第74話 現実の朝

 ミチャは次の日の昼頃に帰って来た。



「ただいま戻りましたー」



 書斎に入ると、シュガルはいつものようにコーヒーを嗜んでいた。何かを考えているのか虚空を見つめていた。


 少しだけ間があって、シュガルはミチャの方を見た。



「おう、ミチャか。首尾よくやったみたいだな」



「疲れましたよー。到着して翌日に生理が来たもんだから大変でしたよー。お腹は痛いし、集中力は途切れるし。ちょっと時間がかかっちゃいました」



「別に予定通り事が進んだのなら問題ない」



 ミチャは部屋の中をくるっと一周見渡すと、シュガルの前までやって来て、その膝に乗った。



「ラーマさんは?」



 部屋の中にラーマの姿はない。いつもならいてもおかしくない時間なのだが、ラゼルのところにでも行っているのだろうか。



「席を外している。しばらく戻って来ない」



「そっか」



 ミチャはここぞとばかりにシュガルに抱きついた。



「じゃあ、しばらく会えなかったし、旦那に甘えちゃおっかなー」



 するとシュガルはミチャの頭をまるで猫を愛でるかのように撫でてはくれたが、苦笑いをして首を横に振った。



「おっと、悪いな、ミチャ。今それどころじゃないんだ」



「そーなんです?」



 余裕でコーヒーを啜っている姿を見ていると、それどころじゃないと言われても説得力がないのだが、シュガルがそう言うなら仕方ない。膝に乗ったまま、ミチャは彼の顔色を窺うように覗き込んだ。


 シュガルはまた虚空を見つめて何かしばらく考えていた。


 ミチャは彼の膝の上でしばらくその様子を眺めていたが、少し空腹を感じ始めた。



「旦那は食事しました?」



 シュガルの膝から降りながら聞いた。



「ん? あぁ。した」



「じゃあ、あたしも食事行って来ようかなー」



「あぁ。そうしな」



「じゃあ、また後で来ますねー」



 ミチャは部屋を出ようとした。すると、シュガルに後ろから呼び止められる。



「ミチャ」



「はい?」



「ウルクスが死んだ」



「え……?」



 シュガルの言い方はまるで軽い挨拶か、さもなければ差し障りない世間話をするかの如くで、何の感情も込められていなかった。それだけにミチャも一瞬聞き逃した。いや、聞き取ってはいたがあまりにも現実離れした言葉だったので理解が追いつかなかったという方が正しいかもしれない。



「今何て?」



「ウルクスが死んだ」



 ウルクスが?


 死んだ?


 あのウルクスが?



「ど、どういうこと……です……?」



「そのまんまの意味だ」



「え、何で?」



「アルシャハンがそう望んだからだ」



「あ、いや、じゃなくて……どうやって死んだんです……?」



 ミチャは嫌な予感がした。あの化け物がいきなり病気で死んだとは考えにくい。


 しかしシュガルは肩を竦めて言った。



「女の上で腹上死」



「マジか……」



 女、ということはルノルノと交わっている最中に死んだってことか。屈強のように見えて中身は脆弱だったということ? でも人の体ってよく分からないもんな。多分そういうこともあるのかな? 多くの疑問が湧き、自分を納得させようとした時、シュガルがつけ加えた。



「……と言うのは表向きだ。実際は殺された」



「へ? 誰に?」



「ルノルノだ」



 ミチャは再度耳を疑った。



「ルノルノって……あのルノルノですか?」



「そうだ、ウルクスに飼われてそこら辺をうろついていたあのアガシュマだかラガシュマだかのルノルノだ」



 呆然とした。だがおかしい。ルノルノは抵抗手段を持っていない。あの細い腕と軽い体では武器を持たずしてウルクスを殺すことなんて不可能だ。



「どうやって殺したんです……?」



「刀でバッサリやりやがった。お陰であいつの部屋は血の海になった」



 シュガルは自分の首を手刀でとんとんと叩いた。


 首を掻き切ったということだろう。


 ミチャはますます混乱した。どうやって武器を手に入れた? 確かに自分が一回武器庫には案内したが別に持ち出すようなことはしていなかった。となるとどこかから鍵を盗み出して開けたとしか考えられない。


 いや、でも今はそんなことはどうでもいい。問題はルノルノだ。


 アゴルの時は乱暴されそうになったところを抵抗したら偶然首に刺さって死んでしまったということで、見ようによっては事故とも言えなくもない。


 だが今度は違う。


 殺意をもった歴とした殺人だ。つまりルノルノが、本物の殺人に手を染めたということだ。絶望的な状況に追い込まれたあの純真で無垢な少女が、全てをひっくり返す最も暴力的な一手を打ったということなのだ。



「……処分、は……?」



 シュガルはもう一度コーヒーを啜った。彼は不気味な笑みを浮かべていた。



「ジェクサーとイブハーン、ミウレトぐらいしか現場は見てない。表向きはさっきも言ったが腹上死。アルシャハン教の規則に則って今朝埋葬も済ませた」



 シュガルは少し言葉を区切ってから、立ち上がった。



「つまり……俺達が黙っていれば、真実は闇の中だ」



 ミチャは居ても立っても居られなくなった。


 ルノルノに会いたい。傷つき、苦しみ、最後に足掻いた彼女に会いたい。


 しかしシュガルは言葉を続けながらミチャに近づいて来た。



「ウルクスは優秀な奴だった。いくら不意を打たれたからと言って小娘一人に簡単にやられる奴じゃない。だが、一矢も報いることなく、奴は死んだ。これの意味が分かるか?」



 シュガルはミチャの前まで来ると、その両肩に手を置いた。



「あの女はな。全てを読んでいたんだ。それが意図的なのか本能的なのかは分からない。だが計算に入れていたはずなんだ。ウルクスとの距離、自分の腕力、剣の重さ、部屋の中での剣の振るい方。もしかしたら光の加減や相手の疲れ具合も考慮に入っていたかもしれん。とにかく恐ろしいぐらいに冷静に全てを読んだ上で事に及んだはずなんだ。それだけじゃない。武器らしい武器は全部武器庫に保管している。それをどういう手を使ったのか分からないが開け、手に入れている。全てが計画的なんだ。あの小娘はウルクスを殺すためにありとあらゆる手を使って計画したんだ。そしてそれを成し遂げた!」



 シュガルはまるでつまらないがらくたの中から価値のある宝物を偶然見つけたかのように、目をぎらぎらと輝かせて笑っていた。ミチャは背筋が寒くなるような気がした。



「あいつは間違いなく殺し屋向きだ。俄然興味が出て来た。ミチャ、改めて言うぞ。お前の相棒に仕立てあげろ。きっと優秀な殺し屋になる」



 ルノルノが自分の元に帰って来る。それも殺人者という肩書きをつけて。


 しかし、本当にあの少女に殺し屋が勤まるのだろうか?


 アゴルもウルクスも殺したのは自衛のためだ。だがミチャの仕事は違う。何の恨みも無い相手を、命令されるままに、何の疑いも持たず、消さねばならない。


 あのあどけない顔と白く細い指を何の恨みもない人間の返り血で染め上げなければならない仕事なのだ。


 それだけの精神力があるのだろうか? 罪の意識で潰れてしまいやしないか……?


 そんなミチャの疑問に答えるように、シュガルは笑いながら言った。



「なぁに、もう二人も殺している。その上人数を重ねても罪は変わらないさ」



 シュガルはそう言いながら自分の席に戻ると、再びコーヒーを嗜み始めた。

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