第126話 大迷宮を預かる者

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 意を決して、もうすっかり見慣れた白木の観音扉を押し開く。

 こちらは、注連縄しめなわはかかっていない。


「よう。待ってたぜ」


 声の主は、真っ白で距離感のつかめない部屋の中央、コアの前に陣取るようにして座っていた。

 胡座あぐらで片膝を立てた、品行方正とはかけ離れた座り方。

 その体勢が、彼の性格を表しているようだった。


「初めまして、じゃあなさそうだね」


 彼の格好には、見覚えがあった。

 つい最近だ。


 日本神話でよく神々が着ているような、いくらかゆったりした白い服。

 そして、頭の両側で結った黒の髪。

 外見年齢としては、四十前後。壮年も終わりかけってところか。


 うん、夢の中で出会った彼だ。


「ああ。自己紹介も要らねぇだろ?」


 まったく、傲岸不遜な笑みだね。

 傲慢の象徴たる私が言うのもなんだけど。


「うん」


 この髭を生やしたイケおじが誰か。

 そんなのは、夢の中で彼と出会った場所も併せて考えたら、簡単な話だ。


 それはそれとして、立ったまま話してるのもだし、座らせてもらおう。

 黙って座った私を彼はどこか呆れたように見ていたけど、何か思い直したのか、満足げに頷く。


「それで、素戔嗚すさのおさんともあろう方が、私になんのよう?」

「とってつけたような敬意はいらねぇぞ?」


 そういう訳でもないんだけどね。

 これでも元は神道の家で育った人間だ。

 特に素戔嗚さんは、敬う対象としてかなり身近だし。


 まあいいか。

 

「そうだな、まずは、お前がこの地を制覇したことを祝福しよう」


 そう言って掲げられた彼の腕には、少し大きめの盃が一つ。

 いつの間にか、私の前にも同じサイズの盃と徳利とつくりが置かれていた。


「ん、あんがと」


 うむ、よく分かってるじゃない。


 私も同じように盃を掲げ、既に注がれていた酒を呷る。

 あ、美味しい。


「良い飲みっぷりだが、気が早ぇやつだな」


 あ、なんかまだ話があったらしい。

 ならどうぞ続けてもらって。

 私は次の一杯を楽しんでるから。


「……まあ良い。そのまま聞け。新たな時代に生きる龍の祖にして、人の姿をした龍、八雲ハロ。器として生まれ、器に至った者よ。お前が母、伊邪那美いざなみを解放してくれたことに、俺の最大の感謝を捧げる」


 三杯目をごうとしていた手を止めて、視線を上げる。

 そこにあったのは、真剣な様子で頭を下げる、三貴神がひと柱の姿。


 一瞬、どう返すか迷ったけど、思ったままを伝えることにした。

 目を伏せ、盃と徳利を置いて、何を気負うということも無く口を開く。


「私は私のしたいようにしただけだよ」


 別に、彼ら古き神の願いを叶えようと思って、とかじゃない。

 宗像三女神むなかたさんじよしんの思いも、流れで継げるから継いだだけだ。


 伊邪那美さんにかけた言葉だって、古き神の立場をそのまま継ぐなんて意味じゃない。

 この地が好きだから、極力守るって、それ以上の意図は無い。


 結果的に、色んな思惑と一致しただけ。

 私の言わんとしたのはそんなところだけど、たぶん、それを理解した上で、彼は態度を変えない。


「それでも、だ」


 彼が向けてきているのは、初めの傲岸不遜に見える態度とは正反対な、真摯な視線。

 素戔嗚さんからそんな目を向けられるのがどうにも居心地悪くて、後頭部を掻いてしまう。


「お前さんらの言う『神』ってぇのはそもそも、根源的な一つの力に、信仰が人格を与えて生まれた形無き存在だ」


 これは、旧時代の話か。

 

「そして今の俺たちも、元々の俺たちを核にして、魂力に宿った信仰だなんだって情報が形を持った存在に過ぎねぇ。要は魔法と同じ、だ」


 魂力に人々の認識、ここでは信仰が情報として宿り、具現化された存在。

 各種族の存在もそうやって生み出されたものだ。


 だから、知名度が高い性質ほど強く出るし、時にが混ざることもある。

 祖となった人物のパーソナリティが、種族全体にある程度反映されるのも、そうやって混ざったパーソナリティという名の、の影響。

 吸血鬼みたいに、全く別の存在が混ざる例もあった。

 

「元々の俺たちの時間は疾うの昔に終わっちまってるってのに、色んなもん混ぜられて縛られて、終にはこうしてまた、現世に肉体なんざ持っちまった」


 素戔嗚さんは目を伏せ、嘆く。

 それから、自らの盃を一気に呷った。

 

「神話はまだ良いが、ゲームやら何やらに出てくる俺たちなんざ、元の俺たちからはかけ離れてる事だってある。なのによ、俺たちには、んなもんも混ざってんだ」


 素戔嗚さんは自分の手のひらを見つめていたかと思うと、その手を握りしめて、そして空になった盃をもう一度満たす。


 自分が何者かすら分からねえようになっちまってる奴だっているんだぜ、と言う彼の顔は苦しそうに笑っていて、私の中の素戔嗚尊さんには無い一面を見せていた。


 口には出していないけれど、伊邪那美さんがそうであったようにと、そう言っているようにも感じられた。

 

「だからよ、そろそろ終わりてぇんだ、俺たちは」


 笑みが私に向けられるようになっても、その中に混ざる苦しみは変わらない。


 なるほど、だから宗像三女神たちは、私にあんな願いを託したのか。


 けどそれは、私自身の人格によって種族が決定され、さらには祖となった私には、分からない苦しみだ。


 知らぬ間に己が己で無くなっている恐怖。

 なんとなく、恐ろしいのだろうとは思う。

 それだけだ。


 だから、そう、と短く返すのが精一杯で、別にそれを悪いとも思わない。


 ただ、成り行きじゃなくて、ちゃんと進んで、彼らの『神』という立場を引き継いでも良いかもしれないとは思う。

 今の彼らは、あまりに不自由で、あまりに哀れだ。


「私はさ、別に、望まれた神になる必要は無いんだよね?」

「ああ。俺たち神は、本来、最も己のあり方に忠実な存在だ。善も悪も無ぇ。したいようにして、結果的に恐れられるか、敬われるか。それだけだ」


 そっか。

 なら、良かった。


 私が縛られないなら、後のことは些事だ。


「最終的にどんな風になるかは分からないけどさ」


 止めていた手を再度動かして、三杯目を盃にそそぐ。


「なったげるよ、『神』に」


 素戔嗚さんは私の言葉に、驚いたように眉を上げる。


「話が早ぇのはいいが、良いのか?」

「終わりたいんでしょ?」


 人がすがれる何かを欲する限り、或いは何かを恐れる限り、『神』の存在は消えない。

 人々の思いが情報源になって、その成り立ち故に、また彼らが縛られてしまう。


 その点で言えば、元々人として生まれ、今を生きる私なら、そんなものに縛られる事はない。

 どれだけ人々が縋ろうと、私は私自身の思いに忠実で、自由な、本来の『神』でいられる。

 だから、問題ない。


「ったく、神を哀れむなんざ、とんでもなく傲慢なやつだ」


 あらま、動機ばれてーら。


「まあ、私、龍だから」

「ハッ。……だが、まあ、助かる」


 素戔嗚さんは肩の荷が下りたような、安心した、でも疲れた笑みを、私に向ける。

 そんな笑みですら野性的なのは、彼が彼故のことなんだろう。


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