第113話 決戦前に
113
ひと月が過ぎた。
玄一郎さんの所にはあれ以来行っていない。
令奈曰く、上々や、って事だから、期待して良いと思うけど。
何にせよ、完成が待ち遠しい。
上々なのは、特訓の方も。
「ええ加減、観念しぃや!」
見慣れた石造りの大広間を白炎が埋め尽くす。
無事なのは、私を中心として半径何十メートルか。
この部屋の広さを考えたら、ほんの一部でしかない。
「これ、#大蛇に使ってたやつじゃん! 殺意!」
「アンタならこんくらい平気やろ」
平気だけども!
ていうか、あの儀式的なことしなくてもできたのね!
例の如く魂力の操作で炎熱を防ぐけれど、対処しなければいけないのはそれだけじゃない。
不意に差した影は、上から近づくウィンテのもの。
「今回は膝枕してもらいます!」
そんな欲望ダダ漏れな叫びと共に、緋色の大鎌が振り下ろされる。
槍で受け、躱して捌いていくけど、やりづらくて仕方ない。
ただでさえ白炎の対処に思考を割いているのに、鎌は独特な形状だから。
「ほんと、嫌らしい、なっと」
「癖は殆ど全部把握済みです!」
しかも相手はウィンテ。
なおさらしんどい。
「とはいえ、しっかり対処、されちゃって、るんですけど、ね!」
言葉が途切れるのに合わせて、空が鳴り、金属音が響く。
「ほんまに、どんな情報処理能力しとるん……」
魂力支配と操作による魔法防御でやる事は、水に浮かぶ砂粒をピンセットで一つ一つ摘んで、別の容器の水に移す作業に近い。
この砂粒は何種類もあって、うっかり同じ粒ばっかり移してると、逆に強い現象が起きたりするんだよ。
「発想力とか観察力とかじゃ負けるけど、そこは譲らんないね!」
例えば、炎の魔法なら光と熱の情報が魂力に込められてる。
この内熱の情報だけを取り出してしまった場合、相手の魔法より一層温度の高い熱に晒されることになる訳だ。
その辺気をつけながら令奈の魔法を希釈して、同時にウィンテの攻撃も捌いてるのが、若干引かれてる理由。
二人も別の能力で言ったら大概だと思うけどね?
さて、完全に硬直したね。
ここからどうしよう――
「そこまでだ」
か……って、あら、時間か。
あらゆる音が止み、守護者の間を覆い尽くしていた白炎もその猛威を収める。
そのキッカケとなった声の方を見ると、マフラーサイズまで小さくなった黒龍がいた。
「引き分け、やな」
「むぅ、膝枕……」
令奈がため息を吐き、ウィンテは残念そうに呟く。
何でそこまで膝枕したかったのかは謎だけど、諦めてもらおう。
気恥ずかしいし。
「ロードが四割、二人が六割といったところだな」
私たちが近づくなり、夜墨が教えてくれる。
最初に比べれば随分良くなったんじゃないかな。
「けっこう頑張ったんですけどね」
「まあそんなもんやろ。悔しいんは分かるけどな」
そうそう。
種族的にも個人的な得意分野的にも、むしろ流石って言いたいくらい。
私から言ったところで、慰めにはならないだろうけども。
「そうです、ね。少なくとも、十分そうです」
十分そう、か。
「じゃあ、挑むんだ?」
「はい、今週末に」
大迷宮に挑んでるのは、私だけじゃない。
「それじゃあ今日の晩御飯は、ちょっと豪華にいこう」
令奈も暫く来れないって言ってたしね。
というわけで、自室へ移動。
二人には先にお風呂へ行ってもらって、私はキッチンに立つ。
作るものは、もう決めてある。
まずは鍋に水を張り、昆布を放り込む。
これは三十分ほど放置。
待ってる時間でゴボウを笹掻きで切って水に晒し、鶏肉を一口大に切る。
鶏肉は下味をつけて、キッチンペーパー擬きで包んでおいた。
吸血鬼の誰かが作ったやつで、まだ市井には出回っていない。
まあ、まだ旧時代から生きてる人も多いし、そのままキッチンペーパーって呼ばれるようになるだろうね。
ここまで大体二十分弱。
魔法を使ってるとは言え、私と夜墨の食べる量が凄いからね。
「夜墨、お米研げた?」
「ああ」
「ん、あんがと」
真っ白になるまで研いだお米は、水に浸けておく。
少し硬めにするつもりだから、十五分くらいで。
続いて野菜類と薬味類を一気に切る。
薬味は、小口ネギにミョウガ、生姜と唐辛子。
野菜は、白菜に春菊、ニンジン、茄子、その他諸々。
こっちも大量。
「ふぅ。昆布の方はもう良いかな」
鍋を火にかけ、出汁を煮出す。
火力は弱火より強いけど、中火まではいかないくらい。
沸騰するのを待つ間に、生姜と大量の大根を下ろす。
一部は、もみじおろしにしよう。
沸騰したら昆布を取り出して、火を止め、鰹節をどぽんっ、からの再点火。
「上がりましたー」
「気持ち良かったわぁ」
「ん、おかえり。まだ暫くかかるから、好きにしてて」
はーい、という気の抜けた声に苦笑い。
なんだか、お母さんの気分だね。
この場合、夜墨がお父さんかな?
一応、人化した姿は男だし。
なんて考えてる間に再沸騰したので、鰹節を濾す。
これで出汁の完成。
この出汁の一部と、刻み生姜、鶏肉、牛蒡、ニンジン、舞茸を合わせ、米と一緒に新しい鍋へ。
はい、炊き込みご飯です。
「夜墨ー、ご飯お願い。お風呂行く」
「ああ」
彼も百五十年やってるからね。
お手のものよ。
急ぎめにお風呂を済ませて、料理の続き。
二人は、チェスで遊んでた。
私がいつも手伝わせないからね。
お客さんは座って待ってなさい! って。
現状は、令奈優勢かな。
ウィンテの唸る声を聞きながら、絹ごし豆腐を適当に切って、キッチンペーパーへ乗せる。
木綿の方が後の作業、簡単だけど、魔法使うから関係ないかな。
さて、また色々切るよ!
フグと寒ブリ、真鯛に、キンメダイ、ヒラメと、ノドグロもいこう。
あと迷宮で捕れた白身魚たちね。
豆腐の方は夜墨がやってくれる。
小麦粉をまぶして、揚げる。
ついでに茄子も。
うむ、揚げ出し豆腐と揚げ茄子だ。
ご飯は炊けて、蒸らし中。
ノドグロを魔法で炙りつつ、さっきとった出汁を使って揚げ出し豆腐用の餡を作る。
醤油は舞茸と椎茸の出汁醤油だよ。
九州醤油に近い、甘めのやつ。
残りの出汁はそのまま、アルミ製の鍋へ。
他の具材を盛り付けて、準備完了!
「よし、食べるよー」
「いつもすまんなぁ」
「待ってました!」
チェスを中断した二人が席につく間に、料理を一気に運び、机へ並べる。
並べ切れないのは、その辺に浮かせておこう。
二人が来た時用の机は、厚めのクッションの上に座ってちょうど良い高さで、少し大きめの円卓だ。
「おー、ホントに豪華です!」
「魚のしゃぶしゃぶか、ええな」
「二人とも好きでしょ、魚」
私もだけど。
肉より魚派です。
迷宮産以外のは冬の日本海でとって、きっちり処理した臭みゼロのネタだよ。
私たちみたいな鼻の良い種族でも平気なくらいの。
「タレは何使う?」
ポン酢調味料が何種類かに、醤油ダレ、もちろん胡麻ダレもある。
「市販品、じゃなさそうですね?」
「うん、作った」
「相変わらずやなぁ……」
いやだって、ほら、美味しいは正義じゃん?
私が選んだのは、胡麻ダレとポン酢二種。
ポン酢の片方は旧時代に一番オーソドックスだったやつに近づけたもので、胡麻ダレと同じ皿に注ぐ。
もう片方の柚子ポン酢は、別の小皿に注いだ。
令奈は、柚子ポン酢だけ。
ウィンテは食べ比べると言って、全種類を少しずつとっていた。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます!」
「いただきます」
まずは、フグから。
湯気を立ち昇らせる出汁へつけ、しゃぶしゃぶと三回ほど揺らす。
それから柚子ポン酢につけて、パクッと。
「うん、天才」
「しっかりしたお出汁に合いますねー。ポン酢も程よい酸味で美味しいです」
でしょ?
百年かけて研究したからね!
「お豆腐もええな。別の出汁つこうとるん?」
「地元の出汁醤油足してるだけだよ。奥出雲の方で作ってた椎茸と舞茸のやつ」
これはspで交換した。
今はもう製造元が存在しないから。
なかなかのお値段だったけど、二人の笑顔だけでも元をとるには十分すぎるくらい。
「因みに夜墨が揚げた」
「龍も料理するんか」
「私も龍じゃん」
「元人間の、やろ」
それはそう。
私も揚げ出し豆腐食べよっと。
下ろした生姜をちょろっと乗せて……。
やはり私天才では?
餡の甘辛さの後に生姜が香る。
ピリッと残る優しい甘みは、オロチの爪ってうちの地元で作ってた唐辛子のものだ。
「一家に一人、ハロさんが欲しくなりますね」
「嫁にもろたらどや?」
「あー、いいですね、それ」
何がいいんだか。
その辺はお断りさせてもらうとして、次いこ、次。
がーん、とか言ってるウィンテは置いておいて。
ホクホクと湯気を上げるのは、鶏肉と舞茸の炊き込みご飯。
こちらも最高に美味。
茸の香りと出汁の甘み、遅れて香るショウガ。
硬さも良い塩梅。
我ながら、天才的だね。
足りるかな、これ。
どの料理も、箸が進む進む。
特に迷宮産のやつ。
しゃぶしゃぶ用は真っ先に無くなってたよ。
「そろそろ魚の出汁も良い感じかな。野菜いっちゃおう」
「待ってました!」
あら、そんなに野菜好きだったんだ。
別に好きなタイミングで入れて良かったんだけどね。
「分かってますけど、お魚の出汁が出てからの方が美味しいじゃないですか?」
「それはそう」
令奈も頷いている。
私たち皆、出汁文化圏の出身だから、この辺の好みは合うね。
醤油文化圏の味付けは、私たちには幾らか
辛いで思い出した。
お酒、開けよう。
日本酒かな、このラインナップなら。
最近新しく作られた銘柄を試してみよう。
魔力を使って醸造したとかいうやつ。
結局、料理は微妙に足りなくて、少しばかり追加を作る事になった。
二人が思ったより食べたからだ。
まあ、料理人冥利に尽きる。
気に入ってもらえた訳だし。
二人は翌朝には帰り、週末の準備を進めるらしい。
配信するって事だから、のんびり見学させてもらうつもり。
既に明かりは消され、私たちはベッドの上。
二人の眠る横、紫の
返してもらったばかりのそれは、月明かりを受け、口角の上がった私の顔へ紫色の影を落とす。
特訓の成果、お先に見せてもらうよ。
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