4 綻ぶ秘密
魔物の大量発生――スタンピードは、人間たちの国においてままあった。魔物たちによる暴走現象で、主に魔族領域に面した辺境で起こる。たちの悪い災害のようなものである。
その内実は、たいてい突発的な下級魔物の増加から引き起こされる。局地的な飢餓にあった。
具体的には
……と、昔、その瞬間を目のあたりにした探検家が幸運にも生き残り、自著の冒険指南書において詳しく記している。それはさておき。
「ティナは覚えてないだろうけど、ヴィヘナにも来たことあるんだよ。恐慌状態で押し寄せる魔物の群れってやつ。今思うと、あれがスタンピードだったんだな」
「そ、そうなんだ……?」
答えにくいことを言われやしないか、ひやひやしつつ馬上でその声を聞く。
単騎、ふたり乗りで平野を疾駆している。
月の明るい夜だった。
まずは、東をめざしている。
* * *
ルークは意外にも終始落ち着いており、二度手間だからとキャンプに戻って作戦を説明するなど、むだな行動は一切なかった。
なるほど、経験済みだからか、と納得の気持ちが湧く。
夜間の早駆けは危険なのだが、そこは行く手を照らしながら飛翔してくれるカーバンクルの存在が心強い。
――人間の身としては。
残念ながら、生粋魔族だったセレスティナの心情としては、手綱をにぎる
ルークは油断なく空の星々で方角を確かめつつ、聖布に包まれたティナのつむじに向け、ぽつりぽつりと思い出話をこぼしていた。
緊急事態のはずなのに、なかなかな余裕だ。これも、ひとえに神剣が選んだ勇者ゆえんだろうか……。
「でさ。そのとき、たまたまユガリア騎士団が近くにいて。おかげで助かった。すっげえ格好良かった」
「……ひょっとして、それで騎士に?」
「ん。まあ、そうかも」
軽く流し、ところで、と促してくる。
「悪い、もう一度“視て”くれるか? 地図で確認した限り、近隣の街を無視して来るなら、東と南東はそろそろ合流するはず。南の勢いはカーバンクルの遠隔波状結界と王子の魔法で相殺できたはずだから」
「わかった。待ってて」
すう、と目を瞑る。
腕のなかに抱えた錫杖に魔力を流し、再度探査の『網』を広げた。はぐれや雑魚は無視。
やがて馬の振動も背中の温もりも遠のく上空、完全なる俯瞰者のイメージに達したとき、それらは容易く見つかった。
一度目よりも映像は鮮明だった。その土埃と瘴気の濃さ、狂った赤眼をらんらんと光らせて走る怒涛のさまに、ティナは、ぐっ、と眉根を寄せた。説明のために瞳をあけると途端に訪れる
「そこ。林の手前で止まって。馬から降りれば振動も伝わるはずよ。かなり近い。あと五分くらいね」
「やべ。ぎりぎりだった。ありがとな」
ルークは林に着いてすぐに馬から降りる。
手綱を手近な木に括りつけるとティナの腰を支え、下馬を手伝いながらカーバンクルに向かって叫んだ。
「カーバンクル! 頼む!」
「しょうがないな〜。いいよー」
ティナは柔らかな下生えの上に降り立ち、ルークにもたれる。肩を抱かれながら片手で神剣を抜かれてしまい、二重の意味で震えた。冴え冴えと光る刃が近い。
(だ、大丈夫。神剣にとっては私は聖女。聖女ティナ……!!)
ギゼフに抱えられたときは無かった慄きは全部、抜き身の
やたらと高い体温と心拍を伝える幼馴染のせいではない。決して。
心持ち青ざめて前方に目を凝らすティナに、ルークはいっそう彼女の肩を抱く力を強めた。
「もし、突破されても絶対守る。信じて」
「……わかった。でも、ねえ。こんなにくっついてなくても」
「却下」
「!? え?? なぜ」
ぱっ、と顔をルークのほうに向け、信じられないものを見るように目をみひらいた。
ちょうどそのとき、魔物たちの咆哮が無視しがたい音量で耳をつんざき、樹上からルビー色の光が漏れた。夜明けや夕暮れのような明るさだった。
ッ――――――……!!
瞬間、ドーム状のバリアが顕現したことを感覚で悟る。
作戦通り『自分たちに』ではない。カーバンクルの本気の結界はみごと広範囲に行き届き、
が、眩しさと、またしても俯瞰してしまった後遺症で瞼を閉じてしまう。すると、ティナのつめたい鼻先と引き結んだ唇に一瞬だけ何かが触れた。吐息のような気配だった。
(?)
「ごめん。悪い。つい」
そろりと目を開けると、真っ直ぐにこちらを見るルークと視線が絡む。真摯に謝られてしまったがティナには何のことかわからない。
――いや、わかるのだが、それが何を表すのか本当にわからない。思わず聞き返す。
「え?」
「……足どめの結界、成功したみたいだし。もうしばらくしたら殲滅部隊が来る。もう一回していい?」
「なに、を」
キン、と剣を収めたルークが右手でティナの髪に触れた。聖布の内側。耳からうなじにかけての位置だった。
神気とは別の予感に胸が騒ぐ。
「!!!」
慌てて身をよじって口づけから逃れるも、腕のなかからは出られない。今度こそ理由不明の顔の熱さに涙目となる。
「や、だめ」
「なんで? 何が『だめ』?」
ルークは、そこで心底せつなそうな顔をした。
「お前、自分のこと……――違う奴だと思ってるだろ」
「!?!? ど、どうして」
「だって、都のほうのファルシオンを『あなたがたの王都』って言った。あのとき。思いっきり」
「……あっ」
「まるで、この国の人間じゃないみたいな口ぶりだった。さ、話せよ。記憶のことも。いつからだ」
「〜〜、うっ。ううぅ」
目を逸らすのは許さない、と言わんばかりにぐいぐいと迫られ、再びの拘束。
なお、頼みの綱(?)の聖獣からは徹底した不関与を貫かれた。あの手この手の尋問に、ティナはあえなく陥落した。
西側からギゼフとウィレト率いる殲滅部隊が駆けつけたのは、ほぼ同時刻だった。
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