第187話 燻製作りと猫と

「今日は猫カフェ気分を味わいに来たので、お構いなく」


 静流は縁側で美月祖母に声を掛ける。


「でも、お昼ご飯の注文は受け付けますよ。メニューは一品だけですけど」


「ふふ。楽しみにしています」

 

 雫はちょっと遠くからグレースの毛繕いを見ていたが、2人の会話が気になって振り返って言った。


「くつろいでいってね」


「はい」


 静流と雫は同時にそう応え、美月祖母は笑顔で家の中に戻っていった。


 11月だが、まだ暑い日が続いており、縁側を開けていてもいいような日差しだ。昨日は雨だったので少々寒いが、ガマンが必要なほどではない。


 縁側でカセットコンロでお湯を作り、コーヒーを入れる静流の隣に腰掛け、雫は周囲を観察する。防風林なのか隣の家とは木々で遮られ、正面も雑木林。ここに1軒だけ家があるような錯覚に陥る。


 美月パパは庭の真ん中で段ボールの上に一斗缶を置いて、なにやら始めていた。


「みーちゃんパパ、何してるの?」


「燻製を作るらしいよ。いろいろ本成寺さんに聞いてた」


「そんな簡単に燻製って作れるんだ?」


「ふふふ、見ていてくれたまえ。きちんと予習してきたのだ」


 美月パパは自信満々で縁側に座る2人に目を向けた。


「期待しております」


「最初から難しいものは燻さないけど」


「バーベキューと一緒に燻製もできるといいね」


「那古屋さん、コーヒー飲みます?」


「飲む!」


「いただくわ」


 中からも返事があった。当然、美月祖母も那古屋さんだった。雫は笑う。


 静流はコーヒーを2杯ドリップし、2人に手渡す。


「美味しく入ったわね」


「静流くんのコーヒー、久しぶりだな。自分の分は?」


「昨日買った、インスタントのココナッツフレーバーコーヒーにします。雫ちゃんは?」


「じゃあ、同じで」


 ストレートで飲むのは初めてだ。味は普通のコーヒー。砂糖もクリームも入れて飲む。でも別の甘い匂いがするので感覚がバグる。


「悪くない」


「悪くない」


 静流と雫が同じ感想を述べると美月祖母が笑った。


「従兄妹なのに面白い。こんなに似るのかしら」


 2人は苦笑してしまう。確かにいつも一緒にいるから似てしまうのかもしれない。


 そして美月祖母がきたからか、どこかへ行っていた2匹が戻ってきた。グレースは雫のすぐそばで香箱座りをするが、もう1匹の前髪パッツン系男子は遠巻きに立っている。


「しぐれ、ちょっとサービスしなさい」


 もう1匹はしぐれというらしい。しぐれは雫に対して警戒心を緩めようとはしない。普通の野良猫の対応だ。つーんとしている。


「撫でられるの大好きなのに」


 美月祖母が苦笑し、雫は目を細める。


「内弁慶なんですね」


「猫としては正しいと思うぞ。知らない人は信用しちゃならん」


 静流がうんうんと頷く。


「世の全ての女子小学生も同じ認識を広く持って欲しいね。物騒な世の中だから」


 美月パパは娘がきちんとその認識を持っているか心配のようだ。


「みーちゃんは大丈夫だよ。最初は静流のことも事案だ逮捕だって言っていたから」


「なら安心だ」


 グレースは雫の隣でうとうとしてくれている。とてもいい光景だ。


「静流、写真、写真!」


「雫ちゃんから写真をせがまれるなんて珍しい」


 静流はコーヒーのカップを置いてミラーレス1眼を構え、いろいろ構図を変えて撮影する。静流はだいぶ撮るのにも慣れてきたし、撮られる雫の方も慣れてきた。


 コーヒーを飲み干し、美月パパは庭の一斗缶の方に戻る。遠目で見るとどうやら金網を強力なマグネットフックで落っこちるのを止めているらしい。その調整だ。


「なるほど。穴開けてボルトで止めるアイデアはネットでみたけど、一斗缶はブリキだからこれで金網を止められるんですね」


「高さ調整もできるから、いぶし具合も変えられるし、どう。私のアイデア」


「やってみてからいいな」


 母親に指摘され、もっともだとばかりに美月パパは作業に戻る。雫は何をしているのか観察しに、美月パパの方に行く。


 一斗缶の下にはもう燻製用の木材のチップが置かれている。強力なマグネットフックが途中に1面あたり2カ所、計8コ付けられている。


「今から火を点けるよ」


 美月パパはターボジェットライターを点火し、炎をチップに当てる。少し時間がかかったがチップに火が移り、香りが立ち上る。


「これはねえ、ベタにサクラ」


「ふふ。さくらちゃんに教えてあげたい。サクラのチップで燻製を作ったよって」


「初心者だから仕上がりに期待はしないでね」


 そして美月パパは金網を一斗缶にセットし、金網の上にちくわと味卵とミックスナッツを乗せていく。


「味玉は妻に作って貰いました」


「ママさんの分も持って帰らないといけませんね」


 美月パパは雫の言葉に頷いて、一斗缶に蓋をした。


「これで2時間待つ。途中、様子は見るけど」


 まだ8時だ。昼前に余裕で完成である。


「パパさん、もうやることないんですか?」


「寝るよ、寝る。実家の庭で寝るなんて、いいじゃないか」


「ご近所が見てるからやめなさい」


「じゃあ縁側にするか」


 母親に言われて方向転換し、美月パパはロール式のアウトドアマットを車から出して、フリースブランケットを手に、縁側にごろりと横になる。


 縁側にいた猫たちが迷惑そうにして場所を変えた。


「大人は大変だなあ。疲れて」


「コーヒー飲んでも寝られるんですね」


 静流が怪訝げに聞く。


「全然平気。眠りは浅くなるけど」


 そして美月パパは寝入ってしまった。


 日曜の朝早くから動き出すと1日が長い。さて、これからどうするのがいいのか。縁側にいる静流の隣に雫は座る。


「まずはしぐれちゃんと仲良くなるかな。はい」


 静流が荷物からちゅーるを取り出した。準備がいい。


「ちゅーる、いいですよね?」


 美月祖母に聞くと、彼女はすぐに眉を上げて笑った。ちゅーるはテレビを見ない雫でもスーパーのペット用品売り場で流れているCMソングで知っている。猫のおやつだ。


「猫は人間の言葉を幾つも覚えるの。もちろんその言葉はとっても効くから。もう、あげないと落ち着かないよ」


 さっそくおやつですか、という顔をしてグレースが来て、静流が持つちゅーるの細長いパッケージにくんくんと鼻を付けた。


「はい、雫ちゃんにあげる」


 静流からちゅーるを手渡され、雫は戸惑う。グレースはちゅーるにつられて雫の隣まで来ただけでなく、膝の上に前脚を乗せてねだる。しかし声は出さない。鳴かない子らしい。


 雫がちゅーるの封を切り、少し指で押して中身を出すと、グレースが口をつけて嘗め始めた。すると警戒心を露わにしつつもしぐれもやってきた。そして雫はグレースからちゅーるを離し、しぐれの方に向ける。しぐれは恐る恐る近づくが、回り込んできたグレースが再びちゅーるを吸い始める。


「すぐには食べてくれないさ」


「でも、初回で意識付けはしたい」


 グレースに少し上げた後、また離し、ちゅーるをしぐれの方に向ける。警戒するしぐれより早く再びグレースが回り込み、ちゅーるを食べ始める。


 ちゅーるに気を取られ、しぐれは後方への警戒を怠り、静流が、がしっと捕まえる。右手をしぐれの首の辺りに当て、縁側に押しつけるようにする。そして左手で背中をなで始める。逃げようとしていても、何故かなでられるに任せるしぐれだった。


「喉鳴らし始めた」


「無理矢理はよくないと思う」


「今のうちにちゅーるを」


「おお、そうか」


 雫はしぐれの方に回り込み、ちゅーるを口元につける。押さえつけられているのにしぐれはちゅーるを少し食べ、それを確認して静流はしぐれを解放した。


 一斗缶から少しスモークの匂いが漂ってきていた。蓋をしていても完全にそのスモークを閉じ込めきれない。サクラのチップはとてもいい匂いだ。なるほど、ベーコンやハムのような匂いはこれなんだなあと分かる。


 しぐれは庭に降り、サクラの匂いに気がついたのか、そそくさと縁側に戻ってきた。猫にこの匂いはきついのだろう。


 グレースが再び雫の膝の上に前脚を乗せ、無言でちゅーるをねだった。雫は残りのちゅーるを全部グレースに食べさせた。


「ちゅーる楽しい。食べている猫を愛でるのも楽しい」


「猫カフェごっご、いかがですか」


「こっちの方が自然でいいに決まってるじゃん」


「せっかくだからメイド服を借りてくれば良かったのに。ネコ耳つけてさ」


「変な方向に話が曲がってきた」


「冗談だよ、冗談」


 静流は笑って、カセットコンロにまた火を点けた。お湯を作ってまたコーヒーを飲もうというのだ。朝ご飯は軽く済ませただけだから、お茶請けを食べても問題が無いだろう。


 静流はコーヒーを入れ、雫もご相伴する。そして持ってきた塩味のバナナチップの封を開け、2人でコーヒーと一緒に賞味する。


「ポテトチップスみたいだ。甘くなくてほっこりしてる」


「調べたんだけど、ペルー産だっていうからペルーにもバナナがあるのかと思ったんだけど、そうじゃなくてアフリカとかで主食にされているバナナの類いらしい。もともとは東南アジア原産らしいけど」


「ああ、主食にするタイプのバナナだ」


 雫もドキュメンタリー番組で見たことがある。


「くせがないからコーヒーに合うね」


「うん。こんなお菓子、普通は買わないね」


「これからもいろいろ試してみよう。せっかく日本で買えて食べられるのに、試さないのはもったいない」


「本当だね」


 急にアフリカの食生活が身近になった気がした。


「だけどね、このバナナが主食の地域では食料の保存が利かないから、富の蓄積がされにくかったって説もある。お米や小麦は蓄積できるからね。主食で経済が回らないその分、文明が発達しない説だね。でも、実際にはバナナ栽培でタロイモから作付を変えたことで、人口が増加し、文化が発達したみたいだよ」


「難しい話だな。ためるのが主食である必要はないって話だな」


「日本だって江戸時代まで米は主食でないもんな。雑穀だ。米はとりたてる税金であり、換金作物だった。白米を庶民が食べられるようになったのはここ100年だ」


「へえ」


 さすがに静流は物知りだ。


 空になったちゅーるをまだグレースがくんくんしている。


「おしまいだよ~~」


 雫は立ち上がり、ゴミ箱を探しに台所に行く。台所では美月祖母がなにやら下ごしらえをしていた。


「プラスチックごみはどこですか?」


「こっちだよ」


 雫は教えて貰ったゴミ袋にちゅーるの空き包装を捨てる。


「仲良くなれそう?」


「たぶん」


 まだ時間はある。グレースと遊んでいる内にしぐれとも仲良くなれるかもしれない。なんといっても静流と雫としぐれだ。『し』で『3文字』と共通点がある。


「じゃあ、これ貸してあげる」


 美月祖母に梱包するときに使われているプラスチック製の帯を貸してくれた。長さ

50センチほどで、先端を持つとぶらぶらする。


「グレースはこれで遊ぶのが好きだから」


「借ります!」


 そして雫は猫と遊ぶべく、縁側に戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る