【2】私たちはこれからも代償を払い続けないといけない

「ついてきて」


 諦めたようにゆっくりと立ち上がると、エマは何を思ったのか店内を徘徊していた顔のない女の手を取って外に連れていく。

 女はエマと一緒に庭の端に立っているオリーブの木へとゆっくり歩いて行く。

 木の前まで来るとエマは目を閉じて何か呟き始める。


「山の神、森の神、この地の大自然の神様、この地の不浄を流していただき、この者をお頼みしてよろしいでしょうか?」

 そう言葉を紡ぐと長い間森の方に手を合わせながら目をつむり静かに念じているようだった。

 しばらくして今度は連れて来ていた女の方に向き直って話しかけた。


「あなたは長きにわたりこの森と遺跡に根付いてきました。今からは綺麗に手入れされたこの場所に新しくお宿りください」

 エマがオリーブの木に手を触れると頭のない女はゆるゆると糸のようにゆっくりとほどけていく。

 糸のようにほどけて広がった女だったものはゆっくりと空中で新たな像を造り出し、やがて若々しい女の子の姿にくくられていった。

 晴れやかな表情になった女の子は驚いたように自分の掌や体を見つめて、オリーブの木の周りを走り始めた。


 私は驚きながらもエマの儀式が終わったんだと感じた。

 さらに儀式が終了した途端、なんだかカフェの中が明るくなったような気がする。

「何をしたの、エマ?」

 私が尋ねるとエマは自分を落ち着かせるように深く息を吐き出すと口を開いた。

「あの精霊を山の神様にお願いして遺跡からオリーブの木に宿らせてもらったうえで、この敷地に神域の力が及ぶようにしてもらったのよ」

 元々遺跡の一部に取り憑いていた顔のない邪霊をここの神様に働きかけて、依拠する対象をオリーブの木に移したということらしい。


「これで、この敷地に徘徊していた邪霊は元の精霊の姿になってあのオリーブの木に宿ったよ」

 これは信じてくれるかなあと私はちょっと心配になってしまうが、お姉さんは目を見開いてうんうんと頷いた。

「視えた、視えましたよ。あなたの祈りの最後に薄緑色の女の子が宙から現れるのを!」

 どうやらカフェのお姉さんにも精霊の姿が視えるようになったらしい。


「それは……よかったよ。あのオリーブの木は切らないでね、魂が宿っている霊木だから」

「杉や楠、イチョウ、桜なんかは聞いたことがありますが、オリーブでも自然の魂は宿るんですか?」

 お姉さんが不思議そうに尋ねるとエマは表情を変えることなく答える。

「宿るよ。実際にオリーブの大木がご神木となっている神社もあるんだから」

 私とお姉さんふたりともが感心しているところにエマは続ける。

「それとここの遺跡にはこの木からとれるオリーブの実を含めて、このお店で作れる一番神様に食べてほしいと思うお菓子なんかを定期的にお供えしてね」

 神様へのお供えものと聞いて、お菓子で大丈夫なのかと感じたが、エマが言うには感謝の念のこもったお供え物であれば、この神域のためのお供え物になるらしい。


「絶対にだよ。山への感謝を忘れたら神様が怒るんだからね」

 エマは熱演するようにお姉さんに念を押した。

 お姉さんはエマの迫力に押されてただうんうんと頷くしかできないようだった。



  ◇



 お姉さんに感謝されながらカフェを出てから、筧さんが車を発進させると私はエマに尋ねてみた。

「それで、神様にお願いしてみてどうだったの?」

「……今回はカフェのお姉さんに頼まれたことを解決しただけだよ」

 エマから答えが返されるまでに一瞬の間があった。


 今までのエマは霊的なものが視えないもしくは理解できない人間には聞かれるまでは話そうとはしなかった。

 だからこそ、エマは依頼された案件だけ対処していた節がある。

 しかし、今日はわざと依頼されるような形にもっていったような気がする。


「ああ、これはもしかしたら呼ばれたのかなあ、この山の神様に……」

 気が付いたようにエマは呟く。

「エマが神様に呼ばれた? あの顔のない精霊を救うために?」

「それはたぶん違うね。あのカフェのお姉さんに自分達をまつらせるきっかけを作るためかな」

「あのカフェのお姉さんがここの神様をまつるというのは巫女のようなものってこと? エマがいるのに?」

「私はずっとこの神域でいるわけにはいかないから」

「それじゃ、あのお姉さんが巫女となってこの山の神様をまつったら、それでこの呪われた住宅地を許すということ?」


 助手席のシートに深く身を横たえながら、エマは独り言のように口を開く。

「それも違う。神域が壊されたことを神様は許したりはしなかった。精霊だったら新しいところに宿らせればいいかもしれないけど、神様を移すわけにはいかないからね」


「じゃあ、どうすればいいんだい?」

 運転席のかけいさんが興味深げに尋ねると、エマは視線をゆっくりと横に動かした。

「条件は何も変わらなかったよ。この住宅地をすべて取り壊して、森と遺跡の原状回復して、それでも許してくれるかは分からない」

 外の景色を見つめるエマの瞳には、冷笑の影さえ揺らめいているように思える。


 やはり、この神域の神々の怒りを抑えることはできなかったのだ。


「それは……厳しいね」

「それにね、カフェのお姉さんはここの神様に巫女として縛られたと言った方がいいかも。だからお姉さんもこの土地を離れられないと思う」

「……そんな悪霊に呪われたみたいな言い方」

 エマの表情は変わらない。いや、ぞっとするような無表情で私の方を向き冷然と見つめてきた。


「同じじゃない。神様に縛られるのと悪霊に取り憑かれるのとはわけが違うよ。本当に離れられないし、離れようとするとあらゆる干渉が入ると思う」


 彼女の声に、このとき恐怖に近い感情がこもった。


「カフェのお姉さんはここの神様に愛されるようになり、神をまつる巫女として選ばれたのよ。その橋渡しをするためだけに私は呼ばれたの」

 エマの言い方からすると悪霊に取り憑かれるよりもある意味影響は大きくなるのだ。


「ただ……悪いことばかりじゃないよ。あのカフェは神様のご加護を受けるから繁盛するだろうし、ここの住民たちにとっても心の安らぐオアシスのような空間になるはずだよ」

 気休めのようにフォローしたが、その目は哀しげな色を讃えている。


「それと、今からもう何を視ても振り返ったり反応しちゃだめだよ」

「何か……あるのかな?」

 かけいさんはエマの話に食い入るように聞いている。


「視えてると気付かれたらここから出してくれないかもしれないからね」

 そう呟くエマの声とともに日が暮れて夜の闇がせまる住宅の間に人影がうごめくのが視え始める。


「カフェの変化を嗅ぎつけて集まってきたんでしょ。けど私達にはどうにもできないよ」

 エマは運転手の筧さんに何を視ても振り返らずにとにかくを山を下りてとうながしてくる。


「ここの住人は神域を荒らした代償を私と一緒にこれからも払い続けないといけないの」


 淡々と紡がれるエマの言葉に何か応えないといけないと思うけれど、恐怖と緊張で一向に声が出ない。


 車の窓の外では体の一部が欠けている枯れた精霊たちが私たちの方を恨めしそうに見つめていた。


 堕ちた精霊たちのしゃがれた呻き声がゆがんだ口の間からしのびやかに漏れ出るのが車の中にも響いてくる。


 それはまるで山の夜気に広がっていくひそやかな遠吠えのようだった。


「ふう、もっともっと稼いで早くこの住宅地を買い戻さないとね」


 紅玉ルビーの瞳の奥に昏い炎を宿して栗毛の聖女は呟いた。


 怒れる霊山の神々は呪われた聖女をまだ許さない。

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