あかがねの聖女は魔王に戻りたい
汐の音
序章
1 ここは何処?
ああ。どうしてこんなことに。
目の前には、じつに長閑な景色が広がっている。見渡す限りの草。草。なびく大草原。青々と映る山並みの手前、その地平まで。ゆるやかな丘陵地帯も横手に見えるものの、向こう側に何があるのかは定かではなかった。
――というか、ここ、どこ?
「起きたら野外でした」なんて洒落にならないでしょう。
ねえ、私、そんなに
知らない場所、知らない体。混乱する記憶。
そうして、愕然と思い至る。
『私』は……誰?
「え、うそ。記憶?」
ごくっと喉が鳴り、慌ただしく立ち上がった。
頭を左右に振ると、短い葉っぱがはらはらと剥がれ落ちる。手櫛で整え、指先で透き通る髪色に違和感を覚えた。
艶のある
年頃の娘らしさや色気は皆無だったが、しゅるりと鞘から抜いた刀身は手入れが行き届いていたため、冒険者の端くれに見えた。
感覚的には随分と長く寝ていたはずだが、体のどこも痛くない。やがて、これだけは確かだと思える事実を口にした。
「どうしよう。これ、あからさまに人間………………あっ!?」
突如、打たれたように立ち尽くす。
急激に記憶が流れ込み、あるべき自分を思い出した。
“
それが一族の号と名前。
くるぶしまであった、まっすぐな黒檀の髪。
「どうしろって言うの……? 体だけじゃない。魔力もない。あげく、こんな脆弱な体に閉じこめられて。流石は魔族のお手本みたいな非道ね? 恥ずかしげもなく、ひとを騙し討ちにして。そこまでして王位が欲しかったのかしら。あの、性悪従姉妹……ッ!!」
独り言ち、歯嚙みしたところでハッと気がついた。
うしろの草むらから
とっさに荷物を掴み、素早く丘陵地へと駆け上がった。わずかだが背の低い灌木の茂みがある。その影へ。
――――ザザザッ、メキメキ!
すると、元いた草地はクリアブルーの巨大なスライムによって、めちゃくちゃに飲み込まれていた。間一髪。
(あ、危ない……)
ほっと息をつき、身を縮こませる。
あいつらに嗅覚はないし、物の形をぼんやりとしか捉えられない。対処法としては間違っていない。このままやり過ごせば、エサと認識されることはないだろう。
たかがスライム相手に、なぜこんな……と、嘆かわしくなるが、こんなところで、一人ぼっちで死ぬわけにいかない。
たとえ、大した力のないちっぽけな人間だろうと、“セレスティナ”だった頃の『常時魔力探査』が使えるなら大丈夫。生き延びられる。
「うーん。口惜しいけど、このまま城を探すのは悪手ね。普通の人間は魔領の奥地に入れないし。あいつ、やり手の仲間と共謀したんだわ。でなきゃ、あんな脳筋に“魂魄移転陣”なんて大技、できるはずないもの。でも、このままじゃ里に戻れない……。なんとか、対抗勢力を束ねないと」
ぶつぶつと口に出して考えていると、はた、と気が付いた。
きっと今ごろ、ほくほくと魔王を名乗っているだろう愚かな従姉妹を廃せるとすれば、それは。
「…………『勇者』に討ち取らせるしかない、か。ちっ、面倒な」
きょろきょろと辺りを見回す。
不本意だが、まずは人間の街を目指そう。
この体の知り合いや家族と出くわすかもしれないが、そのときはそのとき。記憶を無くしたフリをするしかない。
「まったく。この
スライムは去ったので、よいしょ、と荷袋を担いで立ち上がった。身ごなしは悪くない。比較的機敏なようで、そこそこ高レベルの
それなら、宝をちらつかせられれば多少の危険は犯してしまうのかもしれない。
こんなねちっこい罠で、自分を陥れたかった魔族とは。
かつ、通常ならばよぼよぼの魔王が新しい器を得るために行うような秘術を、一瞬で展開できる手練れとは……?
考えれば考えるほどドツボにはまるようで、今はわからないことだらけ。ぶんぶんと頭を振る。
「ううっ。先代の側近はみんな私に膝を折ってくれたわ。従順そうだったのに。ゾアルドリアめ。戻ったら絶対、とっちめてやる……!」
ムカムカと悪態をつき、魔物の気配が薄い方向を探る。
(ん? 煙?)
それは丘陵地の麓。濃い緑の向こう側。
晴天に薄雲のように立ちのぼる、一筋の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます