第6話「えいゆうのうた」
もしかしたら逃げ遅れた人が居るかもしれない。
そう思ったら考えるより先に足が動いてた。かもしれない、だけなのに。
街灯に照らされるだけの薄暗くなった通りに人の影は見当たらない。空が曇っているのもあって視界が悪い。
スマホのライトは……妖怪にも居場所をバラしちゃう。
本当に怖い目に遭った時、全く動けなくなる人が居る。きっと何処かに震えてる人が居るはずなんだ。
「うわあああん! ママー! どこー!」
「やっぱり居た!」
判断力のある大人と違い、子どもは状況の変化に頭が追い付かない。
あれだけ泣き喚いていたら妖怪に見つかっちゃうのも時間の問題。私は声を頼りに走って——走って——向かう。
空っぽになったスーパーの入り口で小学生くらいの男の子が泣いている。
そしてその背後に忍び寄る白い蛇人間。子どもの第六感が働いたらしくクルっと気配に振り返っちゃう。
男の子の涙と声がぴたりと止む。
「間に合ええええええ!」
精一杯の力で全力疾走。
男の子を丸呑みにされる寸前で抱き抱えて前方に飛び込む。男の子が痛くないように肩と背中で受け身を取って、速攻で立ち上がって、速攻で逃げ出す。
肩が痛むけど大した痛みじゃない。体力もまだ行ける。男の子抱えて走るのが余裕なくらいには。
中途半端にだけど親譲りの運動神経と体力に感謝!
「まだ怖い? 悲しい? 一杯泣いて良いよ。思う存分泣いて良いよ。悲しい時は泣くのが一番だから。逃げるのは私に任せろー!」
「……ぅん」
男の子の服を掴む力が強くなって、また涙がポロポロと落ちる。
そうして私はなんとか蛇人間を振り切り、物陰に座り込む。
「はぁ……流石に……疲れた……」
一日中お客さんとあちこち歩き回った後だからかな。
大きく吐いている息をちょっとずつ小さくし、息を整えていると泣き止んだ男の子がジッと見てくる。
不安にさせないように笑顔で首を傾げてみた。
すると男の子は私の右肩辺りを指差す。
「おねえちゃんのふく……よごれちゃった」
「お姉ちゃんが頑張った証拠だよ。格好良いでしょー」
「……かっこいい!」
「しー……バレちゃうから」
私が自分の唇に人差し指を当てれば男の子は目を見開いて両手で口を覆った。
持って帰りたいどころかこの子の家に行きたいレベルの可愛い仕草に頬が緩む。凄くだらしない顔を晒しちゃってるんだろうなぁ。
……って、何やってんの私! 早く逃げないと!
蛇人間の所在を確かめる為に物陰から顔を出す。
「あっ?」
最悪のタイミングで蛇人間と目が合った。
「逃げなきゃ! 行くよ——っと!?」
男の子の手を引き、逆方向へ走ろうとする。
けれどそっちにも蛇人間。完全にサンドイッチの挟み撃ち。
「おねえちゃん……」
「大丈夫……大丈夫だから」
口ではそう言っても私に戦う力はない。ごくごく普通の力しか持ってない。
なんで私は何もないんだろう。こんな時に力があれば皆んなを助けられるのに。
誰か、と叫ぼうとして、ふと頭に思い浮かぶ名前があった。
「助けて! ソヨ!」
あの日、私を助けてくれた白銀の王子様。
迫る蛇人間の大きく開かれた顎。
私は決して目を逸らさない。絶対に男の子は守るんだ。
そう決意した瞬間だった。
——白い稲妻が迸る。
違う。稲妻じゃない。あれはソヨだ。
絶体絶命のピンチにソヨの踵落としが蛇人間の頭部を地面に叩き付ける。前宙の勢いが乗った一撃は鈍い音を発する。
暗い世界に靡く銀髪の美しさが眩しくてしょうがない。
一瞬で倒された蛇人間の一人が霧散。
もう一人は仲間の死に怒り、悲鳴のような声を出しながらソヨに襲い掛かる。
足が竦んでしまいそうな迫力を前にしてもソヨは落ち着いている。死神の鎌のような鋭い目付きで蛇人間を睨み、跳躍。
宙を舞えば小柄なソヨと相手の身長差が縮まる。ソヨは空中で器用に体を捻り、蛇人間の横っ面に向かって右足を振り抜いた。
あれが特異体質の本気……良いなぁ!
「この馬鹿野郎」
「あ痛っ!」
ソヨに見惚れていたら頭を叩かれた。
「対処も出来ねぇ癖に危険な場所へ行くな」
「ご、ごめん……つい体が動いてて。そうだ、君の他に逃げ遅れた人とか居る?」
「わかんない。もしかしたらおみせにいるかも」
「じゃあ、ソヨ! 助けに行こう!」
「もう専門家が駆け付けてる。あいつらに任せるのが一番だ。素人が首突っ込むことじゃない。行くぞ」
唯一戦えるソヨにそう言われたら従うしかない。
先頭を走るソヨの背中を見つめる。どうしてソヨは妖怪を倒せる力を持っているのに助けようとしないんだろう。助けられるはずの命が消えたら嫌じゃないのかな。
……そう言えばソヨが人を助けたって噂は聞いたことがないかも。
その後、私たちは男の子をお母さんに預けて駐車場に戻ってきた。
ソヨがバイクのエンジンを掛け、跨る。
「さ、帰るか」
「そうだねー! いやー濃ゆい一日だった……!」
「約束通り乗せてくから住所教えてくれ。今スマホのナビに設定する」
スマホを操作しながらソヨが言う。
そっか。今日もまた終わりが来ちゃったんだ。家に帰らないとか。
友達と遊んだりするのは楽しいけど、さよならが寂しい。
はぁ……私にも特別な何かがあったら良かったのに……?
住所を言いながらないものねだりをしていると手にひんやりとした感覚。知らずに泣いてるのかと思ったけど違う。
「雨……意外と強いね」
「月乃の家、意外と遠いな。びちゃびちゃになっちまうし、ウチ来るか?」
「え?」
え……?
ソヨのバイクに乗って到着したのは島で一番有名な帷神社。
流されるままに家に上がり、お風呂を借りて、着替えを借りて、ソヨの部屋でソヨがお風呂を終えるのを待っている。
ソヨの家族の宮司さんっぽいお爺ちゃんがあったかいお茶を入れてくれたけど何か妙に緊張しちゃう。なんで正座してるんだろ私。
緊張してるのは貸して貰った着替えの影響もあるかも。
その緊張を解したくて部屋を見渡す。ベッドはなくて部屋の隅っこに布団が畳まれている。本棚には話に聞いてた通り漫画がずらりと並んでいる。
思ってたよりも普通の部屋って感じで、中でも目を引いたのはコンパスのバッジが付いた黒くて細長いケース。
その側にはバイクやギターの雑誌が見える。
「あの形……ギターかな?」
手を伸ばそうとしたら階段を上がる音が聞こえた。
悪いことをしてる訳じゃないのに慌てて座っていた位置に戻る。
「おーっす……ははは! 似合ってるぞ!」
開口一番過去一楽しそうにソヨが笑う。
「ありがたいけどさ……なんで着替えこれなの!?」
私が着替えで貸して貰ったのは白と赤の綺麗な巫女服。
着慣れないし、下は湯文字で上は付けてないからそれも含めて恥ずかしい。
ソヨは笑いながら畳の上に腰掛け、急須を使って自分のお茶を淹れる。
「しょうがねぇだろ。アタシの服だと小さくて着れないじゃんか。その点巫女服ならサイズは一杯ある」
「こんなのを寝巻きにして神様に怒られない?」
「人助けの為なら許してくれるさ。それに似合ってるぜ。金髪が逆に良い味出してる」
自分の部屋だからリラックスしてるソヨは豪快に胡座をかき、口調にも余裕が感じられる。凄く楽しそうだ。
ソヨが喜んでるのなら巫女服を着た甲斐があるかな。
余り笑わないソヨへの人助けだと思えば……あ。
「人助けで思い出した。何でさっき他の人たちを助けようとしなかったの? 最近は妖怪も増えてるし、ソヨなら倒せる力もある。困ってる人たちに手を伸ばすのは多分正義だと思うし、ヒーローになれるじゃん!」
私はラノベで見た皆んなに支持されるヒーローが好きだ。
特別な力を持っていて、それこそソヨみたいに強い力を持っている。
正義と悪ははっきりどうこうと言えないけど、目の前で困ってる人が居たら助ける。それはきっと間違いじゃないと思いたい。
「アタシは仮面も被ってなけりゃ光の巨人にもなれないんだ」
ソヨは窓を開けて煙草を吸い始める。
さも当然のように当たり前のことを言われて私の頭に疑問符が浮かぶ。
答えを出そうと唸ってたら「ふふっ」とソヨが鼻で笑った。
「分かってねぇって顔だな。残念ながらヒーローが賞賛されるのは絵空事でフィクションだけの特権なんだよ」
「そんなことないんじゃない? さっきの男の子とお母さんもありがとうって言ってくれたよ?」
「助けたからな。あれくらいなら大丈夫だろうけどアタシがヒーローとして大々的に立ち上がった時、浴びるのは賞賛の嵐じゃない。助けられなかった命があることへの非難と悪意の嵐だ」
嘲笑するソヨが言った助けられなかった命。
それは今まで命を助ける職業の人が沢山見てきたはず。でもどうしようもない時があるのは事実だ。こんなことを言えるのは失ったことがないからかもしれない。
仕方ない時は間違いなくあるはずなんだ。だって私たちは——あっ、そうか。
ハッとしてソヨと目を合わせた。
「そう、アタシはヒーローじゃなくて人間だ。顔も分かる。言葉の通じなさそうな光の巨人でもない。そしたら責任も何もかもが全部アタシに来る」
「だから……ヒーローは身分を隠すんだ……」
ずっと謎だった。特撮のヒーローたちが何故正体を明かさないのか。
「だから目の前で死にそうになってる奴が居たりすれば話は別だけど、わざわざ困ってる人を探して助けようとはしない」
「感覚的には私が悪事を取り締まらないのと似たような感じ?」
「かもな」
そう言って煙草を吸い終えたソヨが布団を広げ始める。
「ヒーローが賞賛されるとしたら危機を解決するのと同時に死んだ時だったりするんじゃねぇかな」
「もしくは一人目が負けた相手に新しい二人目が勝った時とか?」
「それラノベの話だろ」
確かに。所謂引き立て役が居る時……って言うのはなんか嫌かも。
ラノベに出てくるあの手のキャラは嫌なキャラとして書かれてるから負けても何とも思わないんだ。
「明日も学校だし、そろそろ寝ようぜ」
「だねー……私の布団は?」
ソヨの部屋に敷かれた布団は一つだけだ。
「ない。だから二人で使う。アタシが小さいから月乃も入れるだろ」
「え……えぇ!? いやいや! 畳の上で良いよ!」
「雨降ってんだぞ。流石に寒いだろ。ほら入れよ」
ソヨは敷布団の端っこに寝転び、私に背を向けて毛布に潜る。
同衾なんてナナウミとだってやったことないのに。やったら捕まらない?
どうしようどうしようと悩んでるうちにくしゃみが出た。
「じゃ、じゃあお言葉に甘えちゃおうかな」
背中合わせになるように布団に潜り込む。暖かい。
でも、なんか緊張しちゃって寝付けない。
「ねぇ、起きてる?」
「起きてるよ」
「今日はごめん。勝手に飛び出しちゃって。私なんか何も出来ないのに」
「……そんなことねぇさ。知らない人を助けるのに迷わないで飛び込んでいけるのは凄いと思う。アタシには出来ないから」
それに最近は悪の成敗を優先する奴が多いから、とソヨは言った。
声色が優しく感じる。表情が見えなくて感情も分かりにくいはずなのに話し易く思える。同じ布団に居るからかな。
「ほんの少しだけ皆んなが優しくなるだけで良いのにね」
「そうだな」
ふと溢れた言葉をソヨが肯定してくれる。
優しく包み込んでくれるようなふわりとした声に安心して、意識は深く奥の奥へと包まれていった。
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