第12話 喧嘩

 女モンクの拳が、ボクのこめかみをグリグリする。


 普通に痛かった。


「はーい、おしおき終了。反省した?」


 パーティー会場を抜け出して、夜風の心地よいバルコニー。


 ボクと女モンクは二人きりである。


 勇者パーティーの一員が参加者を殴り飛ばしたことで、夜会は騒然となった。いや、正確に云うならば、女モンクのパンチの威力と衝撃音(ほとんど爆発音)に、それまで騒々しかった会場は電源が落ちたように静まり返ってしまった。


 最初は、何が起きたのかと、みんな怖々と探るような視線と沈黙。間髪入れずに動いたのは女勇者で、潰れたカエルのようになっているエロオヤジに駆け寄ると、「うん、大丈夫。生きている」と会場全体に響く声で告げた。それでようやく、音が戻った。津波が押し寄せたように騒がしくなる中で、ボクはまだ呆然としていたけれど、女モンクに「ほら、行くわよ」と強引に引っ張り出される。


 女勇者は一人残った。


 ボクらが出て行くのを笑顔で見守り、軽やかに手を振る。


 事後処理は任せろ、という事らしい。


 ボクと女モンクは階段をいくつか駆け上り、ひと気のないフロアのバルコニーに出た。ボクは息を切らしていたが、女モンクは顔色ひとつ変えていない。鉄製の手すりにもたれ掛かると、ひんやり冷たくて気持ちよかった。見上げれば、無音の星空。逆に、足元からは喧噪が聞こえて来る。


 ボクが呼吸を整えて、なにか話しかけようとするよりも早く、女モンクは拳を突き出してのグリグリ。


「は、反省はしている、もちろん」


 ボクは痛むこめかみを押さえながら、女モンクに頭を下げた。


「手を煩わせて、本当に申し訳ない。勇者パーティーの評判にも関わって来るだろうし、ボクの代わりに手を出した君はきっと面倒なことに――」


 言葉の途中、またグリグリされた。


 それも、パワーアップ版。両手である。


「痛い! 割れる!」


「全然、反省してないじゃん」


「はあ? 反省している。ちゃんと謝っているのに!」


「謝れなんて云ってないでしょうが! バカなの?」


 意味がわからないぞ。


 女モンクはたぶん、ボクがエロオヤジ相手に困っていることにいち早く気付いた。だから、切羽詰まってエロ触手を呼び出そうとしたボクを止めるため、手荒くも一瞬で問題を片付けてみせた。ある意味で、ボクの代わりに泥をかぶったわけだ。


 女モンクのパンチ一発に比べて、もしもボクがエロ触手を呼び出していれば地獄絵図である。間違いなく、今以上の騒動になっていた。ボクは彼女に助けられた、これは間違いない。そもそもの話、ボクが上手くやれるならば……女勇者や女モンクのように、大人たちをあっさり簡単に手玉に取れるならば、なんの問題も起きなかった。ボクが悪い。ボクの能力が足りてないのが悪い。ボクの人として欠けているものが足を引っ張った、それが悪い。


 全部、悪い。


 厭になるよ。本当に。今さらだけど。


 謝るしかないだろう、こんなもの。こんなボクは。


 それなのに、女モンクは「本当にバカなんだから、もっとよく考えなさい」と怒りが収まらない様子である。


「いいかしら、よく聞いてね。あたしが吹っ飛ばしたクズは、王国の地方領主よ。まあ、ただの小物。人望もなければ、能力もなし。度胸もなし。骨ぐらい折れているかも知れないけれど、あたしに文句を云ってくる可能性は絶対にない。それは断言できる。これでも、バカじゃないつもり。ちゃんと相手は選んで殴っている」


「いや、地方領主って……どう考えても、マズいと思うけれど。どうして、大丈夫だって云えるんだ? ボクにはわからないよ。あいつは小物なのかも知れないけれど、王国全体を敵に回すような可能性だって――」


「だから、そんなこと絶対にない。あんたも含めて、勇者パーティーに面倒は起きない。起こさせない。あたしの名前にかけてね。なんだったら誓ってあげてもいいわ」


 堂々と、自信満々に宣言する女モンク。

 

 ボクがそれでも不信感たっぷりの目付きでにらんでいると、彼女はあっさり云った。


「国王の大事な大事な一人娘にケンカ売るバカなんて、王国のどこにいるの?」


「……ん?」


「あたし、王女よ。魔王を無事に討伐したら、継承権で兄上たちを追い越して女王なんだから!」


「……んん? うん?」


 んんんん、ん? うん?


 頭の中の大量の疑問符が、そのまま口から出てしまう。


 え、王女さま?


「え、王女さま?」


「そうよ」


「そうなの」


 そうなの? そうなんだ……。


「あ、なるほど。お酒飲んだね? パーティーでいつの間にか、泥酔……」


「酔っ払いのうわ言ではないわよ。むしろ、あたしの方から問い質したいぐらいなんだけど――」


 女モンクは思いっきり、ボクの目の前まで顔を近づけて来た。


「なんとなーく、予感はしていたけれど……。まさか、ここまで欠片ほども疑われていなかったなんて。いっしょに旅しているんだから、ちょっとぐらい『あれ、この顔、見たことあるなー。も、もしかして……』みたいなタイミングは無かったのかしら?」


「すみません。無かったです」


 魔術による映像通信で、王家に連なる若者たちの健やかなる成長と日常の何気ない一幕を紹介するような番組が流れることもあるけれど、ボクはロイヤルファミリーの熱心なファンというわけでもない。とはいえ、流し見ぐらいはしたことがある。現国王には何人か子供がいるものの、女の子は一人だけだ。唯一のプリンセスは男女問わず人気がある。というか、ロイヤルファミリーの一番人気だったはず。


 映像では、もっと幼い頃のお姫様が可愛らしく、されど淑やかに民衆に向けて手を振っていた。


「淑やか、楚々として、エレガント……え、あれってロイヤル詐欺?」


「よくわからないけれど、失礼であることは間違いない新語を作らないでくれる?」


 ボクのパニック気味の反応がお気に召したのか、女モンクは得意気な笑みを浮かべている。


「ほら、なにか改めて、あたしにいうことは?」


 くそー、ニヤニヤしてやがる。

 

 しかし、国家の最高権力者に類する存在と思えば、反射的に背筋も伸びるというものだ。わずか数分の会話で、彼女自身は何も変わっていないはずなのに、ボクの見方は大きく変えられてしまった。これは良くない。全力で抗う必要があった。


 正直、まだまだパニックは続いている。混乱状態、状態異常。何を云うべきかも定まらないまま、ボクはとにかく打って出るため、自爆覚悟でペラペラ話し始めた。

 

「こ、これまでの無礼をお詫びします、殿下。まさかプリンセスとは夢にも思いませんでした。日々くり出される暴力、暴言の数々は、ロイヤルの出自を思わせるものではなく、山賊か海賊の大親分あたりの血統だとばかり……。あるいは、山犬かトロールですね。エロ触手であんなこと、こんなことする際も、わかっていればロイヤルプレイを心掛けたのに……。ああ、そうです。思えば、まさにロイヤルおっぱい。美しく、気高く、つつましく……最初から教えていただければ、触手の巻き付いた痕が残るぐらいの荒々しいアレすることも――」


「誰のなにが、つつましいって!」


「そこぉ?」


 ツッコミ所が違うと思うんですけど。


 オチも定まらないまま全力でふざけてみたものの、予想外にピンポイントな返しだった。女モンクは両手で自分の胸を隠すようなポーズで、ボクを射殺すぐらいの目付き。ヤバい、スキル『拳聖』が殺意の波動に目覚めたっぽい? 今すぐボクを瞬獄殺? 意図せずしてウィークポイントを突いてしまったらしいボクは、なんとか取り返そうと慌てて提案する。


「好きな人に揉まれるとデカくなるって噂ですよ……いっちょ、イッときますか?」


 ボクは全力で、エロ触手を続々とコンバンハさせる。


「あたしは、あんたも触手も好きじゃない!」


 そりゃそうだ。


 なお、エロ触手が大好きな女勇者はだからなのかどうなのか、スタイル抜群ですね。

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