第119話 火起こし体験会

 火起こし体験会の申し込みをしてから結構経つが、ようやくその日がやってきた。静流はこの手の体験型の博物館イベントを体験したことがなかったので、それこそ子どものようにわくわくしてこの日を待っていた。おそらく悠紀と大差ない精神状態だろう。


 悠紀とは考古博物館で待ち合わせ、雫と2人でクロスバイクで連れだって向かう。


「クロスバイク最高!」


 先行する雫は今日はフィットデニムパンツにTシャツと男の子のような格好をしているが、あまりにも肢体にフィットしすぎていて形のいいお尻も脚も丸見えで、肌色面積はほとんど無いのに、エッチだった。健康的なエッチなので、まあいいのだが。自転車専用レーンで後ろを走る静流はいろいろ考えてしまう。


 雫は静流がきてからの4ヶ月でずいぶん女の子らしくなった。これから急加速でより女の子らしい丸みを帯びてくるに違いない。そのとき静流がガマンできるのかどうか甚だ自信が無い。羽海はともかく直接的に誘ってくる澪と同等の脅威だ。澪とは倫理的な問題があるだけだが、雫に手を出すと犯罪だ。まだまだ待たなければならない。どれほど好かれていようと同意年齢までは御法度なのだ。


 30分も自転車を走らせることなく、静流達は考古博物館に到着する。クロスバイクを建物の壁に立てかけて、鍵を掛ける。


「クロスバイク、早いし楽だ!」


「軽いからね。タイヤが細くて抵抗も少ないから」


「ずいぶん慣れたぞ。今度、どこまで行こうか」


「そうだね。横芝かなあ」


「どこそこ? 」


「成田の東側」


「と、遠いよ」


 ここから50キロはあるだろう。


「帰りは輪行だね~。まあ1人で行ってもいいんだけど。やっぱり博物館だから」


「置いてくな~~ 行く~~」


 ひしっと雫が静流の腕にまとわりつく。暑いことこの上ないのだが、同時に幸せでもある。こんなかわいい子がこんなにも慕ってくれるのだ。僥倖というものだろう。


 考古博物館を入ったエントランスに悠紀の姿があった。


「大瀧さん。雫さん。お久しぶりです」


 悠紀はずいぶん日焼けしていた。


「焼けているねえ、やっぱり走ってたの?」


「朝夕。日焼け止めしていても毎日だと焼けますね」


「女の子に日焼けは大敵だぞ」


「僕、男だから」


 今日は男の子の格好をしているので、間違いなく男だと分かる。この前のように中性的な格好をされてしまうと、もう悠紀なのか姉のゆうきなのか静流は甚だ自信がなくなる。


「そうだった、これ」


 静流はDバッグから貸す約束していた本を取り出す。


「覚えていてくださったんですね。ありがとうございます」


「ほらこれ」


 口絵を見せる。三輪山山頂の磐座を写真で見ることができる唯一の資料だ。


「静流はまた別の子にフラグを立てる」


 不満げに雫が静流を見上げる。


「女の子の時の悠紀くんに渡してるならいざ知らず、今日はいいんじゃないの?」


「静流はかわいければ男でも女でも年下でも年上でもいける男だろ?」


「小学5年生女子がなんてことを言うんだ」


「だってホントでしょ?」


「まあまあ雫さん、大瀧さんは僕に親切にしてくれているだけなんですから」


「悠紀くんをみーちゃんが気に入ってくれれば安心だったのに。拙速だからこうなるんだよ」


「雫ちゃんは辛辣なことを言うなあ。傷口に塩を塗り込まなくてもいいじゃない」


「僕はそんなに気にしていませんよ。拙速って言われても、うん、まあ、美月さんとは仲良くなれればいいなとは思いましたが、それ以上ではないですから」


「それなら最初からそう言えばよかったんだよ」


 雫の論理も分からなくもないが、悠紀くんの気持ちも分かる。


「でもさ、こうやってまだ僕らが一緒にいるからいいじゃない?」


「よくない。静流を巡るライバルだ」


 雫は機嫌が悪い。こうやって一緒に来ているのも悠紀を警戒してのことなのかもしれない。心配性にもほどがある。


「時間を奪うって意味ではそうですね」


 悠紀は自覚があったらしい。にやりと笑った。雫が地団駄を踏む。


「悔しい。同じ趣味だとそうもなるよな。余裕だ」


「どうでもいい話はこれくらいにして、受付を済ませよう」


 吹き抜けの天井からぶら下がっている鯨の化石の下に長テーブルが出されていて、そこで受付を済ませる。今日の参加者は15名ほどだった。


「こんな楽しいイベントなのに参加する人、少ないんですね」


「『楽しい』は人それぞれだから」


 静流は悠紀にさらりと答える。それが1番平和な回答だと思うからだ。


「でもさ、お金がかからないで楽しいって思えるのってお得だよね」


 雫が言うことも分かる。


「でもそのためには勉強が必要だから。楽しいと思うためには、なんで火をおこすことがイベントになるのかを何も考えないでも理解できるくらいの知識が必要だよ」


「勉強だと思うから大変なんでしょうね?」


 悠紀が静流を見上げて聞く。


「うん。勉強より簡単で楽しいことがいっぱいあるから。楽の誘惑に耐えることが難しい」


「まったくだ」


 雫は日々、勉強以外の楽しいことに目を向けているのだが、静流が家庭教師をするから頑張っているのかもしれない。


「言えるのは、勉強して楽しいと思えることは後に必ず何かが残る。その残ったものがまた楽しいと思えるものにつながっていく。簡単に、楽にできることに後に残るものは少ない。楽しいを消費していくだけだってことだ」


「プロセスを楽しむことが大切ってことですね」


「そういうこと」


 静流が頷くと、学芸員さんが参加者を外の公園に誘導した。堀之内貝塚公園の中で火起こしというのもまた趣がある。あまりにも暑いので、イベントテントが3張、組み立てられていた。その天幕が作る日陰で火起こしをするようだった。確かに空は快晴で灼熱の中だ。風が吹いているのでまだいいが、学芸員さんは水分補給を忘れずにと繰り返していた。熱中症警戒アラートも出ていたはずだ。


 学芸員さんが説明を始める。


 使う道具は舞鑽まいきりという。長い棒に独楽のような円形のウェイトをつけ、両手で持つための棒を、長い棒が通る穴を空けて水平になるように取りつける。その水平の棒に紐をつけ、さらに長い棒に巻き付けて、水平の棒を上下させると回転するようにしておく。するとウェイトに蓄えた慣性エネルギーでスピードを維持するという仕組みだ。あとはその長い棒を回転させて摩擦熱を生じ、その摩擦熱でおがくずに火を移すのだ。手で棒を回すよりも慣性力がある分、楽なはずだった。簡単そうに見える装置だが、実際には紐の長さや強度、ウエイトのバランスなど考え、調整することが無数にありそうだ。今でも神社などで儀式に使う火はこんな装置で作られているらしい。このイベントに来る前に一応、静流も舞鑽について調べたのだが、伊勢神宮で通販しているのを見つけて、思わず笑ってしまった。


 1グループに舞鑽が1式用意され、舞鑽を受ける側の、もう何度も使われて凹み、焦げている杉の板に舞鑽の先端を当てる。


 トップバッターは悠紀になった。悠紀は懸命に水平棒を上下させ、ウェイトを回転させ、いい勢いで棒を回転させる。紐が巻き付いたり離れたりを繰り返している様はブンブン独楽に似ているかもしれない。しかし暑いこともあってかすぐにスピードが落ち、静流に交代、そして疲れる前に雫にも交代する。


「じ、地味だ」


 静流がぼやくのも分かる。3人で5、6分やったが、火どころか煙が立つ様子もない。棒の先端を当てている杉の板を見るとなんとなく熱くなっている気配があった。


「疲れる前に代わる。すぐ代わる。冷えちゃうから間を開けない」


「雫さん、交代します」


「任せた」


 手早く舞鑽を引き継ぎ、悠紀はスピードアップする。


「おお」


 いい時間が経過したからなのか、少しくすぶってきたように思われた。


 2度、交代を繰り返した頃、ようやく煙が上がってきた。


「静流! 行けるんじゃ?」


 舞鑽を使っている雫が頑張りながら聞き、静流は学芸員さんを呼んでくる。残念ながらもう少し頑張ろうと言われてしまった。


 そして悠紀にバトンタッチした頃、いい感じで煙が上がり始めた。


 そこで煙が上がっているところにおがくずを置き、そっと息を吹きかけると小さな赤いものがちらついた。炎にはなっていないが、火のタネだった。


「おおお。このままおがくずに移ってくれれば!」


 開始から20分以上が経過し、暑さもあってかなりの疲労感を覚えていた。静流がそうなのだから悠紀と雫も疲れを感じているに違いなかった。


「静流、落ち着いてな。消さないようにな」


 雫に言われるまでもない.慎重に火を移そうと静流は懸命になる。隣のグループは歓声をあげていた。どうやら火が移ったようだが、静流に目を向ける余裕はない。


 赤いちらちらしたものは息を吹きかけると少しだけ大きくなり、おがくずにも移った。第二段階に移行した。


 おがくずが少しずつ燃えながら、小さく赤く、広がり、小さくなっていく。火を消さないようおがくずを足し、息を吹きかけると煙が上がった。火が消えてしまったかと思ったが、そうではない。きちんとチロチロと燃え始めていた。


 学芸員さんがもう大丈夫、といい、おがくずをさらに乗せると炎になった。


「やったー」


「苦労したー」


「実感伴うね~」


 雫も悠紀も静流も同じように安堵した。たったの20分ちょいの時間だったが、かなり疲れてしまった。しかし1点に集中することができて、本当に楽しく火起こし体験ができたと思う。やっている最中は他のことなど考えることはなかった。普段、なにかしていてもいろいろなことを考えているものだ。料理しているときも洗濯しているときも、講義を受けているときもそうだ。自転車に乗っている時なんて他のことしか考えていないも同然だ。なのにこの火起こしは本当に一生懸命になれたし、雫とはもちろん、悠紀とも心を合わせて、仲良くなれた気がする。


 おがくずの炎をもっと大きくして、キャンプで使う焚き火台の上に乗せ、乾いた枝と枯れ葉でたき火を作る。大昔はたき火が、炉の明かりが家の中の唯一の人工の明かりだったはずだ。その明かりの中で人が集まっていたに違いない。その関係性は現代人には理解しがたいものに違いない。想像すら出来ない。ただ、この1回、火起こし体験をしただけで、ここまで考えを広げられる自分は少々、妄想過多の気があるに違いないと静流は思う。しかしその中に真実もあるに違いないとも思う。


 火起こし体験会はそのあと、達人のデモンストレーションが行われた。達人は棒1本を回すだけで、ものの2分で着火してしまった。参加者一同、苦労を実際にしただけに、これにはもう歓声を上げるしかなかった。


 また体験会に参加してくださいね、と学芸員さんがあいさつし、体験会は終了した。


 帰りは3人で自転車に乗って帰る。


 途中のスーパーでアイスを買って、外の日陰で食べながら、感想会が始まる。


「結論からいえば面白かった。何事も体験だ」


 雫は大きく頷いた。


「あの火でなにか料理したかったですね」


「縄文クッキー?」


「いいですねえ!」


「また2人だけで会話を始める!」


 雫はすぐにお冠になる。歴オタ知識が違うのだから仕方の無いことだが、やはり悠紀と静流の間で通じるネタも雫には難しいものがあるのだ。


「じゃあ、これから縄文クッキーと思われる何かを作ろうか」


「え、本当ですか?」


「静流、説明してよ、説明」


「縄文クッキーの説明は作りながらするね」


 そして3人は縄文クッキーもどきを作るべく、帰路を急いだのだった。

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