コスモス

スルメイカ

第1話「First Case」①

一人の男が建物の中に入っていった。建物の前には、こう書かれた看板が置かれている。


「公安省」————


――――2020年代半ば、「史上最悪のテロ」と呼ばれた"自家用ジェット機特攻事件"が発生した。この事件を皮切りに、日本全国で次々とテロや重大犯罪が発生。日本の美点とされた「治安の良さ」は、過去の遺物となった。そんな国内状況を踏まえ、世論は治安維持の方向に傾いた。その結果、タカ派と称される村岡亮介むらおかりょうすけが総理大臣に就任。村岡は「再び維持された治安を取り戻す」ことをマニフェストとして掲げ、国民は大々的にこれを支持した。村岡の総理就任から2年後の2029年に「公安省設置法案」を衆議院に閣法として提出したことで、世論を巻き込む大論争へと発展し、ワイドショーやニュース、SNSなどで大きく取り上げられ、与党・友政ゆうせい党からも多くの造反議員が出た。村岡は衆議院を解散し、国民の判断に任せることとした。国民は村岡内閣を支持し、所謂「公安省解散」と呼ばれた解散総選挙は大成功を収めた。同年12月末には法案は成立し、翌年の2030年からの運営開始を目指していた。————


それにしてもこの仮庁舎はどうも苦手だ。打ちっ放しのコンクリート製の外壁、無数に取り付けられた窓。見る者に対して大きな威圧感を与える。公安省の設置には、情報インテリジェンス機関の一律化を図った経緯もあるそうだ。何しろ警視庁公安部、公安調査庁、内閣情報調査室などの情報機関は、軒並み公安省に吸収合併された。自分も元々はただの公安部の刑事だったが、この公安省では急に係長を務める事となった。


 9時から公安省刑事局長による開省式が執り行われる。局長に任命されたのは尾崎駿おざきしゅん。公安部時代の先輩だ。元々自分が外事二課にいた時に課長をしていた人物だ。警察庁にキャリア官僚として採用された秀才であり、その上頭が非常に切れる策略家だ。こればかりは適任だと言わざるを得ない。


 そんなことを考えながら歩いていると、前から一人の男がニヤニヤと不気味な笑みを浮かべながら近づいてきた。この男は沖田洋一おきたよういち。自分がまだ公安部にいた時に係長をしていた人物だ。自分を必ず階級付きの「沖田警部」と呼称させ、指示に少しでも楯突けば小一時間説教してくる、俗に言うパワハラ上司だった。そんな人物がこの省では何と課長になったそうじゃないか。つくづく人事の"ミス"を心から恨んだ。


「やあ。キミ良かったね、係長になる事ができて」


沖田は皮肉を込めてそう言った。


「ええ。沖田"さん"も良かったですね、課長になれて」


そう皮肉をたっぷり込めて言い放った後、そそくさと隣を通って配属された部署に向かった。お役所らしく、自分の所属する部署名が異様に長いため、まだ覚えられていない。


そう思い、カバンから事前に配布された紙を手に取った。


「公安省刑事局第一課第三係」


やはり無駄に長い名称だ。人に呼称する時は「公安」などと言った方がいいのだろうか。


またしても考え事をしながら歩いていると、自分が配属された部署らしい所に辿り着いた。部署名も一致している。


恐る恐る中に入ると、そこには5人の男女が居た。こちらに気づくと一人が声をかけ、残りの者達も一斉にこちらを見て敬礼した。どうやら自分の部下らしい。


「私は岡田正一おかだしょういちです。この三係の副係長をさせて頂きます」


「私は高崎静音たかざきしずねです。ここに来る前は内閣情報調査室にいました」


「自分は佐藤隆太さとうりゅうたです。神奈川県警で公安課にいました」


峰田樹みねだいつきです。元々は警視庁で刑事をしてました」


「私は片山早紀かたやまさきです。新卒採用で入ったため、公安職経験はありません」


一通り終わったため、自分の自己紹介を始めることにした。


「私は稲沢仁いなざわじんです。今回この三係の係長を拝命されました」


係長と言う肩書を使ったため、より一層役職の重さが身に染みて感じられた。

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