第31話 船出
奴隷商人の心をへし折ったからには、もはや、この屋敷に敵は存在しない。
コップ一杯の水をちびちび飲みながら、ボクはこの後どうするべきかを考えていた。
奴隷商人に拘束を解かせ、「それじゃあ、おつかれ」と云い残して立ち去るのが、ボクとしては気楽で良い。ただし、これはダメである。奴隷商人たちは、ボクが冒険者を幾人も殺害した上に、女冒険者に乱暴を働いた犯罪者と誤解したから、ここで尋問を行っていた。話し合いで埒が明かず、辛抱を切らしたボクはスキル『エロ触手』をド派手に披露したけれど……うん、よくよく考えれば、この状況はボクをより一層、ヤバい犯罪者っぽく思わせてしまうのではないだろうか。
ここで帰ると、後々、さらに面倒なことになりそうだ。
捕まった犯人が、取り調べ中に暴れて逃走したという話にもなり得る。奴隷商人が立ち直って、都市の治安維持に努める騎士団などに通報するようなことになれば、今以上の大事になってしまう。
もちろん、現在は気絶したままの女冒険者が目を覚ませば、ボクがこの場から消えた後でも、真実がちゃんと明らかになってくれるかも知れない。彼女は実際にリッチを目撃しているのだから、ボクが必死に説明していた内容にも信憑性が生まれるだろう。それ以前に、クエスト中の冒険者たちを襲ったのがボクではないと証言してくれれば、すべてキレイに解決するのだけど……。ボクとバッタリ出くわした時点で、彼女の仲間たちは既にアンデットにされていた。さすがにそこら辺の時系列が滅茶苦茶になるぐらい、錯乱していなかったと思いたいが……。
うーん。
やっぱり、それも希望的観測だろうか。
女冒険者にやらかされたアレコレを思い出し、ボクは諦める。
うん、彼女の行動に期待するのは絶対にやめておいた方が良いだろう。
「落ち着いたら、もう一度、冷静に話し合いましょう」
「う、うう……は、話し合い?」
「ボクのお願い、ちゃんと聞いてくれますよね?」
ボクはできるだけ親しみ易いように、ニッコリと笑顔を作ったが、奴隷商人はそれをどんな風に受け止めたのか、さらにガタガタと震えが増していた。……もしかして、脅しを掛けられていると思ってない? ボクが悪魔みたいに、「全財産を寄越せ」とか云い出すことを恐れている? いや、真剣に困る。先ほどとは別方向で話が通じなくなっているのは、面倒でしかない。
「……なにか、食べるものください」
「は、はい! ただいま、用意させます!」
空気を変えるため、ボクは気安くお願いしてみた。
奴隷商人はこの部屋を離れる理由ができたためか、喜んで走り去った。
一人残されて……あ、いや、部屋のあっちからも、こっちからも、爆音の嬌声は変わらず響き渡っている。用心棒や冒険者たち、メイドは絶賛エロいことの真っ只中。しかし、彼らは他のことに意識を向ける余裕なんて欠片も無いため、ボクはやはり一人きりになったも同然である。
さすがに、気が抜ける。
考えるべきことは、いっぱいあるのに……。
奴隷商人を改めてどんな風に説得すべきか、というのは些事に過ぎない。
ボクが真剣に取り組みたいのは、スキル『エロ触手』を今後どのように活かすか、という点である。「エロいこと」以外の使い方を発見し、その強さにも確信を得た。スキルを一人前に使いこなすためには、「理解すること」、「育成すること」、「実践すること」、そんな三つの要素からのサイクルを回していかなければいけない。期せずしてリッチや奴隷商人を相手に実践し、戦い方を理解することができた。それでは、まだ明確に欠けている部分として、「育成すること」を今後は突き詰めていく必要があるけれど……。
× × × × ×
スキル名:エロ触手
スキルレベル:50
スキルポイント:368
スキルツリー:未解放
スキル効果:
あなたは「エロ触手」を召喚できる。
召喚された「エロ触手」は、あなたの選択する対象にエロいことができる。
× × × × ×
神託内容(スキル説明文)を改めて呼び出してみる。
右手の掌を広げて、念じると、樹皮のような紙が浮かび上がる。半透明で、向こう側が透けて見えており、指先で触れようとしても触れられない。湖面に映った月みたいなもので、実体があるわけではない。ボクだけが見ている幻と疑いたくもなるけれど、神託内容は見せようと思えば、他人に見せることもできる。
まあ、ボクの恥部なので、他人に公開することはまず無いけれど。
神託の日からしばらくの間は、こんなハズレスキル、さすがに何かの間違いではないかと一日一回ぐらいは神託内容を呼び出し、スキル名やスキル効果に変化が無いかと藁にもすがる気持ちを抱いていた。失望を繰り返して現実を受け入れて以降は、逆に、数年間一度も、神託内容を開くことは無かった。
勇者パーティーの仲間になってからだ。本当に久しぶりに、これを時々眺めるようになった。
スキルレベルは、50。
神託内容のチェックが再び習慣付いてから、この数字に変化は見られない。スキル『エロ触手』の経験値は、「エロいこと」に関係する行動で溜まっていく。欲望の街で働いていた頃に比べると、日々得られる経験値が減っていることは間違いないだろう。数日に一回のペースで女勇者の相手はしているけれど、週休二日で毎日八時間以上の勤務でガンガンやっていた頃とは比べるまでも無い。
ただ、それにしても一切の変化が無いのは不自然な気もする。
レベルが1ぐらい上がっても、さすがに良い気はするけれど……。いや、これまで神託内容を細かくチェックする習慣なんて無かったから、レベルがどれくらいの頻度で上がって行くのが普通なのか、まったく常識に欠けているボクが良くないのだ。
常識と云えば、ボクぐらいの年齢での平均レベルも実はよくわかっていなかった。これまで心底興味が無かったと云うか、意識的に避けて来た部分だからなぁ……。
なんにしろ、レベルは高い方が良いに決まっている。
正直な所、リッチとの死闘を乗り越えたから、51にレベルアップしていることをかなり期待していた……。ここまで全然上がらないのは問題だから、早めに解決策を考えた方が良いだろう。
そして、もうひとつ気になっているのは、スキルツリー。
未解放である。
「これが一番、ダメかな……」
ボクはやる瀬なく、ため息を吐く。
15歳の神託の日にスキルを獲得した若者は、それから五年間をかけて、己のスキルを理解・育成・実践する。三つのサイクルを何度も繰り返した結果として、己のスキルのさらに目指すべき所、さらに磨き上げるべき所――すなわち、己の理想像というものが見え始める。それが、20歳という人生の節目だ。晴れて大人の仲間入り、祝宴も兼ねた『成人の儀』は華々しく執り行われる。
成人の儀で、スキルツリーは解放される。
ボクは、未解放である。
……うん。
先に謝っておこう。ごめんなさい。
成人の儀、サボったんですよね。
いや、故郷は捨てているし……。
誰にも会いたくないし……。
成人の儀は故郷でやるものだって、そんな風潮があるのが悪い。
ボクは悪くない……いえ、ボクが悪いです。サボってすみませんでした!
「どうしたものか」
そもそも、スキルツリーとは。
ざっくり云えば、スキル効果を強化していくシステムである。スキルレベルの上昇は、シンプルにステータスだけを向上させていく。人間に例えてみるならば、レベルが上がると、力が強くなったり、足が速くなったりするわけだ。一方で、スキルツリーによる強化は、もっと根本的な所を変化させてしまう。
これも人間に例えるならば、腕が伸びたり、空が飛べたりするような――。
まるで、新しい能力の獲得みたいな事が起きる。
スキルツリーが解放されると、その名の通り、ツリー形式に伸びて行くスキルマップが見られるようになる。そこから、自分でこれだと思うものを選択していく。それぞれの効果にはスキルポイントの消費量が設定されており、振り直しはできない。一度きりの選択。だからこそ、15歳の神託の日から、20歳の成人の儀まで、5年間の修行期間が必要なのかも知れないね。
スキルツリーが解放されたら、スキル『エロ触手』の可能性も広がるだろう。
……広がると、信じたい。
どうか、スキルマップに並ぶ項目がエロ関係ばかりじゃありませんように……。
頼むよ、本当に……。神様、お願いします。どうか夢を見させて……。
「まあ、スキルツリーを解放しないと、始まらない話、なんだけど、ね……」
延々と考え込んでいたボクの頭が、カクンと落ちた。
……限界。
なんの?
……眠気の。
徹夜で疲労も溜まった状態、一人だけでじっと座ったまま、考え込んでいたのが良くなかった。かなりの金持ちである奴隷商人の応接間で、ソファーも座り心地がバツグンだったのが、さらに良くない。眠いということを自覚する前に、意識がパッパッと点滅を繰り返すみたいになっていた。ボクはあっさり、目を閉じてしまう。
まあ、別にいいや。
それぐらい、気持ちは軽かった。
考えていたのは、今日や明日のことではなく、もっと未来までの歩き方。課題は山積みであるものの、現時点の悩みは少ない。やるべきことはやったという満足感もあったので、たぶん、幸せな寝顔をしていたんじゃないだろうか。
ぐっすり寝た。
それはもう、ぐっすりと……。
静かに担ぎ上げられて、馬車にそっと乗せられて、波止場に連れて行かれて、奴隷船に乗せられて、波に揺られて……「ここはどこ?」と、半日近くも経ってから目覚めるまで、それはもうぐっすり寝ていたらしい。目覚めたボクは、夕陽に染まった遥かなる大海を呆然と眺めたものだ。
最速の値引きセールでボクを売り飛ばしただろう奴隷商人は、果たして勝ち誇った顔をしているだろうか? たぶん、違う。誰でも良いから、何処でも良いから、とにかく遠くに行って欲しいという気持ちだけで、ボクを外海に出て行く奴隷船に突っ込んだ。そうに違いない。それはつまり、そんな風になるまで奴隷商人を追い込んだボクにも原因がある。
「やり過ぎた」
後悔先に立たず。
ボクの奴隷として生き抜く日々の始まりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます