第189話 いよいよ空手大会だ!

 その週、さくらはそわそわしているように見えた。というのもこの週末はついに県の空手大会だからである。雫はそっとしておくのがいいかと思う。また、お陰で榊のことで思い悩むことはないらしいのでその点はいいことかと思う。


 もちろん雫は応援に行く気満々なので、どうやって行こうか静流に相談する。MAPで確認すると会場になっている流山の運動公園まで20キロないらしい。つまり、ポタリングにちょうどいい距離だ。


「さくらちゃんたちは体力温存で電車なんだろうけど、お天気なら僕らは自転車だね」


 ここからだと西船橋乗り換えで武蔵野線、南流山でつくばエクスプレス乗り換えで駅前になる。参加する側は電車一択だろうが、応援する側は別に自転車でも問題ない。


「美月ちゃんはどうするのかな。聞いておいてね」


「たぶん、一緒に来てくれる」


「悠紀くんはどうするんだろう」


「お姉さんの応援に行く年齢じゃないよね」


「そうだね。じゃあ3人だ」


「羽海ちゃんが嗅ぎつけたらどうする?」


「いや、誘わないと怒られるから話はする。けど特定児童の応援には行けないんじゃないかな。遊びじゃないし」


「確かに」


 案の定、羽海に連絡すると残念がっていたが応援は諦めた。


 結局、3人での応援となった。朝9時に間に合うようにすると時間の余裕をみて7時スタートだ。お弁当を作る余裕はたっぷりあるスタート時間である。


 幸い、当日の天気予報は降水確率10%で、いいポタリング日和になりそうだった。朝から晴れ渡り、雫と静流は美月の分もお弁当を作り、準備を整える。お弁当はもはや定番になりつつあるごんじゅうである。また、万が一に備えて輪行もできるようにしておく。


 美月との集合場所の馬頭観音前に行くと、ほぼ同時に美月も来た。例によって蒼の野球帽を被っているところがいじらしい。


「おはよう」


 朝なので小声で美月にあいさつする。


「おはようございます。ついに決戦の日ですね」


「ゆうきちゃんに当たるまで負けないといいんだけど」


「その心配は無用ですわ!」


 美月はゆうきとさくらの決戦を楽しみにしているようだった。


「美月ちゃん、おばあちゃん家、満喫させていただきました」


「猫ちゃんしか楽しみがないところへわざわざ。でも静流さんには楽しかったでしょ?」


「うん。印西は自転車でも行ける距離だし、探索しがいがありそう」


「置いていくなよな!」


「じゃあ、今日、ヘタレないように走れないと」


「片道20キロだろ。楽勝だ」


「ならいいんだけど」


「ならいいんですけれど」


 なお、美月がヘタレた場合、美月パパがレスキューに来てくれる約束なので安心だ。


 江戸川河川敷に出て、サイクリングロードを北へ走っていく。江戸川サイクリングロードは整備されているので、走るのが苦にならない。左手に江戸川の流れを見ながら、ゆっくり進む。サイクルコンピューターは平均して時速20キロを示している。踏む側と逆の脚を意識して上げてくるくる回す。それだけで小学5年生の女子でも20キロ巡航はできる。


 大勢のロードバイク乗りに抜かされながら、それを気にせず、3人は走って行く。松戸まではすぐだ。右手に松戸駅前の丸い最上階の建物が見えるようになると松戸駅前が近いと分かる。


「松戸と言えば大関琴櫻と那須川天心くん」


 走りながら静流が松戸出身の有名人を挙げる。2人とも雫は名前だけは知っている。


 松戸を通り過ぎ、河川敷のサッカー場や野球グラウンドを左手の眼下に眺めつつ、3人はゆっくり進む。つくばエクスプレスの河川橋の下をくぐり、JR武蔵野線の河川橋もくぐり、すぐ町中に降りた。幹線道路を少し進むと、もう流山の総合体育館に到着だ。


 まだ9時にもなっていない。さくらたちが到着した頃だろうか。


「楽勝だったね」


「ペースを掴めれば20キロくらいは問題ないよ」


「自信がつきましたわ」


「それはとってもよかった」


「まだ時間があるから、ちょっと寄りたいところがあるんだけど」


 静流が言うので雫はイヤな予感しかしない。


「また神社か道祖神か?」


「ううん。調べたら蒸気機関車なんかが展示されているところがあるみたい」


「珍しいですね。静流さんが鉄オタ風の発言をするなんて」


 美月が本気で珍しそうに言う。雫は許可を出す。


「うむ。神社や遺跡でないならいいか」


 駐輪場から少し離れた公園の一角にその車両展示区画があった。柵で覆われていても近くまで寄って見ることができる。


「蒸気機関車を見るの初めてかもしんない」


「私は間違いなく初めてです」


「蒸気機関車の代名詞、D51型だね。迫力あるね」


「銀河鉄道は?」


 美月の質問に静流は即答する。


「C62」


「何でそんなこと知っているんだ!?」


「オタクの常識だと思う」


「歪んだ常識だ」


 黒い塗装の下がところどころ錆びて浮いているのではないかと思われるが、製造から100年近く経っていることを顧みれば保存状態はかなりいいと思う。大きな車輪とクランクが大迫力だ。


「もっと綺麗にして上げればいいのに」


「各地にあるSLはみんな野ざらしらしいから、それを思えばここには屋根があるし、いい保存状態だと思う」


 静流が答える。もう1台は長方形で四角な車体で、蒸気機関車ではなくガソリン起動車ということだった。流山鉄道で使われていたらしい。こちらもかなりレトロだ。もちろん窓は開けられるように作ってあるし、外板を留めるリベットも迫力だ。


「木炭ガス発生装置があったらしい」


 スマホをみながら、静流が聞いたことがない言葉を口にする。


「なんだそりゃ」


「木炭を加熱して燃焼ガスだけ取り出して、それでガソリンエンジンを回していたらしいんだ。当時、日本は第二次世界大戦中で、石油がなかったから、そういうのを実用化していたんだよ。もちろんパワーが足りないんだけど、それでバスも走らせていたんだ」


「この車両は戦争遺跡でもあるんですね」


 美月がそれを聞いた後は違った目でガソリン起動車を見る。


「そうだね。戦争遺跡は館山以来か」


 知らなければそのまま見過ごしてしまいそうなことだが、それを知り、理解できたことを雫は嬉しく思う。


 せっかくなので雫は美月と並び、ガソリン軌道車とD51の前で静流に記念写真を撮ってもらう。これで忘れることはないだろう。


 ちょっと時間を潰せた。


 体育館に戻るとエントランスでゆうきたちの道場と一緒になった。


「ゆうきちゃーん!」


「雫! 美月! 応援に来てくれたんだ!」


 ゆうきが気づき、3人でハグをし、わいわいキャッキャする。


「応援するよ!」


「大坂さんと対決するときは許してね!」


「大丈夫! わたしが勝つからさ」


 さすが空手の王子様。ゆうきは余裕である。


 そして遅れてさくらたちの道場がエントランスに入ってきた。榊ももちろんいる。


「雫! 美月! ゆうきとじゃれ合ってるなんてひどいじゃないか!」


「ゆうきさんも大切なお友達ですわ」


「いいじゃん。まだ戦うと決まったわけじゃないし」


「そうだよ。わたしとの直接対決の時はさくらを応援するって断り入れてくれたぞ」


「じゃあ許す。けど、今日は敵同士だかんな!」


 さくらはずいぶんと気が立っているようだ。それはそうだろう。負け続けのゆうきにリベンジする大チャンスなのだ。弱点だったスタミナ不足も克服し、最近、いい感じだ。ここで一矢報いずにいつ報いるんだと思っているに違いない。


 さくらは道場のみんなと一緒にアリーナの中に入っていく。


「さくらちゃん、怖っ!」


「大坂さん、ずいぶんと本気ですわね」


「それでこそ我がライバルだ」


 ゆうきはとても嬉しそうだ。ライバルと切磋琢磨したこの半年だ。その成果を確かめる絶好の機会だから、当然か。


 静流がミラーレス1眼のレンズを向け、撮影を促す。


 さくらとは撮れなかったが、ゆうきと3人で記念撮影をする。


「じゃあ、わたしも準備するから、応援よろしくね!」


「うん」


「しっかりしますわ」


「対決期待してるよ」


 静流の言葉にゆうきは苦笑いした。


「わたし、まださくらには負けませんよ。ガッカリさせてしまいますね」


 そしてゆうきは女子更衣室に入っていった。


 雫たちは受付で配っている案内を頼りに小学生女子の部が行われるエリアに近いところの観客席に陣取る。


「静流くーん。おはよう~~」


 すみれの声がして振り返ると馴染みのない女性がいた。


「うわ。すみれさんの洋装、初めて見た」


「どお? ワンピース似合ってる?」


 Vネックのグレーのワンピースにコットンの白いシャツだ。髪も結ってない。


「すみれさんも応援に来たんですね??」


 雫は首を傾げる。もしかしたら今までも応援に来ていたのかもしれないが、紹介されていなかったので知るよしもない。


「すみれさん、素敵です」


 美月がお世辞でもない様子で答える。


「静流くんはどう思う?」


「新鮮です。ドキドキします」


「いいわねえ。褒められるの。すみれ、嬉しい」


「すみれさんはさくらちゃんと一緒に来たんですか?」


「車は止めろって言われたから、そう」


 すみれは車の運転は苦手らしい。葛飾八幡宮まで行くときもおっかなびっくりだった気がする。


「さくらちゃんの空手、見てあげてくださいよ。さくらちゃん、ずっと空手に真剣だったんですから」


 すみれが静流の隣に座り、すみれは頷く。


「もちろんよ。真剣にやってくれていることが何より嬉しいの」


 そう言ってくれる母親がいることが、さくらにとってどれほど力になるかわからない。澪も放任主義で娘に責任を取らせるタイプの自由主義者だが、こうやって母親に見守られる娘のさくらが不幸せなはずがない。


「真剣、かあ」


 美月が思わせぶりに言った。


 真剣という言葉にもの思うところがある雫と美月だった。

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