後編

「な……なんで文字がお肉に……」

「やあね、肉の文字をコピーしてペーストしたんだから、お肉ができるのは当然じゃない」

「当然じゃないって言われても……」

「そうだわ。おろしポン酢にしましょう! 見た目も華やかに天の川を使って、口の中で弾ける感じも出せたら楽しいわね」


 次から次へと本が宙を舞い、文字が浮き上がる。


【最後にポン酢を一回しすれば、懐かしいあの味に出会える】

【吹き降りてくる六甲おろしの冷たさに、牧長まきながは首をすくめるとコートの襟を立てた】


「思い出のポン酢に、冷たいおろし。これを合わせれば良い味になると思うのよね」

「おろしポン酢のと、六甲おろしのは違う意味だと思うんですけど」

「大丈夫。六甲おろしのでも、ポン酢とくっつければちゃんとおろしポン酢になってくれるんだから」


【雨雲がゆっくりと流れていき、天の川が眼前に広がった】

【俺の撃った弾丸は真っすぐにその男の胸にあたり、鮮血が弾けた】


「希望の天の川に、鮮やかな弾け……」

「ちょちょちょ、不穏な文章を選ばないでくださいよ!」

「大丈夫よ、味はないから。口の中でソースが弾ける感じに使うだけだから!」

「何も大丈夫じゃないですよ! 鮮血が弾けるってこういう感じなんだなって、お肉食べながら思いたくないです!」

「もうっ、我儘ねぇ。それじゃあ、こっちの弾け方にしましょうか」


【見上げた夜空で、大輪の花火が弾けた】


「焼き方はそうね……火の妖精にお任せしましょう」


【ミリルの願いを聞き入れ、火の妖精がかまどに舞い降りるとパンを焼き始めた】


 全ての言葉が物体となり、合わさって美味しそうなステーキが出来上がる。

 男性がどこからか取り出した真っ白なお皿をステーキの下に置けば、スルリとその上に乗った。爽やかなポン酢の香りが広がり、ジュウジュウと肉の焼ける良い音が響くが、ある地点を境に匂いも音も文字へと変わると砂のように崩れてしまった。


「文字から作った料理は、いずれは文字に返るの。音とか匂いは広がりを持つから、ある程度本体から離れると文字に戻っちゃうのよね」


 ジュウジュウという文字が、徐々に小さくなっていく。小指の先ほどで漂う文字をつつけば、儚く消えてしまった。


「飲み物はレモンスカッシュにしましょうか。青春の淡いサイダーに、初恋のレモン、ハチミツは優しいものを」


【不意に頬に押し当てられた冷たさに驚いて振り返れば、凛子りんこがサイダーを差し出してきた】

【今年も見事に実ったレモンを見上げながら、いるはずのない彼女の姿を探す】

【切った大根と蜂蜜を保存容器に入れて数時間待てば、子供のころに母がよく作ってくれたハチミツ大根が完成する】


 グラスに蜂蜜を少々垂らし、続いてパチパチと弾けるサイダーが注がれた。最後に、宙に浮かぶの文字をギュっと親指と人差し指でつぶせば、果汁がしたたり落ちてきた。

 潰れたの文字が、絞り終わった後のレモンへと変わる。しばらく宙を漂い、再び潰れたの文字に変わると、崩れて消えてしまった。


「ほら、温かいうちに食べちゃいなさい」


 促されるまま、お皿の横にセットされたナイフとフォークを取った。

 文字から生まれたものだとは思えないほどにリアルなステーキに、夏バテで萎えていた食欲が膨らんでいくのを感じる。ゴクリと喉を鳴らし、刃先を肉にあてる。ナイフの重みだけで切れた肉の断面は中心が鮮やかな桜色で、見事なミディアムレアだった。

 かかっていたソースがトロリと流れ、煌めく星々が蛍光灯の明かりを反射する。天の川のソースは深い藍色で、口に入れるのを躊躇するような色をしていたが、漂ってくるのはポン酢のさわやかな香りだ。

 断面にたっぷりとソースをつけ、口に入れる。舌の熱で溶けだす肉の脂が、星が弾けるたびに広がるおろしポン酢の味に包み込まれていく。ねっとりと絡みつくような濃厚な肉の味と、鼻に抜けるポン酢の酸味がよく合っていた。

 舌の上で溶ける感触とポン酢が弾ける食感をまた体験したくて肉を切るが、口内に広がる味を飲み込むのが惜しくて、まごついてしまう。変なタイミングで飲み込んだせいで喉に引っ掛かり、むせながらレモンスカッシュに手を伸ばす。

 喉を通り過ぎる炭酸がすべてを洗い流し、ほんのりとした甘みとキリリとした酸味が舌を支配する。口の中に広がるレモンの香りが心地よく、思わず目を閉じた。

 しかしすぐに鼻孔を肉の匂いがくすぐり、ステーキにかぶりつく。至福の味が消え去る前に、レモンスカッシュを口に含む。弾ける炭酸とレモンの酸味に、再び肉への気持ちが高まっていく。

 一心不乱に肉を切り、口に入れ、レモンスカッシュで流していると、あっという間に食べ終わってしまった。お皿に残った僅かな天の川のソースもフォークの先でとり、舌先で味わう。


「こんなに美味しいステーキ、初めて食べました」

「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない。でも、空腹は最大の調味料っていうくらいだからね、あなたの心の栄養が枯渇してたんじゃないかしら」

「心の栄養?」

「本は心の栄養って、聞いたことあるでしょう? ここで食べたものは、元は文字だからね、全部心の栄養になるのよ。今はお腹いっぱいかもしれないけれど、しばらくすればまた文字に戻って消えてしまうから、体の栄養になるものを食べなさいね」


 ニコニコと人の好い笑顔を浮かべ、男性が空いた食器を宙に投げる。食器たちはある程度の高さまで到達すると、ふっと姿を消した。文字になって崩れるということはなかったため、手品を見ているような気持だった。


「えっと……それで、お会計は……」

「あぁ、お会計ね。なんだかんだ、私が全部決めて食べさせちゃったようなものだし、今回はお試しってことで、お会計はナシで良いわ。でも、次に来たときはしっかり払ってもらうわよ」


 突然の申し出に恐縮しながらも、手持ちの少なさを思い出して厚意に甘えることにした。その代わり、次に来るときは財布をきちんと膨らませておこうと心に決める。


「あの、もう一つだけ聞きたいことがあるんですけど」

「なあに?」

「レモンが出てきた本のタイトルを教えてほしいんですが」

「あら? もしかして、あのレモンの味気に入ったの?」

「はい」


 男性の人差し指に呼ばれて出てきた本が、ふわりと手の上に乗る。表紙にはどこまでも続く果樹園が描かれており、実ったレモンの黄色が鮮やかだ。

 クエンの約束という赤文字を指先でなぞり、何度も心の中で復唱する。


「良かったら、その本買っていく?」

「えっ、買えるんですか?」


 驚きに顔をあげれば、悪戯っぽく微笑む男性と目が合った。


「もちろんよ。こんなに本があるんだから、売ってるに決まってるでしょ。食堂と書いて、書店とも読むんだから」

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