第77話 閉じ込められた心
一頻り泣いても、全くすっきりはしなかった。
後悔がうねりのように押し寄せて来る。
それでも声は何とか抑えられるようになった。
「落ち着いた?」
ラーマに頭を撫でてもらいながら、ミチャは頷いた。
「あはは、恥ずかしい……こんなに泣いたの、母親が死んで以来ですよ……」
「泣くことは悪いことじゃないわ……」
ミチャは深呼吸して、呼吸を整えた。
自分の心の内をラーマに聞いて欲しい、そんな気持ちでいっぱいになった。
「好きなんです」
「ん?」
ミチャの唐突な告白に、ラーマは小首を傾げた。
「ルノルノのこと。心から。本気で。大切にしたいって思った初めての人なんです」
「そうなのね……」
ラーマはミチャの頭を撫で続けながら、相槌を打った。
「ここだけの話ですけど……口づけも交わしました。それだけ大好きで、大切な人だったから。あ、そうそう、あたし、ルノルノの笑顔も見たことあるんですよ……」
ミチャの話は取り留めもない。それでもラーマは優しく微笑んで傾聴してくれた。
「ルノルノも、あたしのこと好きって言ってくれて。その時に、初めて笑ってくれて。でもそれはルノルノのことをウルクスに引き渡すことが決まった後に分かったことだったんですよ。だから、あたしももう何も出来なくて……悔しくて……」
「そんなに好きだったのね」
「おかしいですよね。女の子同士なのに……」
するとラーマはミチャの涙の痕を拭くように頬を撫でた。そして首を横に振って、諭すように言葉を紡いだ。
「そんなことないわ。好きになった人がたまたま女の子だっただけでしょ。どうしようもない気持ちってあるわよ」
ミチャはまた少し涙ぐんだ。ラーマのその優しさが今は身に沁みた。
「それじゃ、そんなに大事な人が……あんな辱めを受けているのをずっと近くで見せつけられていたのね……」
ラーマもルノルノが屋敷内を裸でうろついているのを知っていたし、男の奴隷に体を無理矢理触られている現場も何度も見たことがある。食堂ではいつも這いつくばって食べさせられていたことを噂で知っていた。
「それは辛かったでしょう……。ミチャちゃんも、いっぱい辛い思いしているわ……私には同情してあげることしか出来ないのが歯痒いぐらいよ……」
「いえ、聞いていただいているだけでも……あたしも落ち着きます」
そうは言いながらも、ミチャはその時の有様を思い出していた。ふつふつと怒りの気持ちが込み上げてくる。
「……今となっては許せないんです。ウルクスやその周りで面白がっていた連中、そして何よりそれを放置して何もしてあげられなかった自分が……」
声を震わせるミチャにラーマは頷いた。
「でも、後悔しているんでしょ?」
「もちろんです。あたしこそ何とか出来たはずなのに、何もしませんでした。何も出来ないと思い込んで諦めていました。だから全てあたしのせいで……取り返しのつかないことになってしまいました……」
ラーマは静かに、しかしはっきりと力強く言った。
「そうね……でも大丈夫。まだ取り戻せるわ」
「え……?」
「だって、口づけも交わしたんでしょ? それはとても大切なことよ。一度でもそんなに想い合えたってことが」
ラーマはとん、とミチャの胸の真ん中を人差し指で軽く突いた。
「きっと今のルノルノちゃんはウルクスの呪いで胸の奥にその想いを閉じ込めちゃってるだけ。人間の気持ちは簡単に死んだりしないわ。その呪いを解いて、もう一度その気持ちを解き放ってあげればいいのよ。簡単じゃないかもしれない。時間もかかるかもしれない。でもミチャちゃんが真剣に彼女のことを想っているなら、可能なはずよ」
ミチャは力なく苦笑いした。
「ラーマさん……ほんとにいい人で嫌んなっちゃうな……」
「ん? どうして?」
「あたしがとても汚い人間に見えちゃう」
「あら、そう? 私もそんなに綺麗な人間じゃないわよ? 誰かさんと誰かさんが浮気しているのを黙って見て、これからどうしてやろうか様子を窺っているぐらい意地も悪いわよ?」
ミチャは硬直した。目が泳いでしまう。
シュガルとミチャの行動はラーマには筒抜けだったのだ。
「いいのよ。あの人も子供は欲しいだろうし。ミチャちゃんも奴隷から抜け出すにはあの人との子供が必要だろうし」
「そ、そんなことまでご存じなんですね……」
ミチャは動揺を隠せなかった。
「ええ。ミチャちゃんの奴隷契約書、見ちゃったからね。ついでにルノルノちゃんのも見たわよ」
ラーマはそう言ってミチャの頭を撫でた。
「理解してない訳じゃないのよ。そりゃあ嫉妬もするけどね。でもミチャちゃんの本当の気持ち、本当に好きな人のことを聞いたから、許してあげる」
「敵わないな……ラーマさんには……」
ミチャはラーマにもたれかかった。
「ふふ……まぁ、今はそんなことより、頑張ってルノルノちゃんの心を取り戻しましょ。私も協力するわ。何よりミチャちゃんには言葉っていう武器がある。きっと今のあの子に必要なのは支えてくれる人。それが出来るのはミチャちゃん、あなただけよ」
そこまで言って、ふとラーマは思い付いた。
「ねぇ、ミチャちゃん。ルノルノにちゃんとトゥルグ語教えてあげたらどうかしら?」
「え、トゥルグ語ですか?」
「ルノルノちゃんがトゥルグ語を話せるようになれば、彼女の思いをみんなで聞いてあげることが出来るでしょ? 一人で抱え込むよりみんなで共有した方が良いと思わない?」
「確かに……でも……」
ミチャは根本的な不安がある。
「あたし、教えたことないから、どう教えていいか分かんないです……」
ラーマはころころと笑って言った。
「気負わず、一つ一つ覚えてもらったらいいんじゃないかしら? トゥルグ語だけじゃなく、算術とか、音楽とか、それこそ刺繍とか……色んなこと教えてあげましょう。何がきっかけにルノルノちゃんの呪縛が解けるか分からないし」
「算術はあたしが教えて欲しいですよ」
ミチャは笑いながら言った。
「ふふ……まぁ、色々やってみましょ。ルノルノちゃんのためよ」
「……そうですね」
ルノルノのため。
もう一度やり直そう。
ウルクスの呪縛からルノルノを解き放とう。
きっと元に戻れる。
戻してみせる。
だってあんなに愛し合っていたのだから。
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