第57話 初詣、そしてまたひとまずのお別れ
途中で目を覚ますことがなかったのか、雫が布団の中に潜り込んでくることはなく、安堵したのが半分、少し残念で、あとはよく分からない感情が静流の中にあった。犯罪を犯さないためにはこの方がいいに決まっているが、朝起きたときに彼女のぬくもりと匂いがないことを寂しく思っている自分がいるのだ。
大きくなるまで彼女が自分のことを好きでいてくれることを願うしかない。もし彼女が心変わりしたときのダメージを思うとやりきれない。貴重な青春時代をどれほどか無駄に過ごすことになる気がした。
だが、それは傲慢だ、と静流は思い直す。彼女が心変わりしてもこの経験は静流の中に宝物として残る。無駄になると言うよりはこの思い出が、次の恋愛の妨げになるだろうなとは思う。こんなにも自分が好かれることはもう人生で2度とない気がする。
下の階に降りると誰もいなかった。母屋にいるらしい。母屋の居間では、大人たちは朝から酒を飲んでいた。寝たのだろうかと思いつつ新年の挨拶をするとお年玉が貰えた。ありがたいことだ。
雫を起こしに戻ると雫は既に起き出してていて、着替えている最中だった。
「あけましておめでとう」
あっけらかんと雫は言うが、彼女は背中を向けているが、上半身は裸だ。背中が丸見えで、ジュニアブラを着けているところだった。ジュニアブラをつけると雫は振り返り、笑顔になった。
「どうしたの」
「ごめん。着替えてるところだったんだ」
「でも裸は見てないでしょ。背中向けてたし」
でも今は正面を向いてジュニアブラを見せているところだ。
「あ、あけましておめでとう」
そして静流はしずしずと部屋を出た。
「もう着替え終わったよ」
それを信じて部屋に入ると雫はもう外出着に着替え終えていた。
「変な静流」
「変なことはないよ」
「静流ならいつだって見たければ見ていいんだよ。まあ、子どもの身体だからそんなでもないかもだけど。前は大きくなってくれてたよね」
雫はイタズラっぽく笑う。
「だって女の子だから」
「そう言ってくれるのが嬉しい」
雫は笑顔になる。新年早々、ラッキースケベを起こしてしまったが、もう開き直るしかない。
「初詣に行こう。大人はお酒を飲んでいるから昨日のようにあてにはならないけど」
「うん。行きたい」
「じゃあ、僕も着替えるよ」
静流は服の準備を始めるが、雫が動き出す気配はない。
「着替えるんだけど」
「別に、見てもいいよね」
「――いいよ」
静流は雫が見守る中、外出着に着替える。見たのだから見せるのも仕方ないかと思う。何が面白いのか分からないが、雫は満足げだった。
祖母が作ってくれたお雑煮を食べて、雫はお年玉を受け取り、初詣に出かける。
今年の初詣は安房神社に決めていた。安房神社は大変、歴史が深い神社で、記録によると1300年前から現在地にあるようだ。今は内陸にあるが、当時はまだ海水面が高かったので、海岸に面していたらしい。そんな話を雫にしても迷惑がられそうなのでしないで、ひたすら歩く。
「今日はどこまで行くの?」
「安房神社っていう、日本でも有数の由緒ある大きな神社に行くんだよ」
家を出てから説明を始めるのは申し訳ない気がしたが、失念していたので仕方がない。
「ふうん。そんな神社がこんなところにあるの?」
「平安時代までは東に行くのに海を使うルートが普通だったから、この辺は千葉の玄関口だったんだよ。だからこっちが上総で、雫ちゃんの家の方が下総。こっちが上なんだ」
「なるほど。で、どうやっていくの?」
「バスだけど、バスで館山駅に行って乗り換えるよりは歩いた方がショートカットできるので歩きます。40分くらい」
「静流と一緒ならぜんぜんOKだよ」
雫は静流と腕を組み、静流は歩調を合わせて歩く。天気は良く、冬の空は澄み渡っていた。途中、コンビニで飲み物を買ったりして温まりながら目的のバス停へ向かう。城山公園前まで来たところで、雫は夏に花火を見たところだと思い出す。
「ここに花火を見に来たね」
「来年も、いや、もう今年だね。今年も見たいね」
雫は大きく頷いた。
「どれくらい来た?」
「半分くらい」
「まだ半分か。静流と腕を組んで歩ける時間が長くなったと考えよう」
「雫ちゃんは前向きだね」
静流は思わず微笑んでしまう。畑や休耕田と住宅が点在するような道を寒い中、歩き続け、ようやく国道410号線に出る。バス停はすぐに見つかり、幸いすぐにバスが来てくれた。1時間に1本のバスを長い時間、寒い中で待つのはさすがに辛い。昨日のように駅舎の待合室があるわけではないからだ。
これ幸いとバスに乗り込んだが、車内は席が埋まっているだけでなく結構、混雑している。初詣に行く客が多いからだろう。通路の奥まで行って、立って安房神社まで行くことになる。長時間は乗っていないので問題はない。
「えっへっへっへ。暖かいね」
「バスがすぐに来て良かった」
「こなかったら後ろからギュウしてようと思ってた」
「後ろだと雫ちゃんの顔が見えないよ」
「前からギュウしても見えないよ。顔を埋めているから」
バカップルの会話だなあと静流は我ながら思う。
「でもさ、雫ちゃんはこんなんで楽しいの?」
雫は隣に立つ静流を見上げていった。
「何をするかじゃなくて誰とするかが重要なんだよ」
なるほど。そうかもしれない。思い当たる節がある。
「それでも雫ちゃんが興味を持ってくれる方が気持ちが楽だな」
「そのためにはもっともっと勉強して静流の知識量に追いつかないとだね」
「まだまだ時間はあるからそれは大丈夫だね」
安房神社前バス停までは10分ちょっとで到着したが、その間、ずっと雫は静流にピタリとくっついていた。暑いくらいだった。乗客の大半が安房神社前で降りて、静流たちはその人たちの後ろを歩いて行く。国道から離れて集落の中を歩くと大きな鳥居が見えてくる。
「見えたね」
大半は車で来ているのだろう。安房神社は大勢の参拝客で賑わっていた。
ご由緒書きを読むと意外なことが書いてあった。
「もとは布良浜の男神山・女神山だったみたい。布良浜神社ってのがあって、行く年来る年の中継地に選ばれたことがある神社で――」
「ふーん」
当たり前だが、雫は興味なさげだったのでそれ以上、言うのは止めた。布良浜神社には今度、自分1人で自転車で行けばいいことだ。
なかなか進まないので並んで参拝を待ち、30分ほど待ってようやく参拝できた。お願いはもちろん、合格祈願だ。安房神社は産業の神様だが、学業にも御利益が有ると言うことで来たのだった。
「なにをお願いしたの?」
「僕は合格祈願」
「ウチはね――ナイショ」
「ナイショですか」
内緒で全然いいのだが、もしかしたら自分が心変わりしないでずっと好きでいられるようお願いしたのかもと思うと不安になった。そんなに思ってくれることはないと思うし、ここは恋愛成就の神様でもない。
「おみくじしようよ」
「うん。いいよ」
おみくじ売り場も混雑していたが、どうにかおみくじを買って、開いてみてみる。
「僕は小吉だ」
「ウチは中吉だった」
「お互い、いい感じだね」
「ウチ、『待ち人来る』だったけど待ってなかった。ウチがこっちに来た」
「そうだね。来てくれてありがとう」
安房神社を後にして、国道沿いの自販機でまた温かい飲み物を買う。温かい飲み物を買って、バス停に並ぶ参拝客の長い列の後ろにつく。来る上りのバスはきっと空いているので乗り切れるだろうが、むしろ並び始めた駐車場待ちの車が心配だ。国道までこないといいのだが。国道で待たれると渋滞してしまう。
30分ほどでバスが来て、どうにか全員乗り切れた。また通路で立っていることになるが、今度は違うバス停で降りて、違う道を歩いて家まで帰った。
母屋の居間ではまだ祖父や父、叔父がゆったり正月番組を見ていた。おせちを食べて、家に戻り、静流は勉強に戻る。雫は文句1つ言わず、一緒にコタツに入ってタブレットを眺める。
「ねえ、静流」
突然、雫が話しかけた。
「静流はチューしたことある?」
何を読んでいるのかわからないが、心臓に悪いことを聞いてきた。
「ないよ。ない」
「じゃあ、ウチのためにファーストキスはとっておいてね」
そしてタブレットから目を離してにっこりと微笑んだ。さすがに小学4年生の雫にキスをしたら犯罪だが、大きくなれば別だろう。それまでガマンできるだろうか、不安だ。何歳くらいからなら許されるのだろうか。
「お返事は?」
「はい……努力します」
静流はどうも、雫に弱いところを見せないわけにはいかない運命にあるようだった。
その夜も、雫は静流の部屋で眠った。寝る前には、少ししか静流と一緒にいられないのなら、寝ている時間も惜しいとまで言ってくれた。
この子が好きだなあと静流は心から思うが、それを口にする訳にはいかない。口にしたらブレーキを掛けられなくなる気がする。仮に言ったとしても、それは恋人への言葉ではないということにして、またブレーキをかけようと今から心の準備を始めた。
夜遅くまで静流は勉強をして、よく眠っている雫の寝顔を眺める。
穏やかで幸せそうな顔をしていた。
この幸せそうな顔を曇らせたくないな、と思い、そのためには勉強だと思い直す。
まず、大学に合格して、雫の家に下宿する。そうすれば必ず、雫は喜んでくれる。
頑張ろうと思いつつも、もう時間が遅かったので静流は眠ることにした。
眠ろうとして電気を消すと、雫が目を覚ましてしまった。
「静流」
「なんだい?」
「一緒に寝たい」
「うん、いいよ」
自然にその言葉が出てきた。
静流は雫の布団に入り、手を握る。反応してしまうがそこは堪える。小さな柔らかい手だ。この手を守りたいと思う。
雫はすぐにまた寝入ってしまったようだ。
雫の温かさを感じながら、静流もすぐに眠りについたのだった。
翌朝早く、叔父と雫は館山を発った。
去り際、雫は大人しかった。
祖父と祖母にはまた今度は夏ね、と言っていた。
静流には、目線を向けたあと、バイバイと小さな声で言っただけだった。
ただ車が去ってすぐにスマホに着信があった。雫からだった。
〔絶対合格してね! 待ってるから!〕
それを言葉にすることは彼女にはできなかったのだろう。泣いている女の子のスタンプが送られてきた。その女の子はどことなく雫に似ているように思われた。
〔必ず春に行くから、迎えに来てね!〕
〔待ってる! 迎えに行くから!〕
すぐに返事があった。
あと少ししか時間がない。頑張ろう。
そう改めて思い、静流は参考書に向かい、勉強を再開したのだった。
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