第2話 教授からの呼びだし

「何か、転科前に質問はありますか? 或いは、データに表れていない些細な気付きや病状変化でも、気軽にどうぞ」


「い、いえ……。毎度、丁寧過ぎるぐらい丁寧に説明して頂いてますので……。大丈夫です」


「そうですか、それは良かった」


「先生は本当に、几帳面きちょうめん過ぎるぐらいに丁寧で……。あのお金は、本当に感謝のつもりだったんですが……」


 まだ言うか。

 金とは、様々な意味で重いんだ。

 人生で稼げる額の目安は、概ね決まっていると言うのに。

 たとえこの患者の主張が事実だとしても、正当な診療報酬だけでなく、このような無駄遣いをしたがる気性は好ましくない。


「お気持ちだけで結構です。私はやるべき当たり前のことをしただけです。人の不幸で飯を喰わせてもらっている仕事として、ね」


「……人の不幸で、飯を?」


「そうです。医者っていうのは、病気やケガで不幸になる人が居なければ不要な仕事です。そして、それは有史以来供給の絶えない不幸だ。これだけ医学や科学技術が進歩して、日夜研究業務に励んでいようと、人が不幸になる歴史に終止符しゅうしふを打てないでいる。つまり、医者とは人の不幸で飯を喰い続けて行く仕事なんですよ」


「それは……。少し、自虐され過ぎでは? 私は、先生に命を救われました」


「そう、それです」


「え?」


「不幸の中でも、最悪の不幸よりは少しマシだ。そう患者さんに思ってもらえたのなら、充分です。袖の下なんて渡されたら、不幸な人に余計な不幸を追加してしまう。そんなプライドのないルール違反者に、私はなりたくないんです」


「あ……。そう言う、ことですか。……先ほどは、本当に失礼しました」


「いえ。それでは、もう二度と私に遭わないことを、お祈りしています」


「……え? そこは、また会いましょうでは?」


「救急科で働く私に会うということは、緊急事態に遭遇するのと同義だ。そうならないことを、お祈りしていますよ」


「……先生は、偏屈へんくつですね」


「よく言われます」


「それに、不器用ですよね。冷たいと、人に誤解を与えそう」


「それでも、俺は正しいことを伝えるのみです。……それでは、どうかお大事に」


 頭を下げる患者に背を向け、俺は集中治療室から出てスタッフステーションへと向かう。


 スタッフステーションに入り、椅子へ腰掛け大きく息を吐く。


 経済観念が低いのか、それとも地獄の沙汰も金次第という言葉を、昨今の病院実態が崩せていないのか……。

 封筒の厚みから、札が10枚以上はあっただろう。


 全く、面白くない……。

 金はもっと計画的かつ、利害を考え適切に使うべきだ。


 今の患者の様子や処置内容を医師記録へと記入し、転科先へと送る診療情報提供書しんりょうじょうほうていきょうしょには詳細なデータと合わせて記入して行く。


「南先生。ここは僕が代わるから、医局に行ってきな?」


 先輩医師がスタッフステーションへとやって来て、そう声をかけてきた。


「医局に?」


「うん。教授が呼んでいたから」


「……そうですか」


 俺は書きかけの診療情報提供書を下書き保存し、席を立つ。


 スタッフステーションに残されたリーダーナースにも「医局に行って来ます。何かあれば、ブルートゥースで」と院内用のスマホをかざして見せる。


 忙しなくも頷いたのを確認してから、俺は完全に病棟を離れる。


 昨今はPHSが使えなくなった代わりに、スマホが支給された。

 スマホの電波が医療機器の誤作動を起こすというのは、もはや都市伝説だ。


 便利なことにブルートゥースで繋がったスマホは救急科病棟や医局などのグループへ、音声や映像をライブで共有出来る。

 慣れるまでに時間はかかったが……。

 これまで以上に、迅速に多部署や多人数と情報共有や対応を可能にしている。

 1秒を重んじる救急科では重宝するアイテムだ。


 そうこう考えているうちに、医局へと着いた。


 ドアを開けると、パソコンに向かいながら作業をする医師が山と見える。


 ……あの先生、何日帰ってないんだろうな。

 前に医局へ戻った時にもいたし、昨日も同じ服装だった気がする。


 まぁ、医者にはよくあることだ。

 36時間連続の勤務。

 そして勤務が終わっても仮眠を取ってから、自宅に帰らず研究を進める人がゴロゴロと居る。

 ……俺もその1人な訳だが。


「教授、お待たせしました」


 鼻の下に立派な髭をたくわえた教授に声をかける。


 机に置いてある文献を見る限り、先日共同で発表した研究内容を論文化する話だろう。

 先日、教授の院内アドレスへと論文の初稿しょこうを送ったのだ。

 部署責任者であり、厳しくも鋭い教授へは、研究内容のチェックや指導をお願いしている。

 論文に目を通したから、修正指導をしたいと呼びだしたのだろう。


「おお、南先生。悪いね。私もこの後、病棟に行くからその時でも良いかなとは思ったんだが……。急患や急変で半日会えなくなると、困るからね」


「ええ。大丈夫です。俺もそこは理解していますから」


 救急科とは、ハッキリ言ってそう言う場所だ。

 急患が来て外来担当が足りなければ、病棟からも家からも駆り出される。

 病棟配置人数が足りなければ、呼び出されるのが当然だ。

 顔を合わせられる時に顔を合わせ、情報共有や分担などを話し合っておくに越したことはないのだ。


「そうか。それで、南先生が引用したこの文献の妥当性に関してなんだが……」


「はい」


 それから数分、問答をしながら修正をして行く内容のご指導を受けた。


「それで、話は変わるのだが……」


「教授、なんでしょう?」


「私のめいっ子で、まだ未婚の――」


「――結構です」




―――――――――――

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