第十話
レッドスカイファイアードラゴンの肉に比べれば、人魚の肉などさして問題ではない気がして、十夜は結局口をつけた。
焼きあがったばかりの良い香りと、ミディアムレアの断面から滴り落ちる肉汁に負けたのだ。
人魚の肉は確かに牛肉よりも甘く濃厚で、噛んでいるうちに舌の上で蕩けた。
黄金色のぶどうジュースに、神獣の乳から作られたチーズ。これで最後だと言って出された華奢な銀のケーキスタンドには、色とりどりのスイーツが並んでいた。
端から順に、どの物語のどんな文章をコピペして作ったのか、男性が解説を入れていく。
「そのマカロンはね“百一回世界を作ったんだから、百二回目は自分たちで頑張ってください”の主人公、リオネル君が作ったピスタチオーネから作ったの」
「ってことは、ピスタチオ味ですか?」
「残念、ピスタチオーネはアーモンドのことでした!」
「本当ですか? ……うわっ、本当にアーモンドだ!」
予想できない名前から、予想の斜め上の名前まで。材料当てクイズをしながら、次々と食べていく。
とっくの昔に満腹だったはずにもかかわらず、食べられてしまうのが不思議だった。
最後までとって置いた真っ赤なハートの形のチョコレートを、少し照れながら口に放り込む。口内の温度で溶けだしていくそれを最後まで味わうことなく、真っ白なティーカップになみなみと注がれたコーヒーで流してしまう。
「あっ! そのチョコレート、特別なものだったのに!」
「え、そうだったんですか? ハートだからなんとなく気まずくて……」
「んもう、そんな思春期の男の子みたいなこと言わないでよ!」
「いや、思春期の男の子ですし」
「……そう言えば、そうだったわね」
またしても男性は、十夜の年齢を忘れていたようだ。
苦笑しながら、コーヒーをもう一口飲む。大賞受賞作からコピペしたコーヒー豆を使い、ゆっくりと時間をかけて抽出したコーヒーは、苦みが少なくフルーティーな香りがした。
「どのお話からコピペしたチョコレートだったんですか?」
「“魔石から描く虹を越える”よ。主人公のカイル君が、旅の途中で亡くなった……」
「それって、
男性の話を遮るために、答えの知っている疑問をぶつける。
読んではいなくとも、彼女の話だということは分かっていた。
「そうよ。あのお話、本当に素晴らしかったわ。細部まで設定が細やかで、キャラクター達も生き生きとしていて。十夜君は、読んでないのよね?」
「はい。でも……帰ったら読んでみようと思います」
微かに舌に残ったチョコレートの味を確かめるように、深く息を吸い込んだ。コーヒーの香りに負けてしまいそうにはなっているものの、トロリとした甘さを感じる。
このチョコレートが作中のどんなタイミングで出てきたものかは分からないが、優しく深い味わいだった。急いで溶かしてしまったのが、勿体ないと思うほどに。
「……それで、今回のフルコースはどうだった? 美味しかった?」
優しい微笑みを浮かべながら、男性が首を傾げる。
何も言わなくても、答えは分かっている。そう言いたげな瞳から目をそらし、小さく頷いた。
言葉にしてしまうと負けた気になるので言いたくなかったが、キチンと向き合わなくてはいけない。
十夜は大きく息を吸い込むと、吐き出す力に任せて本音を吐露した。
「美味しかったです。悔しいくらいに。これが、物語に命を吹き込むってことなんだなってわかりました。自分の話が、全然及ばなかったことも」
「あのね、十夜君。物語が生きているかどうかと、賞を受賞するってことは全くの別物なのよ」
思ってもみなかった言葉に、十夜は足元に落としていた視線を上げた。
相変わらず男性は柔和な笑顔を浮かべており、全てを包み込むような優しい眼差しは、慈しみに満ちていた。
「例えば、すごく美味しいって評判のイタリア料理屋さんがあったとするでしょう? でもその日、十夜君は物凄く中華が食べたい気分だったの。そんな中でイタリアンを食べても、手放しで美味しいとは思えないでしょう? だって、どんなにそこの料理が美味しくても、十夜君の求めていたものとは違うんですもの」
「つまり、俺の話は出版社が求めていたものではないってことですか?」
「まぁ、平たく言うとそう言うことになるのかしらね」
「でも、それなら中華が食べたいって言ってくれれば……」
「そこが難しいところなんだけどね、中華が食べたいまではちゃんと言っていると思うのよ。なんなら、ラーメンや餃子が食べたいってことまで指定してくれているかもしれない。でも、十夜君が出したのは醤油ラーメンで、求めてたのは塩ラーメンだったのかもしれないわ」
「なら、塩ラーメンって言ってくれれば良いじゃないですか」
「そうね。でも、塩ラーメンを作ったところで、麺の太さやチャーシューの枚数が理想とは違うってこともあるのよ。相手だって、食べたい物のイメージを細部まできっちり想像できているわけじゃないのよ」
一万を超える中から、ボンヤリとあるイメージを頼りに、理想に最も近い一品を選び出す。初志貫徹で塩ラーメンを選ぶかもしれないし、目移りして最終的に醤油ラーメンに手を伸ばすかもしれない。どんな経緯で何を選んだのかは、相手にしか分からない。
「賞って言うのは理想の探り合いであって、そこに作品の良し悪しはあまり関係ないと思うのよ。相手がどんなに素敵な人でも、それだけで好きにはならないでしょう?」
十夜の脳裏に、クラスメイトの少女の顔が浮かんだ。
華やかな美少女で、容姿を活かしてインフルエンサーとして活躍していた。頭もよく、社交的で誰とでも仲良くなれる、まさに完璧な女の子だったが、だからといって十夜が彼女を好きなのかと聞かれれば、話は別だ。クラスメイトとして、友人としては好きでも、それ以上の感情はない。
「ところで、十夜君はどんな話を書いているの? 私、読んでみたいわ」
習慣で反射的に、小説など書いていないと否定しそうになるが、今更そんな嘘をついたところでどうしようもない。
十夜は自身のペンネームを教えると、すぐさま検索して読み始めた男性の顔をじっと見つめた。
今まで目の前で読まれたことが無いため、恥ずかしさと緊張でつい肩に力が入る。
男性の目が、高速で左から右への往復を繰り返す。右手に握ったマウスホイールは回転を続け、カチカチとクリックする音だけが響いた。
かなり文字数があったはずだが、男性はすぐに読み終わると長く息を吐いた。それがどんな意味のため息なのか分からず、みぞおちのあたりがギュッと縮まるような嫌な感覚がした。
「正直に言うとね、あんまり期待していなかったのよ。でも……良いじゃない、この話。私は好きよ!」
キラキラと目を輝かせながら、男性が感想を話し出す。今までに何度もSNSや投稿サイトで感想を貰ったことはあるが、こうやって目の前にいる人から聞いたのは今日が初めてだった。
萎みかけていた自信が、ゆっくりと回復していくのがわかる。苛立ちも焦燥感も、初春の日差しに溶ける雪のように消えていく。
「……それで、この続きは?」
結果発表の日から、更新は止まったままだった。パソコンに向き合うたびに、チリリと痛む胸が邪魔をして、書き進めることが出来ていなかった。
けれど今なら、きっと続きが書ける。いや、書きたいと強く思った。
「来週には」
「楽しみに待ってるわね」
純粋な期待は、十夜の荒れていた心にジワリと沁みわたった。
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