第44話 エロ触手 VS 普通の触手(4)
女船長が船首像の女神を足場としてジャンプする瞬間を、ボクは黙って見守った。
気の利いた台詞は吐けない上に、真面目なことを口にするのは苦手である。どちらかと云えば、茶化したり、冷やかしたり、整えるよりも乱したくなる性分であると、自分自身のクズっぷりを認めよう。そして、自覚があるからこそ、いざという時には黙り込むしかないのだ。
命を賭す人。
その背中に語り掛けるべき言葉を、ボクは持たない。
責任か。
矜持か。
ただのエゴか。
女船長が、背負うものは何だろうか。それが何であれ、危険を顧みず、クラーケンに単身で突貫するぐらいの重大なものである。ボクは小賢しい人間である。己の心も天秤にかけてしまう。敗北だとか、その結果に待ち受ける恐怖だとか、そうしたものの重さをじっくり比べてから、ようやく一歩を踏み出せるような人間だ。
だから、素直に尊敬する。
ひょんなことから奴隷の身となったボクからすれば、奴隷船の船長なんて嫌悪感や反抗心の対象にしかならないはずだったけれど、ネガティブな感情はまったく無い。船員たちとのトラブルは度々あったけれど、それもまあ、笑って済ませられる程度の話である。総じて云えば、人生初の船旅はそれなりに楽しいものだった。
住めば都というやつで、この奴隷船にも愛着を感じなくはない。
女船長や船員たち、ボクが初っ端から特別待遇だったのであまり交流は無かったけれど大勢の奴隷仲間たち……まあ、ボクのちょっとした頑張りで皆が無事に航海を終えられると云うならば、一歩を踏み出すことにも躊躇は無いさ。
自然と、一声だけ。
「船長、守りはお任せを」
ボクの小声は、女船長の雄たけびにかき消される。
クラーケンの眉間のあたりに、真正面から飛び込みながらの絶叫だった。サーベルを頭上に振り上げて、防御なんて微塵も考えていない単身での突撃。無茶である、無謀である。自殺行為というか、自爆狙い? ただ差し違えるための一撃……敵を倒すという目的だけに集中して、他のことは何も考えていないようだ。
クラーケンの巨大触手が何本も、女船長に向けられた。
脅威と感じたか?
それとも、鬱陶しいハエでも叩き落すような気分だろうか?
何にしろ、巨大触手から一発でも貰えば、女船長の攻撃はクラーケンの本体には届かないだろう。
「ポチ」
ボクは命じる。
このような局面では、クラーケンを狙ったとして、エロ触手が巨大触手をすべて無力化してくれるとは限らない。本体をエロエロに攻め立てれば、その手足たる巨大触手はヘロヘロになるかも知れないけれど、今まさに巨大触手は女船長に迫って来ているのだ。タイミングとして、それでは間に合わないだろう。
なので、こっち。
「いつものように、女船長にエロいこと!」
勝手知ったるターゲットにエロ触手は「わーい」と云わんばかりにウネウネ伸びて行くけれど、同じように(?)クラーケンの巨大触手も女船長に向かっているのに気づいて、「は?」とブチ切れた。やはり、触手同士で思う所があるらしい。こんな風に怒髪天を衝くエロ触手は初めて見た。さながら、触手同士の縄張りバトルの勃発。エロ触手VS巨大触手のガチンコ勝負、女船長を中心としてレディファイト。
決着は、一瞬――。
ゴングが鳴ったかと思えば、まばたきする暇もなく終了。
触手同士が正面衝突した次の瞬間、クラーケンの巨大触手は爆発四散した。
ドバーン! みたいな効果音が大海に響き渡る。
うん……。
質量差とか衝突速度に対して爆発規模がおかしいのは、もはや野暮なツッコミだよね?
マストと同じぐらいの太さの巨大触手が、ミンチになってボチャボチャと海面に落下していく。
これで、行く手を阻むものは無くなった。
巨大触手を一気に何本も失い、攻撃も防御も一時的に不可能となったクラーケンは棒立ち状態である。飛び込んだ勢いを殺すことなく、女船長は己の身体ごと叩き付けるようにサーベルを振り下ろした。クラーケンの沼のような目玉の真ん中、人間で云うならば眉間のあたりに、刃は深く突き刺さった。
殺ったか?
「……いや、もう少しか」
ダメージは大きかったらしく、クラーケンがのたうち回るものの、そのまま死ぬ気配ではない。
トドメまで、もう一押しという所だろう。
突き刺したサーベルにぶら下がる女船長は無防備で、そこに魔の手が迫る。
クラーケンのまだ残っている巨大触手の幾本か――。
……あ、いや。
違った。
そうではなく。
エロ触手が、女船長にエロいことしようと迫って行く。
「そうだね。ボクが命じたからね」
ストップと叫びたい所だけど、それが意味ないことはわかっている。
エロ触手は基本的にボクの云うことをちゃんと聞いてくれるけれど、テンションマックスの状態ではその限りではない。以前にも同じように例えたことがあったかと思うけれど、飼い犬をイメージしてもらえば良い。普段は命令に忠実な賢いワンコでも、大好きなオヤツを差し出して「食べて良いよ」とオーケーを出した後、大口を開いてかぶり付こうとした瞬間に「待て!」と云っても、なかなか止まらないだろう。
うーん、マズイ。
このままではサーベルが額に突き刺さったままのクラーケンの目の前で、女船長とエロ触手のフェスティバルが始まってしまう。奴隷船が沈められるかどうか、クラーケンを倒せるかどうか、生きるか死ぬか……緊迫する展開の真っただ中で、それはちょっと地獄のような光景である。
エロ触手を止めなければいけない。
だが、どうやって?
時間は無く、思考は刹那。
ボクは後先考えずに叫んでいた。
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