第三話
千早から、休みの日に昼食を一緒に食べに行かないかと誘われたのは、数日後のことだった。
あまり食事の誘いをしない千早にしては珍しいと思いながらも、特に断る理由も見当たらなかったため、すぐに了承の返事を送った。
もしかしたら千早は、十夜の様子がおかしいことに気づいていたのかもしれない。二つ年上の百花とは違い、千早は人の感情に敏感なところがあり、昔から十夜が何かに悩んでいるとそっと手を差し伸べてくれた。
約束の日、指定された駅へと向かう車内で千早からメッセージが送られてきた。
「ごめん、突然仕事が入っちゃって、一緒に行けそうにないんだよね。本当にごめんね」
「仕事なら仕方ないね。俺は適当に何か食べるから、気にしないで」
両親は仕事で家を空けており、百花は昨日から友達の家に泊まりに行っている。三つ年下の弟のために弁当が用意されてはいたものの、十夜の分はない。
ファミレスに入っても良いし、お弁当や軽食を買って帰っても良い。交通費が無駄になってしまったが、数百円程度ならそこまで懐は痛まない。
「それなんだけど、そんなに難しい場所にあるわけじゃないから、十夜だけでも行ってみない? お店の人には言ってあるから、お金は心配しないで」
「予約制の場所? キャンセルできないとか?」
「そう言うわけじゃないんだけど、ちょっと仕事が立て込んでて、十夜と時間合わせるの難しそうなんだよね」
「お仕事お疲れ様。でも、昼食くらいそんな急ぐことじゃないでしょ?」
「そうなんだけど……」
煮え切らない返信の後で、困ったような顔で微笑む猫のスタンプが送られてくる。
暫く待ってみたものの、千早からのメッセージは送られてこない。
できれば今日行ってほしい。そんな感情が、無言の時間から聞こえてくる。
「なんてお店なの?」
最初に折れたのは、十夜のほうだった。
どうしても行きたくないわけではないし、千早がこう言うからには高校生が一人で入っても問題ない場所なのだろう。幸い、十夜は一人でご飯を食べることに抵抗はない。お金の心配もしないで良いのなら、このまま次の駅で降りて引き返して交通費も時間も無駄にするよりは、千早の提案に乗ったほうが良い気がしてきたのだ。
「禁断食堂って言うんだけどね」
「禁断? なんかヤバイ食材使ってるとかじゃないよね?」
すぐに既読がつくが、返事はなかなか来ない。普段の千早なら、読めばすぐに返事をくれるのだが。もしや、本当に違法すれすれの食材でも使っているのだろうか。
電車が次の駅に近づき、緩やかにスピードを落とす。軽い揺れの後に扉が開き、本格的な冬の冷たい空気が暖房のきいた車内に流れ込んでくる。
「食材は、どうなんだろう。ちょっと言葉では言い表せないかな。でも、味は確かだよ」
やっと届いた千早からのメッセージは、不安をあおるようなものだった。
これはやはり、帰宅途中にファミレスに寄って食べたほうが良いのではないか? そう思い座席から立ち上がりかけるが、無情にも発車ベルが鳴り、扉は閉じてしまった。
脱出に失敗した十夜は、浮かせていたお尻をもとの場所に納めると、次の停車駅を告げる車内のアナウンスにため息をついた。本来なら、千早と待ち合わせをしていた場所だ。
「誤解無いよう言っておくと、食材自体は体に悪いものじゃないよ。むしろ、体には何の害もない代わりに栄養にもならないというか」
「害もないけど栄養にもならない食材って何だよ。霞?」
「あぁ、うん……近い、かな?」
またしても冗談で言ったはずの言葉が、そのまま受け入れられてしまう。
「あのさ、はっきり言ってくれないと分からないよ」
「私だって、きちんと説明したいとは思ってるんだよ。でも、言っても信じてもらえないだろうから、実際に見たほうが早いかなって」
「千早姉は百花と違って変な嘘とかつかないんだから、信じるよ」
少し年の離れた千早とは違い、二つしか年齢の違わない百花のことを、十夜は呼び捨てにしていた。小学校に上がる前までは、千早のことは「ちー姉ちゃん」百花のことは「もも姉」と呼んでいたはずだが、いつしか姉の一文字が消えてしまった。
年齢以上に大人びていて時に母親代わりのようだった千早とは違い、弟にも一切譲ることなく我を通し、幼い言動の目立つ百花を“姉”と呼ぶことに違和感を覚えたからだ。実際、百花と十夜は背格好も顔立ちもよく似ており、双子のように扱われることが多かった。
百花も十夜に呼び捨てにされることに抵抗感はないらしく、すんなりと受け入れていた。
「あのさ、十夜は小説とか、書いてる?」
予想外の質問が飛んできて、十夜は面食らった。
今そんなことを尋ねたところで、何の意味があるのだろうか。
関係ないじゃんと打ちかけた文字を消し、代わりに質問を返す。
「なんで?」
「百花が前に、賞なんて簡単に取れるって言ったとき、怒ってたから」
「怒ってないけど?」
「怒ってたよ。だって十夜、怒ったときは右眉がピクピクするから」
思わず右眉を指先で押さえるが、当然今は指先に何の反応もない。
どう返信すべきか迷い、降参のスタンプをポンと一つ打った。すぐに既読が付き、返事が送られてくる。
「言いたくないなら別に良いんだ。家族だから隠し事はせずに何でも話さなきゃいけないなんて思わないし。ただ、小説を書いているなら、あのお店は面白いかもしれないなって思って」
謎々のような千早の言葉に、答えを求めて考えこもうとしたとき、さらに十夜を悩ませるようなメッセージが目に飛び込んできた。
「そのお店は、禁断食堂って書いてコピペ食堂って読むんだけどね、小説から料理を作るの」
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