第5章 大交易地のエロ触手

第54話 修行はじめました

 南からの潮風に、乾いた砂が舞い上がる。


 蛇口が壊れたみたいに、ボクの身体からは汗が流れ落ちていき、集中力が途切れるたび、べったり額に張りついた前髪を何度もかき上げる。左手が重い。利き腕は右手だけど、そちらは添えるだけ。丁寧な剣術指導に対して、ボクはとにかく忠実に従っていた。我を出せるほどに、パワーもテクニックも身に付いていないからだ。今一度、柄を握りしめる左手にギュッと力を込めた。


 練習用の木剣が、こんなにも重たく感じられるのは、スタミナ不足。


 残念ながら、ボクの体力は人並み以下である。


 陰キャな文化系である。


 体育会系なシゴキには慣れていない。


 ああ、過酷……。


 ああ、目が回る……。


 どうしてボクは、こんな目に合っているのでしょうか?


 答えは、奴隷だから。


 命令されると、逆らえる立場じゃないからね。


「ご主人様、集中してください」


「はい、ごめんなさい」


 奴隷少年に注意されて、ボクは頭を下げる。


 それだけの動きで、頭からポタポタと汗が落ちていく。


 乾いた地面に、ボクの汗が染み込んだ。


 一秒、二秒、三秒……。


 ジッと見ている間にも、水滴の跡が蒸発して消え去った。


 マラソンランナーはあえて、酸素の薄い高地でトレーニングを積んだりするけれど、ボクも意図せず、そのような修行をしているのではないだろうか? この土地は、酸素量こそ普通だろうけれど、熱気はまったく普通なんてもんじゃない。


 あっつい!


 ここの太陽は、ボクに何か恨みでもあるのかな?


 来る日も、来る日も、雲ひとつなく、ミラーボールが輝くようなカンカン照り。レーザービームのような日差しが、ボクの生白い肌を鞭打つように焼くのだ。さすがに、太陽が相手では手の打ちようがない。されるがまま、焼かれるまま。もはや、ボクは、まな板の上の鯉である。あるいは、鉄板焼きのモヤシ。誰からも見向きにもされず、コゲコゲに干からびる寸前という感じ。


 ぐるぐる巡る思考を振り払うように、ボクは思い切って飛び込んだ。


 前へ。


 間合いを詰める。


 一対一。


 相手は、奴隷少年。


 彼もまた、訓練に使う木剣を構えていた。イチかバチかの攻撃に出るボクとは対照的に、一歩も動かず、受けの体勢。惚れ惚れするほど、堂々としていた。線の細い美少年なのに、達人のような貫禄すら感じさせる。……なんだろう、不意に思い付いてしまったけれど、吐血して欲しい。いや、健康は大事であるけれど、ゴホゴホ咳き込みながら剣を構えるのが超絶似合いそうなのだ。


「……集中してください」


「み、見抜かれた!」


 ボクの邪心に気付くとは、やるね、奴隷少年。


 動揺しながら、攻撃。


 ボクが上段から振り下ろした一撃は、当然のように受け止められる。木剣同士が激突した瞬間、そこで止まることなく、奴隷少年は剣を横薙ぎにした。するりと柳のように、しな垂れる感覚。ボクは交差した木剣を力任せに押し出そうとしていたため、まるで型の手本のようにバランスを崩してしまう。


 がら空きの胴体に、奴隷少年の剣先がピタリと突きつけられる。


 うーん。完敗。


 というか、ボクが弱すぎる。


「本日もお見事でした、師匠!」


「はい、何度もふざけないでください、ご主人様」


 一本取られたことに、ボクは何も思わない。


 いや、本当は悔しい気持ちを抱いた方が良いのかも知れないけれど。


 闘争心の欠如?


 単純に、やる気が足りない?


 しかし、そもそも剣術の腕前に天と地の差があるのだから、負けるのが当然なのだ。奴隷少年は、ボクに剣術を教えてくれている。師匠と呼んだのは、実の所、全然ふざけているわけではない。奴隷少年をからかって遊んでいるわけでは……うん、全然違うよ?


 この習い事は、ちょうど一週間前からスタートした。


 奴隷少年は最初にしっかり前置きした。


「ご主人様に頼まれた以上は、どんな役目でも喜んで引き受けるつもりです。しかし、本当は、他人に物事を教えられる程の、できた人間ではありません。どうか、僕のことを敬うような言動はお控えください」


「はい! わかりました、師匠!」


「……」


「師匠、肩でも揉みましょうか?」


「とにかく、ご主人様が楽しそうで何よりです」


 そんな風にため息を吐きながら、まるで立場を云い聞かせるように、奴隷少年はボクの肩を揉んでくれた。上手だった。本当に何でもできるね、君は……。剣術の腕前もマスタークラスであると、ひょんな出来事で知られたのは大変良かった。そうでなければ、武術場や格闘ジムの評判の良さそうな所を探し当てるため、砂漠の街を歩き回らなければいけなかっただろう。


 ボクと奴隷少年が訓練に汗を流しているのは、中庭。


 庭付き一戸建ての借家。


 剣術を習い始めて、一週間。


 あるいは、この借家に引っ越してから一週間である。


「おーい、あんたたち。チャンバラごっこのボウヤたち」


 古びた屋敷の方から、ボクらを呼ぶ声が響いてきた。


 振り返れば、台所の窓辺から手だけ突き出されている。


 手招きで、おいでおいで。


「朝食の準備ができたよ。ほら、ダッシュで来な! 冷めたら殺す!」


 誰の声かと云えば、女船長である。


 朝昼晩、食事の準備を任せるのは当たり前になっていた。


 意外にも、料理好きで上手なのだ。


 本人に云ったら、ブチ殺されるに違いないけれど、女船長はたぶん良妻の才能がある。料理だけでなく、掃除や洗濯など家事全般、機嫌よく鼻歌を口ずさみながら、毎日テキパキと片付けてしまう。生活が落ち着きはじめたら、改めて屋敷内の役割分担を決めようと考えていたけれど、もはや必要なさそうだ。


 奴隷少年と云えば、「ご主人様に仕える立場なのに、僕は家内で何も貢献できていません。まさか船長に完敗するとは思っていませんでした」と、そこそこ真剣に嘆いている。


 さて、説明の順番がチグハグになったかも知れないけれど……。


 改めまして。


 奴隷船の航海を終えて、無事にたどり着いた西方の砂漠都市。


 ここで、ボクら、ひとつ屋根の下で暮らし始めていた。

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