あかがねの聖女は魔王に戻りたい

汐の音

序章

1 ここは何処?

 ああ。どうしてこんなことに。


 目の前には、じつに長閑な景色が広がっている。見渡す限りの草。草。なびく大草原。青々と映る山並みの手前、その地平まで。ゆるやかな丘陵地帯も横手に見えるものの、向こう側に何があるのかは定かではなかった。


 ――というか、ここ、どこ?

 「起きたら野外でした」なんて洒落にならないでしょう。

 ねえ、私、そんなにをした? と、見慣れない手のひらを凝視する。

 知らない場所、知らない体。混乱する記憶。

 そうして、愕然と思い至る。

 『私』は……誰?


「え、うそ。記憶?」


 ごくっと喉が鳴り、慌ただしく立ち上がった。

 頭を左右に振ると、短い葉っぱがはらはらと剥がれ落ちる。手櫛で整え、指先で透き通る髪色に違和感を覚えた。


 艶のあるあかがね色をしている。質感はふわふわと波打ち、肩下まで届くか届かないか。服装は膝上丈の簡素なチュニック。周囲の草地に溶け込みやすいスモーキー・グリーンの布地にはこれといった装飾がなく、脚にぴったり沿った黒いパンツ。茶色のロングブーツに荷袋。腰には短剣。

 年頃の娘らしさや色気は皆無だったが、しゅるりと鞘から抜いた刀身は手入れが行き届いていたため、冒険者の端くれに見えた。

 感覚的には随分と長く寝ていたはずだが、体のどこも痛くない。やがて、これだけは確かだと思える事実を口にした。


「どうしよう。これ、あからさまに人間………………あっ!?」


 突如、打たれたように立ち尽くす。

 急激に記憶が流れ込み、あるべき自分を思い出した。


 “闇夜月やみよづきのセレスティナ”。

 それが一族の号と名前。

 くるぶしまであった、まっすぐな黒檀の髪。禍月まがつきの赤い色の瞳。星の光の白い肌。もうすぐ、数ある魔王家の一つの最適者として、晴れやかに新魔王の座に就くはずだった。姿かたちだって、こんなではなく。ヒトで言えば二十歳はたちそこそこのはず。それが、なぜ。


「どうしろって言うの……? 体だけじゃない。魔力もない。あげく、こんな脆弱な体に閉じこめられて。流石は魔族のお手本みたいな非道ね? 恥ずかしげもなく、ひとを騙し討ちにして。そこまでして王位が欲しかったのかしら。あの、性悪従姉妹……ッ!!」


 独り言ち、歯嚙みしたところでハッと気がついた。

 うしろの草むらから

 とっさに荷物を掴み、素早く丘陵地へと駆け上がった。わずかだが背の低い灌木の茂みがある。その影へ。 


 ――――ザザザッ、メキメキ!


 すると、元いた草地はクリアブルーの巨大なスライムによって、めちゃくちゃに飲み込まれていた。間一髪。


(あ、危ない……)


 ほっと息をつき、身を縮こませる。

 あいつらに嗅覚はないし、物の形をぼんやりとしか捉えられない。対処法としては間違っていない。このままやり過ごせば、エサと認識されることはないだろう。


 たかがスライム相手に、なぜこんな……と、嘆かわしくなるが、こんなところで、一人ぼっちで死ぬわけにいかない。

 たとえ、大した力のないちっぽけな人間だろうと、“セレスティナ”だった頃の『常時魔力探査』が使えるなら大丈夫。生き延びられる。


「うーん。口惜しいけど、このまま城を探すのは悪手ね。普通の人間は魔領の奥地に入れないし。あいつ、やり手の仲間と共謀したんだわ。でなきゃ、あんな脳筋に“魂魄移転陣”なんて大技、できるはずないもの。でも、このままじゃ里に戻れない……。なんとか、対抗勢力を束ねないと」


 ぶつぶつと口に出して考えていると、はた、と気が付いた。

 きっと今ごろ、ほくほくと魔王を名乗っているだろう愚かな従姉妹を廃せるとすれば、それは。


「…………『勇者』に討ち取らせるしかない、か。ちっ、面倒な」


 きょろきょろと辺りを見回す。

 不本意だが、まずは人間の街を目指そう。

 この体の知り合いや家族と出くわすかもしれないが、そのときはそのとき。記憶を無くしたフリをするしかない。


「まったく。このカラダもどうしてゾアルドリアなんぞに利用されて……。『私』が入れたってことは、つまり、そういうことなんでしょうけど」


 スライムは去ったので、よいしょ、と荷袋を担いで立ち上がった。身ごなしは悪くない。比較的機敏なようで、そこそこ高レベルの盗賊シーフ職かとも考える。

 それなら、宝をちらつかせられれば多少の危険は犯してしまうのかもしれない。


 こんなねちっこい罠で、自分を陥れたかった魔族とは。

 かつ、通常ならばよぼよぼの魔王が新しい器を得るために行うような秘術を、一瞬で展開できる手練れとは……?


 考えれば考えるほどドツボにはまるようで、今はわからないことだらけ。ぶんぶんと頭を振る。


「ううっ。先代の側近はみんな私に膝を折ってくれたわ。従順そうだったのに。ゾアルドリアめ。戻ったら絶対、とっちめてやる……!」


 ムカムカと悪態をつき、魔物の気配が薄い方向を探る。


(ん? 煙?)


 それは丘陵地の麓。濃い緑の向こう側。

 晴天に薄雲のように立ちのぼる、一筋の白灰しらはい色があった。





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