エピローグ

 流れていく外の景色を眺めながら、穂乃果はつい数時間前に起きた出来事を思い返して頬を緩めた。

 穂乃果がミルヒライスを完食した後で、美和がお腹が空いたと言い出し、三人で外にご飯を食べに行こうという話になったのだが、学人が躊躇いがちに少し待ってほしいと引き留めたのだ。


「穂乃果ちゃん、お化粧が崩れているからちょっと直したほうが良いわ」


 目をこすったことと泣いたことによって、穂乃果の下瞼にはマスカラの黒い色がついてしまっていた。

 慌てて化粧を直そうとした穂乃果だったが、食事をするだけだからと思いメイクポーチを自宅に置いてきてしまっているのに気付いた。美和から借りた手鏡の中の自分は目がパンダのようになっており、このまま外に出るのは少し恥ずかしい。


「あら、それならメイク道具貸してあげるわよ」

「え、あるんですか?」


 穂乃果の心を代弁するように、美和が驚いた声を上げる。

 学人はレジが置いてある長机の下から可愛らしいピンク色のポーチを取り出すと、必要な道具を穂乃果の前に置いた。


「……何であるんですか?」

「何でって、新作のコスメが可愛かったから買ったんだけど?」

「でも学人さん、お化粧しないじゃないですか」

「でも、可愛いでしょう?」

「いや、可愛いは可愛いんですけど……何故?」


 真顔で問う美和の顔が面白くて、穂乃果は声をあげて笑った。

 あの時の美和の表情を思い出して吹き出しかけるが、電車内だと言うことに気づき口元を引き締める。

 使う予定はないのに可愛いからと無駄遣いをしてしまうことは、穂乃果にも身に覚えがあった。しかし同時に、使いもしないのにどうして買ったのだろうという美和の疑問も十分に理解できた。

 穂乃果は震える口元を隠すようにスマホを開き、メールを立ち上げると美和にメッセージを送った。


「短編のお話って、まだ間に合いますか?」


 一度スマホを仕舞おうとしたところ、鞄に入れる直前で通知を知らせるランプが灯ったのが見えた。美和の返信速度に驚きつつ確認してみれば、意外にも差出人は南原朝日だった。

 SNSで何度かやり取りをしたことはあったが、大抵はあいさつ程度のもので、何もないときに南原朝日からメッセージを受け取ったことはない。

 もしかして、昼前に送った感想に対してのお礼だろうかと思いながら開いてみれば、びっしりと書き込まれた文章に目を見開いた。

 それは、魔石から描く虹を越えるを読んだ感想だった。彼らしい深い考察と繊細で緻密な文章に目を滑らせ、最後に添えられた一文で止まる。


「続き、待ってます」


 憧れの先生からの嬉しい言葉に舞い上がる間もなく、今度は美和からメールが届いた。


「受けていただけるんですか?」

「はい、ぜひ」


 そこまで打ち込み、送信を押す前に思い直して一言付け足す。


「はい、ぜひ。やらせてください!」


 依頼をされたから受けるのではなく、穂乃果がやりたいからやるのだ。


(頑張らなきゃいけないから頑張るんじゃなくて、頑張りたいから頑張るんだ)


 書下ろしの短編も、連載の続きも。

 誰もが認めるような話は書けないかもしれないが、誰かが認めてくれる話なら書ける。不特定多数の批判に立ち止まるよりは、誰かの期待を背負って前に進みたい。


(続き、早く書きたいな……)


 じれったいほどにゆっくりと進む電車の中で、久しぶりに沸き上がった創作への熱意に、穂乃果は高揚していた。

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