第10話「なもなき」
アタシたちが病院に着く頃には既に女性の家族が居て、安否が分かり次第教えてくれると言ってくれた。アタシたちのことをあの隊員が伝えておいてくれたらしい。
野間と一緒に病院の椅子に腰掛ける。
特別話すこともない。無言のままただ時間だけが過ぎていく。
居心地の悪さを感じて立ち上がろうとしたら野間が沈黙を破る。
「ごめん。あの時はこんなのと関わるのは良くないとか言って」
「別に。そう思われる行動をしてきたのはアタシだしな。月乃と會澤の適応力がおかしいんだよ」
野間が自分を責めるように俯きながら話す。
「今日も周りの目が怖くて女だって言えなかった。だから梵が迷いなく女だって言ってくれて凄く嬉しかった。でもなんで助けてくれたの?」
初対面時の対応とつい最近アタシがブチギレたことで嫌われていると思ってたらしく、野間がか細い声で問い掛けてくる。
「実際、お前のことは嫌いだった。けど今日で見直した。人の命が掛かってる時にあの野次馬の中で動けるのは大した度胸だよ」
「同じ後悔をしたくなかった」
「それにお前は月乃の友達だからな」
ちょっとだけ優しくなろうと思っただけだ。
「そっか……そうなんだ。月乃に悪いことしちゃった。僕の事情を知っても何も思わないでいてくれる人を紹介してくれたのに」
「思われたことがあるのか?」
「中学の頃にね。女の子とばっかり仲良くしてたらずっと仲の良かった幼馴染に問い詰められて、勇気を出して言ったんだ。でも結果は酷かったよ」
野間は顔を上げ、ポツリポツリと過去のことを話し始める。
幼馴染からの理解は得られず、野間の事情は瞬く間に知れ渡り、女子たちからも白い目で見られるようになったと言う。
それがトラウマで高校では隠していたのに偶然月乃と會澤にバレてしまった。
「二人と両親の前だけでは女の僕で居られるんだ」
「その割に学校生活苦労してなさそうな感じだな」
「割り切ってる部分もあるから。体は男だし、別に男子トイレを使うのも男子用の下着を着るのも特に抵抗はないよ」
「男子の裸見ても問題ないのか?」
「うん。だって体は僕も一緒だし——」
「そうか」
「恋愛対象女の子だし」
「そう…………ん?」
流れのまま相槌を打ちそうになり、止まる。
今、こいつ、恋愛対象は女だと言ったのか?
「つまり、体は男で中身は女で恋愛対象は女……なんか頭がこんがらがる。カードゲームの効果処理してる感覚だ」
「七海は初めて聞いた時、大興奮してたなー」
会話を続けていくうちに野間の声色に光が増していく。
「楽しそうだな」
「やっぱり素を晒せるのは心地良くて」
「ずっと月乃と會澤が一緒に居る訳じゃないのにそんなんでどうすんだよ」
高校まではあの二人や会長辺りが野間にとって居心地の良い場所になる。
しかし、その後も同じように頻繁に定期的に会えるかどうかは分からない。そうなった時、野間はどうするつもりなのだろう。
「そこはその……ちょっとずつコミュニティを探せればと思ってるよ」
そう言ってる割には野間の歯切れが悪い。アタシに何かを期待するような目を向けてくる。
「なんだよ」
「梵ってさ、頭良いんだよね? 出来ればアドバイスとか貰えないかなって」
「アドバイスねぇ……まあ選ぶなら境遇より考え方で選んだ方が良いと思う」
「境遇より考え方?」
「今の月乃たちの雰囲気が好きなら、性別なんて気にしない。ここに居る時くらいは何も悩まず楽しもう! みたいなところが良い。逆に境遇からくる辛さばかりを主張するところは攻撃性を秘めてる可能性があるしな」
そうなるとコミュニティの活動が世直し的なものに偏りそうだ。
「どうせ今直ぐ性別関連の問題が解決する訳じゃないし、自分の居心地の良い場所見つけて、そのついでに何年か後にでも自分と同じような奴が少しでも辛くならなきゃ良い活動をすれば良いんじゃないか?」
「境遇が同じだからと言って同じ気持ちとは限らないってこと?」
「だって性自認関連で同じ境遇の奴らは学校に山程居るのに皆んな仲良い訳じゃないじゃんか」
「あっ、そっか」
性別関連で同じ境遇と言えば、一番多いのは間違いなく体も心も男の奴らと体も心も女の奴らだ。それを考えれば同じ境遇だから良いとは限らない。
「それに野間の悩みを理解出来ない月乃や會澤だからこそ良い場合もある」
気にし過ぎず、気にしなさ過ぎず、複雑な事情をそれなりに気にしないで接してくれるのが意外と一番だったりするのかもしれない。
一方的に喋り、横の野間を見ると何やら固まっている。
「人生二周目……?」
「……かもな」
「どうやったらそんな思考が出来るの?」
「どうやったらって言われてもな……まず思い込みや決め付けをしないようにしてるだけだ。後はなんとなくを切り捨てるようにしてる」
「もっと詳しく」
離れていた体を寄せて、野間がぐいぐい来る。
詳しくと言われても……説明するのが難しいんだよな。
「アタシは科学の論文に例えて理論検証って呼んでる。そうだな……例を出すなら野間はトランスだろ?」
「そうなるね」
「ジェンダーレストイレがあったら使うか?」
「使わない」
男の体を割り切っている野間だからこその即決かもしれないが。
「まさか? 本土にあったの?」
「直ぐ廃止になった。何故かそれを設置するのに女性用トイレを廃止したからな」
「えぇ……なんでそっち廃止したの」
「まぁ、そこはどうでも良い。仮にこの政策を進める時にそう言う時代だし、なんとなくそうした方が良い気がする、で進めたらどうなると思う?」
「同じ結果になるんじゃ」
「そこでアタシは理論検証をする。もしもを推察するか、似た事例を探す」
今回の例で言えば男女共用で使うもの。パッと出てくるのは浴場だった。
言ってしまえば男湯女湯混浴と三種類あったものから女湯だけを差し引いた場合はどうなるのか。
混浴の男女比率を考えれば結果は目に見えている。
それにアタシはそもそも知らない人に裸を見られるのが嫌なのだ。
それがトイレとなれば更に嫌悪感は増すはずだ。少なくともアタシはそうだ。
「推察に対する検証だからやってみなきゃ分からないし、その方が多い。けど犯さなくていい失敗を回避出来るかもしれない」
言い換えればこれも一種の歴史の勉強かもしれない。
アタシの解説を真剣に聞いていた野間が頷く。
「なんとなく悪いだろうと思うことも考えればそうじゃなくなるってこと?」
「会長が言ってたろ。ケースバイケースだよ。後は色んなことや人に触れることだったり、間違いを認められること、だろうな」
「はぁ……凄い。面白い」
「面白い?」
まさかの返答に聞き返す。
「ほら、月乃も七海も小難しい話とかしないから。こうやって思考の解説とか難しい話を聞くの楽しくって」
「なんか話しっぱなしで喉乾いた。自販機行こうぜ」
「そうだね」
そうして二人で自販機まで歩く間も話は続く。
「なんとなくで放ったらかしにして良いパターンってある?」
「アタシは娯楽かな。漫画のここにこんな描写があって深い……なんて楽しみ方もあれば、なんか読んでて面白いでも良いと思う。好き嫌いは感覚に近いしな」
「確かに。それなら趣味の裾野が広がりそう」
一見つまらなそうな話でも野間は楽しそうに笑う。
「なんか野間は万能だよな。月乃たちの前では女、知らない奴らの前では男。最早両性具有じゃん」
「そうしてる方が楽だから。でもさ、梵の話聞いてちょっと変わった」
何かが吹っ切れたようにさっぱりとした口調で野間が話す。
「カミングアウトって言うのかな。別に僕はしなくて良いかなって。言っちゃえば僕が特殊……異質、違うな……特異……」
「言いたいことは分かるから進めて良いぞ」
どんな表現をしてもその手の奴らに噛み付かれそうだ。
野間は途切れてしまった話の流れを咳払いでリセットする。
「月乃の言葉を借りるなら僕は特別。やっぱり多数派ではない訳だし、波風立てずに生きていくのも一つの選択肢だと思ったんだ」
「良いんじゃない……か」
「……?」
「いや、なんでもねぇ」
そう言えばアタシ普通にカメラの前で野間のこと女宣言しちゃったよな。
あの面倒臭いバッパも居たから多分大丈夫だと思うんだけどなぁ……あのバッパを黙らせる為の嘘だって思ってくれてるよな。うん、大丈夫。
「難しく考え過ぎなくても良いのかな。理解出来なくても知ってるってことが良いのかな」
「かもしれないな」
辿り着いた自販機に金を入れようとしたら野間が先に千円札を入れた。
「今日のお礼とお詫び……には安上がりだけど何飲みたい?」
「ミックスジュース」
その答えにちょっとだけ驚いた様子を見せた野間がボタンを押す。出てきた紙パックのミックスジュースを手渡してくる。
「好きなの?」
「いや、なんとなく」
なんとなく、それが良いと思っただけ。
このなんとなくは何時切り捨てようか。
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