ぼくと花子さんのいなかぐらし
ロコヌタ
第1話 呪いの古民家
窓をコンコンと叩く音が聞こえた。家族五人で夕食をとっていたときだ。
「家の外に誰かいるのかしら」
お母さんは食事の手を止めて、居間の南側にある古い木枠の窓にかかったカーテンを開けた。
「誰もいない……、気味が悪いわね」
お母さんが眉をひそめると、お父さんは「気のせいだよ」と面倒くさそうな顔をした。おじいちゃんは「猫じゃろ」と笑みを浮かべながらテレビを見て、ごくりとお茶を一口飲んだ。
確かに音は聞こえた。気のせいなんかじゃない。ぼくはお母さんと一緒に窓の外を見た。窓から漏れる居間の灯かりが、手入れされていない庭木と茶色く枯れた庭の雑草を照らす。お姉ちゃんが泣きそうな顔をしてぼくを見た。
楽しいはずの春休みなのに、新しい家に引っ越してきてから怖いことばかり起こる。新しい家といっても昔風のつくりの古民家だ。ところどころ床がギシギシと鳴り、窓からはすきま風が入ってくる。
今まで都内の綺麗なマンションに住んでいたのに、突然、お父さんとお母さんが田舎暮らしをするんだと言いだして、ぼくたちはここに住むはめになった。ぼくとお姉ちゃんは二人して「嫌だ」と大反対したけど、お母さんは、田舎暮らしをするのはぼくらの健康のためだと言って聞かなかった。ぼくもお姉ちゃんも去年は一度だって風邪なんかひいていないのに。
この家には、前に住んでいた人が使っていた古い飾り物があちこちに残されていた。例えば、玄関のくつ箱の上にある鬼のような顔をした仏像の置物。まるで、この家に足を踏み入れるなと言わんばかりにぼくたちをにらんでいる。そして、居間の壁に掛かっている真っ赤な顔をした天狗のお面。食事中チラチラと怖い顔が視界に入ると、気になってご飯の味さえわからなくなる。しかも、見るたびに表情が変わるような気がして気味が悪い。「怖いから捨てて」とお母さんにたのんでも、昔の雰囲気があるからと大事にかざったままだ。
もうひとつ怖いのが大きな神棚と、そこに置いてある、何が書いてあるのかよくわからないお
引っ越しの翌日、奥の部屋からガタンという大きな音がした。お姉ちゃんがキャッと悲鳴を上げた。お父さんが、あわてて音のした部屋にかけこんで様子を見に行くと、壁にかけていた神棚とお札が落っこちて、畳の上に散らばっていた。今までずっと落ちずにいた神棚が、ぼくたちが引っ越してきた途端に落っこちたんだ。
「棚を直しておいてっていったじゃない。DIYが得意だって言うからあなたに任せたのに……」
お母さんが文句を言うと、お父さんは申しわけなさそうな顔をして散らばった神棚やお札を部屋のすみに寄せた。いっそのこと捨てちゃえばいいのにってぼくが言うと、ばち当たりなことを言ってはいけないとお父さんに怒られた。もしも、呪いのお札だったらどうするのって聞いたら、横で見ていたお母さんが「呪いのお札ってなによ」と怒った顔でぼくを見た。そのやりとりをずっと聞いていたお姉ちゃんが「この家怖い」と泣きべそをかくと、「どこが怖いの」と、お母さんは今までになく怖い顔で僕たちをにらんだ。お母さんたちは、古民家での暮らしをとても楽しみにしていたから、ぼくらが家の悪口を言うと気分が悪いみたいだ。
この家の怖い話はまだたくさんある。なんと、この家には幽霊が住んでいるんだ。
夕方にトイレでおしっこをしているとき、どこからともなく声が聞こえてきた。
「助けて……」
小学生くらいの女の子の声だ。耳を澄まさないと聞こえないほど、とても小さな声。近所に住んでいる女の子の声が窓から聞こえてきたのかと思ったけど、トイレの窓の向こうは森のようになっていて家は一軒もない。でも、お姉ちゃんもトイレで女の子の声が聞こえたと怖がっていたから、空耳じゃないことは確かだ。ぼくは怖くなって、急いでトイレから出てお母さんに泣きついた。
「あんたたちが汲み取り式のトイレは怖いって言うから高いお金払ってリフォームしたんだからね!」
トイレが汲み取り式だからじゃなくて、幽霊の声が聞こえたから怖かったのに、お母さんはわかってくれなかった。お父さんも同じだ。
「母さんの言う通りだよ。お風呂だって暗くて怖いって言うから、マンションの時より広くて明るいお風呂にリフォームしただろ」
「やっぱり水回りはリフォームすべきよね、モダンな古民家って感じになったわ」
お父さんとお母さんは古民家のことが好きすぎて、ぼくやお姉ちゃんがどれだけ「怖い」と言ってもまったく取り合ってくれなかった。おじいちゃんにもどう思うか聞いてみたけど、五十年ぶりに故郷へ帰ってこれたことがうれしくて、家に幽霊が出ようとどうでもいいみたいだ。
怖い話はまだまだ続く。幽霊の声が聞こえるのはトイレだけじゃなかった。学校が始まる前日、お姉ちゃんの部屋の窓からも気味の悪い女の子の声が聞こえて、ついにお姉ちゃんは泣き出してしまった。
「オバケの出る家で受験勉強なんかできないよ!」
お姉ちゃんは明日から中学3年生になる。制服のかわいい都内の女子高に通うため、がんばって勉強するんだと張り切っていた。それなのに、空気のいい田舎のほうが頭もさえて受験勉強がはかどるのよってお母さんは絶対にゆずらなかった。お姉ちゃんが泣きべそをかいてふてくされていると、見かねたおじいちゃんがぼくに言った。
「リュウタ、ミソラと部屋をかわってやってくれ」
「えっ、いやだよ! おじいちゃんが変わってあげなよ!」
「じいちゃんは、便所に近い部屋じゃないと漏らしちまうから無理だ。あっはっは」
ぼくは泣いていやがったけど、結局、お姉ちゃんと部屋を交換することになった。今日で春休みも終わって、明日から新しい学校だから早起きしたいと思っていたのに、いつ部屋の窓をコンコンとノックされるかと思ったら怖くて眠れなかった。しかたないから眠りにつくまでお母さんに横にいてもらったけど、夜中の2時にぼくは再び目を覚ましてしまった。白い顔をした女の子が「助けて」って夢に出てきたからだ。怖くて大きな声で助けを呼ぶと、驚いたお母さんが心配して起きてきて、「怖い怖いと思ってるから怖い夢を見るんだよ」とあきれていた。
翌朝目を覚ますと、夜中に怖い夢を見て起きてしまったせいでまだとても眠かった。パジャマのまま居間に行くと、すでにお姉ちゃんは新しい中学校の制服に着替えて、お父さんやおじいちゃんたちと朝ご飯を食べていた。ぼくのおかげでオバケに会わずにすんだというのにお礼の一言もない。お姉ちゃんをうらめしそうににらんでいると、お母さんがトレーにぼくのご飯とおかずをのせて居間にやってきた。
「リュウタ、早く着替えてご飯を食べないと遅刻よ」
「眠いから食べたくない……」
「食べないと学校でバテちゃうでしょ?」
「眠いから今日は学校に行かない……」
「なにバカなこと言ってるの、今日から6年生になるっていうのに!」
おじいちゃんもお母さんに加勢した。
「リュウタ、転校生は最初が肝心だぞ。たくさんめし食って学校が吹き飛ぶくらいの声であいさつするんだ。ナメられちまうからな、あっはっは」
もうすぐ90歳になるおじいちゃんは、いつもふざけたことばかり言う。
仕方なく服を着替え、お腹が減っていなかったけど無理やりご飯をかきこんだ。そのうちお姉ちゃんは朝ごはんを食べ終わって家を出ていってしまった。
「学校まで歩いて20分以上かかるんでしょ? 早く食べなさい」
お母さんがぼくを急かすと、玄関から「おはようございます」と男の子の声が聞こえた。近所に住んでいるイワセミツナリくんだ。ぼくを誘って学校へ来るようにと先生に頼まれたらしい。残りのご飯を急いで食べて、玄関に出てミツナリくんに「おはよう」とあいさつをした。お父さんとお母さんも一緒に玄関へ出てきて、ぼくとミツナリくんを見送った。
小学校までは小さな山をひとつ越えないといけない。最初は坂道を登って途中からくだり坂。とても大変な道のりだけど、お姉ちゃんの通う中学校は山を2つ越えないと行けないからもっと大変だ。来年はぼくも中学校に上がるから、疲れたなんて言っていられない。だけど、ミツナリくんの歩くペースが速くて、だんだんと足が痛くなってきた。
「学校まで遠いね」
ぼくが疲れた感じで言うと、ミツナリくんは平気な顔をして言った。
「そうでもないよ……、それよりかっこういいくつだね」
「うん、日本限定モデルのスニーカー。あまり売ってないやつなんだ」
ミツナリくんはぼくのスニーカに興味があるみたいで、どこで買ったのかとか、いろいろと聞いてきた。東京にはたくさんのお店があることを話すと、うらやましがっていた。田舎のくつ屋さんでは、限定モデルのスニーカーをあつかってないみたいだ。
実はこのスニーカーは、去年の秋ごろ「田舎になんか住みたくない」って駄々をこねていた時、お父さんに買ってもらったものだ。あの時のお父さんは、ぼくたちを説得するために必死だったみたいで、お姉ちゃんは洋服とスマホを買ってもらった。ぼくもスマホが欲しいってねだったら、小学生はダメだって言うから、代わりにゲームソフトをたくさん買ってもらった。
「ゲームとかやる?」
今度はぼくがミツナリくんに質問をすると、「うん、やるよ」と満面の笑みが返ってきた。お父さんに買ってもらったゲームを、偶然にもミツナリくんも持っていて、今度一緒にぼくの家で対戦しようってことになった。こうしてミツナリくんは新しい学校で最初の友達になった。
教室に着くと、担任のコテハシ先生がぼくのことをみんなに紹介してくれた。背がとても高くてひょろっとしたコテハシ先生は、ぼくのお父さんよりも年上で、髪がちょっと薄くておでこが広い。「シャキっとせんか!」が口癖の、すぐに怒ることで有名な怖い先生みたいだ。
ぼくが東京から来たことがわかると、クラスのみんなは東京の学校の話を聞きたがった。休み時間になると、ぼくの周りには男子だけでなく女子もたくさん集まってきて質問攻めにあった。
「ねえ、何区? 何区に住んでた?」
なにげなく「港区」と答えると、そんなことはないのに「お金持ちだ」とみんなが騒ぎ出した。そのあと、限定モデルの高いくつを履いていることをミツナリくんがみんなに話すと、女子たちがぼくの服を見て「服もおしゃれだね」と目を輝かせた。男子たちも「うん、うん」と感心するようにうなづいていた。
転校生というと最初からいじめられるものだと不安だったけど、意地悪なことを言ってきたりする子は一人もいなかった。むしろ、驚くほどみんなにチヤホヤされて、これなら1年間楽しくやれそうだと思った。
でもそのとき、ぼくを囲む人だかりから離れたところに、つまらなそうな顔でこっちを見ている3人の男子がいることに気が付いた。もしかして、ぼくのことを気に入らないのかなと思っていたら、その予想はみごとに当たった。
学校が終わって、ミツナリくんと一緒に朝来た道から帰ろうとすると、うしろから大きな笑い声が近づいてきた。振り返ると、さっきの男子3人組だった。
「あっちの道から帰ろう」
ミツナリくんはヒソヒソ話をするようにぼくの耳元でささやいた。その道は、小さな車がやっと通れるくらいの幅しかない田んぼのあぜ道だった。
「どうしてあぜ道を通るの?」
ミツナリくんにたずねると、リュウセイくんたちが来たからだと再び小声でささやいた。
ミツナリくんのあとをついて田んぼのあぜ道に入っていく。引っ越してきた時は荒れ地のようになっていた田んぼには、いつのまにか水が張られて、あたり一面まるで大きな湖のようになっていた。
「おーい、ミツナリと東京の転校生、途中まで一緒に帰ろうぜ」
うしろからリュウセイくんたちが大きな声でぼくたちを呼んだ。3人の中で一番背が高くて強そうな男子がリュウセイくんだ。リュウセイくんたちはあぜ道に入ってぼくらのあとをついてきた。ぼくたちがわざと気付かないふりをしてそのまま歩いていると、リュウセイくんは「待てよ」と走り寄ってきて、ぼくの背負っていたランドセルを片手でつかんだ。うしろによろけて転びそうになったぼくは、リュウセイくんに「やめろよ」と怒った。するとリュウセイくんは、ムッとした表情でぼくの肩を思い切り突き飛ばした。
「転校生のくせにオレに命令するな!」
リュウセイくんに突き飛ばされ、ぼくはバランスをくずして右足を田んぼに突っ込んでしまった。
「あーっ、くつが!」
大きな声でミツナリくんがぼくの右足を指さした。じわじわと泥水がくつの中に入ってくるのを感じた。張られたばかりの田んぼの水はとても冷たかった。ゆっくりと田んぼのぬかるみから右足を上げると、お父さんに買ってもらったばかりの限定モデルのスニーカーは泥だらけになっていた。それを見たリュウセイくんたち3人は、あやまりもせずに笑いながら逃げて行った。
半泣きでくつの泥を落としていると、ミツナリくんはぼくのことを心配して、コテハシ先生に言いつけようと興奮して顔を赤らめた。でも、コテハシ先生に言いつけたことがバレると、またリュウセイくんたちに意地悪をされるかもしれない。だからぼくは「今回は許してやろう」と強がった。
泥だらけのくつで家に帰ると、お母さんが庭で家庭菜園の世話をしていた。ぼくの泥だらけのくつに気が付くと「そのくつどうしたの」と心配そうな顔でぼくを見た。クラスメイトに田んぼに落とされたなんてかっこう悪くて言えないから、ザリガニを取ろうとして滑ったと言ってごまかすと、「自分で洗いなさい」とあきれ顔で庭の水栓を指さした。
しかたなく冷たい水でくつと足を洗っていると、お姉ちゃんが家の前の道を歩いて帰ってくる様子が目に入った。下を向いて暗い顔をして家の敷地に入って来たお姉ちゃんに、野菜の苗を植えていたお母さんが気が付いて、しゃがんだまま「おかえり」と声をかけた。ところが、お姉ちゃんは無言のまま家の中へ入って行ってしまった。お母さんは立ち上がって、勢いよく閉まった玄関の扉をしかめっ面で見つめていた。
その日の夕食時、学校はどうだったかとおじいちゃんがぼくにたずねた。東京から来たことを伝えたらクラスメイトからチヤホヤされたと話すと、「じいちゃんに似て男前だからな」とほこらしげに笑った。
「ねえ、お母さん。ミツナリくんが今度うちに遊びに来ていいかって」
「もちろん大歓迎に決まってるでしょ。仲のいい友達ができて安心したわ」
友達ができたことを話すと、お母さんも嬉しそうに笑っていた。
「ところでミソラはどうだった?」
おじいちゃんがお姉ちゃんにたずねた。しかし、ムスッとしたまま何も言わずお姉ちゃんはご飯を食べ続ける。お父さんが心配して、なにかあったのかとたずねても、お姉ちゃんはまるで何も聞こえなかったかのように大皿から唐揚げをつまんで口にした。その様子を見たお母さんが、中3にもなってその態度はなんだと注意すると、お姉ちゃんは無言で箸をおいて自分の部屋に引っ込んでしまった。昔からお姉ちゃんは家や学校で気に入らないことがあると、何も話さずに黙り込むクセがあった。だから今回もほとぼりが冷めるまで放っておこうということになった。
「なにかあったのかしら」
お母さんは不思議がっていたけど、ぼくはなんとなく理由がわかっていた。
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