第三十八話 分析



謎の物体、通称『勇者の腕』の分析と考察メモ



 今回の分析により、実に、実に驚くべき結果が多く見られた。それについて、重要事項を書きだしておこうかと思う。


 さて、既知の情報を整理してみよう。まずこの『勇者の腕』の伝承は多くあるが、その共通点は次の三項だ。無制限に再生すること、触れた生命を殺すこと、そして過去に『勇者』から分離したこと。では今回赤井龍之介氏が継承したこの右腕は、『勇者の腕』の特徴に当てはまるものなのか、順を追って検証しよう。


 まず無制限の再生能力について。これは私、坂井緑が彼の睡眠中を狙って腕をナイフで損傷させてみて検証した。結果、一秒足らずで傷跡が跡形もなくふさがったことから、再生能力は確かにあるものだと思われる。それより興味深いことは、彼が右腕に傷を受けたときに何も反応が無かったことだ。比較として左腕で検証したところ、軽く触れただけでも起き上がった。この二つの差異は非常に興味深いが、ここでは事実として記しておくにとどめる。


 次に、その右腕が触れただけで生物を殺傷することが可能かについては、間違いないと思われる実験結果が十分にそろっている。詳細は省くが、その殺傷能力の特徴は三つある。


 一つは、触れた対象の生物は徐々に腐敗するように朽ち、最後は無機の物体だけが残されること。そのため魂を奪い取り即座に殺すとされるいわゆる『闇魔術』との関連性は、私は否定的である。


 二つ目に、殺傷能力の及ぶ生物はおそらくすべての細胞を持つ生物であると思われる。右腕で握った土に微生物が観測されなかったことから、そう判断した。


 三つ目に、この能力は制御不可能であるということ。すなわち、右腕が触れた時点でその対象は赤井龍之介の意志に関係なく朽ちてしまう。この点だけは伝承の勇者と異なる点であるが、それ以外は伝承と酷似している。これらのことから、この腕は伝承にあった『勇者の腕』と同一の存在であると認めても良いのではないかと思われる。


 さて、それでは今回の分析の結果について移ろう。今回使用した器具は(固有名詞を無理やり地球の言語の枠に収めると)CGaMという物だ。Chemistry, Gift, and Magicの頭文字を取ったもので、実体的化学物質の組成、帯ギフト(ギフトをどれだけ帯びているか)、魔法由来の仮想物質の含有量の三つを測定できる。


 今回右腕の小指をこのCGaMにかけたところ、興味深いことが分かった。まず、化学物質の組成はなんと通常の人の肉体とほぼ変わらない。そして帯ギフト及び仮想物質はどちらも0を示した。この世界は通常、物質は微量ではあるもののギフト粒子を帯びているとされている。仮想物質含有量が0であること自体はおかしなことではないが、このような特異な性質を持つ物体が何も魔法由来の物がないということが不可解だ。


 このように『勇者の腕』には未だ多数の不可解な点が残されている。ところで……





「ところで、後ろからあんまり覗かないでくれないかな? リュウ」


 相変わらずの白衣姿でなにやら執筆中のリョクの後ろから何となく文章を追っていると、そうやって叱られた。


「……え? 寝てるときに襲われてたの? 俺」

「え、うん。実験したかったし」


 あっけらからんと言い切ったリョクに、俺は呆れて物も言えなかった。左側をちらりとみて、背後にあった椅子に座る。


「せめて前もってなんか言ってくれよ……」

「言ったら拒むでしょ、たぶん」

「そりゃね」

「ほら」


 ほらと言われても困る、と俺は心の中でつぶやいて左側を向いた。けど、これでようやくいきなり小指を切り落とせと言ってきたことに合点がいった。腕の再生能力に自信があったんだろう。できればその根拠がどこから来るのか説明してほしかったが。


 あの後、指は結局リョクが切り落としてきた。痛覚は全く無くて、感覚もなくて、すぐにひょいっと生えてきたのがとても気味が悪かった。


「……ごめんね」

「いいよ、慣れてるし」

「あはは、そんな優しいとメンヘラに刺されそう」

「リョクだから許してるだけだよ」

「……へ、へぇ」


 リョクのペン先が一瞬止まった後、カリカリと大慌てで書き始める音が部屋の中に響いた。





『なにそんなに顔真っ赤にしてるんですかサカイ』

『……べっつに』

『あ、お戻りですかネーターさん』


 公爵への定期報告を終えて戻ったネーター准教授。


『ここはホウレンソウが育ってないみたいですね、まだ二人のヒューマンが牢を出たということは知らなかったみたいです』

『大丈夫かこの組織、なんやかんやでもう3時間は経ってるぞ』

『予算が下りる組織はいい組織ですよ』


 リョクの呆れたような物言いに対してあっけらからんと答えるネーター。俺はその会話を聞きながら左側の壁をぼんやりと眺め続けていた。


『さて、仕事だネーター。私たちをお前の家に連れていけ』

『仕事ということは金が出ますか?』

『給料はやりがいだ』

『争議権は?』

『認めた覚えはない』

『公爵自治領の法で保障されて……』

『その法とやらが私に適用されると思うかい?』


 現代のホワイト企業ではありえない問答の後に折れたのはネーター。


『……まあ、ここで戦闘すればバレますからね』

『そうだとも。じゃあ行こうかリュウ!』

『はいはい』


 そうして立ち上がった俺を見て、少し首をかしげたネーター。


『アカイ、気のせいならいいのですが、そちらに何かあるのですか?』

『……へ?』

『いえ、頻繁に左側を向いておられたので、何かあったのかなと』

『いや、別に。特に何もないですよ』


 俺がそう言うと、ネーターはこくりと頷いた。

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