雪とストーブ
紫 陽花
決まって、一と終がある
目が覚めと、異様な寒さを感じた。カーテンの隙間から外を覗くと、小さな埃が絶え間なく落ちていた。
口内から温かい息が白く広がり、口元を冷たく湿らせる。
眠気眼で見る雪の降る景色に聞こえないはずの音が聞こえてくる。何かを料理している音、トトとハハの談笑、そして、いつか聞こえてきた。
――終(おわり)。
ハハの呼ぶ声が聞こえて、僕は待っていたかのように包まっていた毛布を投げて、したに降りる。
リビングに入ると、そこには仄か暖色に揺れるストーブがあって、トトが雪に溜め息を吐きながら、新聞を読んでいて、それをなだめる様にキッチンでハハが笑っていて――そういえば、もういないんだ。
僕は、キッチンにある一つの写真を見る。そこにはもう遠い記憶で笑っているハハがいた。声は聞こえてこなかった。
過去の思い出は七年前に亡くなった。十七な僕には、そんな記憶はもういらない。部屋に戻って――廊下に出たところでチャイムが鳴った。宅配なんて頼んだ記憶がなかった。
僕が玄関を開けると、そこには白い肌に赤い頬を火照らせてる尼削ぎの女の子がいた。
「一(はじめ)?」
「終、ぬくらせて」
そういえば、七年前もそんなことがあったな。なんて――表情が沈んでいたのせいか、融けた雪が瞼から降りそうで、思わず一を抱きしめた。
「どうしたの?裸足だと寒いよ」
どこか諭すように、心配する一の声が心臓に体温を与える。露出している肌がかじかんできた。
「もう大丈夫」
そう言って、一を家に入れる。
僕が家の倉庫から、ストーブを取り出してくると、不思議そうに僕の名前を呼んだ。
「つけ方、わかる?」
「どうだろ。つけたことないから。それに三年前に使われてからそれっきりだし」
リビングに持ってきたものの、どうすればいいか分からない僕に、一は呆れたように溜め息を吐いた。
「私がつけるから、終はお茶淹れて」
そう言われて、僕はキッチンに向かう。お湯を沸かしていると、一は場所を知っていたのかどこからか灯油を持ってきて、入れている。
「終、明日暇?」
そんなこと言われ、そういえば明日はクリスマスだったことに気づいた。
「明日はぁ……確か用事があったようなぁ……」
わざとらしく逸らすと、一はクスクスを喉を抑えて、ないのね、と呟いた。
「終は変わったね」
一は口癖のように、いつもこの言葉を言っていた。でも、いつもとは違って、少し嬉しそうだった。
中学から引きこもった僕に、幼馴染の一はずっとそばにいてくれた。どんなに突き放しても、一はうざったらしく僕の家に来ていた。
今では腐れ縁と言った方がいいかもしれない。僕の中で一が傍にいることが当たり前になっていた。
「そうかな。そう、かも」
変わったと言われると昔を思い出してしまうから、少し心臓がギュウと萎む。一の方を見ると、もうついているようで目を瞑って、ふう、と息を吐いていた。お湯も沸いて僕が熱い湯とパックの入ったマグカップを渡す。
「ありがとう。て、これレモネードじゃん」
「これしかなかったんだ」
僕がそう言い訳づきながら、まだお湯っぽいレモネードを啜っていると、一はマグカップの表面を摩って、変わってないところは変わってないね、と皮肉気味に言った。
「具体的には?」
一は、んー、と唸って一つ一つ上げていく。
「レモネードが好きなところ、赤ん坊のように蹲りながら寝るところ、七年前もそうやって部屋の隅の地べたで座り込んでいるところ」
そう言って、一は僕の隣まで来て、頭を擦りつけるように寄りかかってくる。自然と一の表情は見えない。
「そうやって昔をたどるように、終を見てしまって」
一は言いかけて、僕の肩に目を伏せる。喉がうわずる音が聞こえる。君は床にマグカップを置いて、そのまま僕の太ももに頭を乗せて横になる。
「少しだけ、昔に戻っていい?」
「レモネードが冷めるまでなら」
そう条件を付けた。弱音なんて、いつでも吐いていいのだけど。多分、一自身がそれを許さない。まあ、冷めたらまた淹れればいいし。
「ずっと寒かった。誰もいない家が寒かった。ただ家が近かっただけで、君とは仲も良くもなかった。なのに、君は僕の家のチャイムを押してくれた」
そういえばって、あれは僕だったか。
――家で温む?
そう言って僕は一を家に連れてきたことがあった。あの時はただ、雪降っていたから遊びに誘っただけだ。ただ、雪の降る灰色の空の下で寂しそうに俯いていた一が少し寒そうに見えたから。
「終のお母さんがレモネード入れてくれて、終が傍で話しかけてくれて、それが嬉しくて。終が僕を見つけて、終が僕に笑いかけてくれて、ずっと終が……なければいいのに」
いつかはこの関係が終わってしまうのだろうか。いつか、この日々が終わってしまうのだろうか。そういえばハハが言っていた。――終という名前は、僕に新しい一歩を踏み出せるようにするって意味らしい。そのためには終が必要だって。
「終わったら、また始めればいいよ」
それこそ、一が引きこもりだった僕を変えてくれた時のように。もし、一が僕にしつこく関わろうとしなかったら、僕はこのまま部屋でうずくまって出てこなかったから。
「ごめん。もう」
一がそう言いかけたところで、僕は君の頭を撫でる。
「僕はちゃんと知っているよ。君が僕の部屋に入る時、いつも深呼吸しているのを。君がドアノブを一旦手にかけて躊躇しているのを。もうレモネードは冷めているから。もう戻らなくていいよ。無理しなくていい。怖がらなくていい。僕はもう大丈夫だから」
雪はまだ降っていた。この冬にも終が来る。そんな当たり前に少し寂しさを感じながら、春がまた一から花を咲かせるだろうと。
雪とストーブ 紫 陽花 @kokoooooo
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