品も常識もなく人前でイチャイチャベタベタするものですから、ちょっとにらみつけてやったんです。そうしたらあの男、何を勘違いしたのか妻になるハナ様は了承しているから問題ないと言いやがりまして」


「……そうですか。って、い、言いやが……!?」


「あら、失礼。淑女らしからぬ言葉遣いでしたわね。わたくしとしたことがはしたない」


 頬に手を当ててホホッと笑いながら、しかし、アデレードの目は怒りに釣り上がっていく。


「でもね、ハナ様。わたくしが淑女らしからぬ言葉遣いになってしまうのも仕方のないことだと思うんです。だってあの男、二回ともウェディングドレスの注文をしに来たんですよ。ハナ様との結婚が控えているというのに。わたくしがデザインしたウェディングドレスをハナ様が着ると知っているはずなのに」


 アデレードがデザインするドレスは国中の女性の憧れだ。レナとカレンに結婚式をやりたい、アデレードがデザインしたウェディングドレスを着たいとせがまれて安請け合いしたのだろう。

 怜央は花奈のことを軽んじていた。前世の魂今世まで。アデレードからハナの耳に話が入ったところで困らないとレオは思っているのだ。

 それに――。


「しかも、あの男。〝この店は客の情報を漏らしたりなんてしないだろ〟とまで言いやがったんです」


 そういうことなのだ。

 アデレードがデザインしたドレスを購入するのは貴族や金持ちの商人、彼らの妻や娘、側室や愛人だ。グレイヴス侯爵邸の奥深くにある個室で個別に接客するのも誰が誰と店を訪れたか、誰が誰にドレスを贈るために店を訪れたかを知られないようにするため。


「あの男の言うとおりです」


 だから、アデレードは悔し気に爪を噛んで言うのだ。


「お客様の情報をもらしたとなれば店の信用問題に関わります」


 この店の信用はグレイヴス侯爵家の領地で暮らす領民たちの生活にも関わってくる。


「例え、相手が結婚前から複数の愛人を囲うようなクズが相手でもこの店を守る者として、領主の娘として、情報を漏らすわけにはいかない。あの男はそれをわかった上で開き直ったんです。あの女も、いっしょになって笑っていたんです」


 その時、レオの隣にいたのがレナなのかカレンなのかはわからない。どちらにしろレオをたしなめることもせず、お客様は神様気分でアデレードを見下して笑っていたのだろう。

 生まれてくる子供たちのために仕事を辞めて勉強しろ、ノエルを捨てろと花奈に言ったときのように。玲奈と加恋の言葉を後押しするように何か言う怜央の隣で浮かべていたのと同じように笑っていたのだろう。

 めまいを覚えてハナは額を押さえてうつむいた。


「重ね重ね大変な失礼を……本当に……」


「でもね、ハナ様。ハナ様が望むのでしたらわたくしは黙らないつもりです」


 もうしわけありません、と口にしようとするハナをさえぎってアデレードはきっぱりと言った。


「あなたがないがしろにされているとわかっていて黙っているなんてわたくしの信用問題に関わるのです。淑女としての、信用問題に」


 社交界という綺麗ごとと建前の世界で微笑む者同士。親しくしてはいても友人や、まして親友などと呼べるような関係ではない。でも、いずれは家のため、領地のために政略結婚をする者同士。

 そして――。


社交界この世界を生きていく者同士。わたくしはハナ様を戦友だと思っていますもの」


 ハナの目を真っ直ぐに見つめてアデレードはにこりと微笑んだ。


「ハナ様の結婚が政略結婚だということは存じ上げております。でも、あなたが不幸になることをあなたのお父様も、ご家族の誰も望んでいないはずです」


「アデレード様……」


「婚約破棄したという傷は残りますが、そもそもあの男の不義が原因です。ハナ様ならすぐに良い縁談が決まります。トンプソン男爵家に慰謝料を請求すればお父様へのご負担も領民の不安も軽くなるはずです。ですから……!」


「アデレード様」


 アデレードの言葉を手で制してハナはゆるゆると首を横に振った。


「ご心配いただきありがとうございます。でも、お気持ちだけで十分です」


 次の良い縁談も慰謝料も賭けになってしまう。家族や領民に迷惑をかけるわけにはいかない。それにアデレードがレオとレナ、カレンの関係を漏らしたと社交界で噂になればアデレードにもグレイヴス侯爵家の領民にも迷惑をかけることになる。

 ハナ個人のことでそこまでの迷惑をかけるわけにはいかない。


「アデレード様、わたくしは大丈夫です」


 それに〝聖獣の側室〟の試験に合格できれば家族にもアデレードにも迷惑も心配もかけないで解決できる。もし、不合格だったとしても〝白い結婚〟にすると決めてレオやレナ、カレンと距離を取ればいい。〝白い結婚〟にできなかったとしてもハナ一人が我慢すれば済む話だ。

 家族にも領民にも、アデレードにもグレイヴス侯爵家の領民にも……誰にも迷惑をかけないで済む。


「それに貴族の娘として生まれたのなら愛のない結婚も、夫が側室の一人や二人作るのも珍しいことではないですから」


 初めての顔を合わせる婚約者に〝この二人を側室に迎えようと思ってる〟なんて宣言したり、その婚約者に側室の存在を認めさせた上で二股を隠すのに協力しろだなんて図々しいことを言うなんてことは珍しいだろうけれど。


「……大丈夫です」


 静かに微笑むハナの真意を探るようにアデレードはじっと見つめた。人形のように整った微笑みを浮かべるハナにため息を一つ。


「ハナ様がそういうのでしたら」


 アデレードはそう言ってうつむいたあと、窓際に置かれたマネキンに――正確にはマネキンが着ているウェディングドレスに顔を向けた。ハナが結婚式で着る予定のドレスだ。

 アデレードがデザインしたドレスにしては華やかさはずいぶんと抑えられている。祖母や曾祖母の時代に流行った〝清楚で貞淑な花嫁〟を体現するような古めかしいシルエットのドレスだ。


「伝統的なデザインで、とクラシックスタイルを選ばれましたけどハナ様ならどんなドレスでも似合うと思いますよ」


 王家の遠縁で血筋だけは良いけれど貧乏なバデル公爵家現当主の末の娘と。

 一代で成り上がり金で爵位を買ったトンプソン男爵家現当主の嫡男と。


 この政略結婚でトンプソン男爵家がバデル公爵家に求める〝格式ある高貴な血筋〟に相応しい伝統的なデザインをとドレスを選んだ。

 でも、アデレードは別のデザインを薦めていた。最近、流行りの体のラインがはっきりわかるドレスだ。ハナなら上品に着こなせる。そう言って何度も薦めてきた。

 きっとその話を蒸し返しているのだろう。そう思って苦笑いしかけたハナだったけど、アデレードの真紅の瞳に見つめられて笑みを引っ込めた。


「背筋を伸ばせばどんなドレスだってお似合いになります。だって、ハナ様は素敵ですから。あなた自身が思っているよりもきっと、ずっと」

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