『絵になる姿を見せろというのだわ』


          ■■■


「何をしているの」


 激しい土砂降りに紛れての撤退中、突然部下に突き飛ばされた隊長が、呆然と呟いた。


 白銀の美と称えられた髪は、草臥れ、艶を無くし。

 絢爛だった軍服は、血と泥と油に汚れ。

 虚ろな目をした少女が草原に立ち竦み、足元に横たわる身体を見る。


 自分を庇い。突き飛ばし。

 魔法の砲撃を受けて倒れた、亡骸を。


「何をしているのよ」


 今日までずっと、皆の寄る辺であり指針であり続けた心の輝きは、ついに今……最後の部下、立派に努めている様を見せねばならない相手を失って翳り曇った。


 雨が強い。

 泥濘でいねいが、深く、足を取る。


「誰より生きるのが、あなたの仕事でしょう。あなたが死んだら、誰が何を、記録するのよ」


 愚にもつかない。それは今、特段明らかにすべき議題ではない。

 わかっているはずだ。音と視界を遮る豪雨のカーテンの向こうに、何がいるのか。


 恐るべき敵の掃討部隊。包囲網を掻い潜るには、一秒でも速やかな行動と、的確な判断を欠いてはならない。彼女の部隊がこれまで、何を失いながらもそうしてきたように。


「だめだよ」


 それは幼い声だ。そして、脆い声だ。

 責務で義務で塗って固めて隠してきた本質が、ついに滲んで漏れた声。


「いやだよ」

 

 帝国の第十三皇女ではなく。

 神算鬼謀を戦地で振るう、特殊部隊【栄光の王冠クラウンマーチ】の長ではなく。

 ただの、十二歳の少女のことば。


「ひとりにしないで。わたしを、おいて、いかないで」


 かがみこんで発した呟きは、雨音に負けている。周囲の敵兵にも、足元にさえ届かない。

 ——なのに。ああ、なのに。

 届けられないはずのことばを、聞いたかのように。


「————————え?」


 そんなはずはないのだ。

 だって、彼にはもう。雨の強さ以前に、声の大きさ以前に。

 彼女を庇って受けた砲撃で、姿を見るための目も、彼女の声を聞くための耳も——。


「…………」


 病んだ心の幻覚か。正気を比べる誰かもおらず、少女には区別がつかない。

 だが。これが夢でも、現でも、ひとつ確かなことがある。


 ——手を伸ばして、親指ではじかれた、額の痛み。

 ——少女がいつも、彼や、隊の皆にやっていた……弱気を吹っ飛ばす、生還のおまじない。


 それを、逆にしてもらったように、自分が感じたということ。

『先へ進め』と、押されている。


「あなたは、そうやって。いつも、いつも、いつもいつも……」


 苛立ちの篭った言葉を吐きながら、少女は、立ち上がって、笑った。


「わたしに。せいぜい絵になる姿を見せろというのだわ、シャフト・エーギリー特技兵」


 八方に敵の兆し。此処は紛うことなき死地。

 それでもまだ、生きている。


「わかったわよ。あがこうじゃない。ええ、わたし自身が、散々言ってきたのだもの——『他人が定義した不憫など、わたしたちの生きざまには何の関係もないことだわ』って!」


 他でもない自らの記録を杖に、少女は泥濘より抜け出した。


 最初に三百。

 削れて二百。

 断たれて百。

 残して五十。

 守って十五。

 託されて七。

 逃がして二。


 そして只今、送られて一。

 たった一人の、【栄光の王冠】。


 汚れきり、装飾もなく。けれど、みすぼらしさもまた、微塵もなく。

 雨に濡れ、泥にまみれ、失意に沈み、それでもなお、再び貴く。


 自らの成すべきを、成し遂げるために。

 土砂降りの雨の中を、歩いてゆく——。


          ■■■


 ——その再起と出発を、彼は知るよしもない。


(……行った? 行ったか? 行ったよね? 行っててくれよ、本当さ)


 そんなふうに思考するのは、草むらに打ち捨てられたもの。

 自分が何をやれたか、相手が何を選んだか、彼……シャフトはまったく把握できていない。隊長の少女を突き飛ばした直後から、シャフトの認識は外部との接続を断たれており、茫洋とした闇に浮かんでいる心地があるのみだ。

 それがどれだけ異常なことかも、当の本人はこれもまた知らない。


 何しろ。

 今の彼には、目も耳も口も、本来、生き物が何かを考えるための■■も——。


(ああ、やれやれ。これで僕もか)


 記録入り。

 それは、彼らの部隊で使われていた俗語スラングだ。

 意味は、死して隊を抜けること。戻れぬ花道を行き、残った者に語られる存在となること。


 シャフトはずっと、それを行う側だった。託されて、任される役だった。

『俺たちは贅沢なもんだ。お前が居るから、楽しみに死ねる』……そんな言葉を笑い話に、しかし本気で聞いてきた。


(僕は……どうだろうなあ。あの人は『あなたはいつも仲間にそうしてばかりだったから、あなたの記録は、きっとわたしが残してあげる』って言ってくれたけど)


 想像する。

 彼女が、彼を思い出し、精一杯記録に残すことを。

 それはとても楽しみで、実物を見られないことなど関係ない、ありったけの希望だった。 


(それじゃあ僕は——みんなの最期はどんなふうに記録したかを、伝えにいくかな)


 かくして、銀鉄帝国【栄光の王冠】部隊総勢三百名、隊長たる第十三皇女に随伴した最後の一人が、雨中、泥濘に転げて戦を終える。


 シャフト・エーギリー特技兵。

 享年、三十二歳。


(約束だよ。君はきっと……僕の記録を書けるくらい、生き延びてくれよな、レキーナ)


 彼は最期に、これまで目に焼き付けた中で、もっとも気に入った彼女の姿を思い返そうとしたが、それが叶う前に意識は闇の底深くへと沈んでいった。


          ■■■


 そう。彼はまだ知らない。

 己が目と耳と心を経由させる現実の抽出を生業とした生は、むしろ、ここからが本当の始まりであるということを。

 これからシャフト・エーギリーが、何を記憶し、何を記録していくことになるのかを。


 ——さて。

 彼が再び、自らの筆で世界に挑むまで、あと————————



[Prologue Break Shaft — End.]

[To be Continued.]



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