第2話 弱い吸血鬼の誓い
現在の地球の支配者はキノコだ。
長い時をかけて地球全体に菌糸を伸ばしたそのキノコは、進化して特殊な胞子を飛ばすようになった。胞子を吸い込んだ生き物はキノコ動物となり、操られ、暴走してさらに胞子を拡散させる。
こうして地球はキノコの楽園となり、体をサイボーグ化した人間だけが生き残った。地球を支配したキノコは、いつしか〈ナラタケ・ジ・アース〉と呼ばれるようになった。
◆ ◆ ◆
男の意識は朦朧としていた。一刻も早く血を吸わないといけない。だが、目の前の少女の首は硬く、牙が欠けてしまった。これでは血が吸えない。
「さいぼうぐ……新手の種族か。人間はもういないのか? うっ」
目は霞み、頭がガンガンと痛む。折れてしまった手足の骨は再生していない。
男は地面に這いつくばり脂汗を流しながら、ドレス姿の少女に言った。
「さいぼうぐの小娘よ。我を人間のところに連れて行け。そうすれば、さいぼうぐを配下の種族に加えてやらんでもないぞ」
「なに言ってるんだろう、この変態……それに、よく見たら生身だね。進化したキノコ人間かなぁ?」
「キノコ人間?」
二人の会話は噛み合わない。
「人を食べるつもり? さっきも噛みついてきたしさ」
「ふっ、我々吸血鬼にとって、人間などただの食事よ!」
男は両手を優雅に広げてポーズを取ろうとしたが、両手両足がバキバキに折れているので、地面でモゾモゾ動いただけだった。
そんな男を冷たい目で見下ろしながら、少女は右手をスッと上げた。クマを八つ裂きにした時と同じように……
それを見て、男は慌てて言った。
「ま、待て。その魔法は……今の私には少しだけ効く気がする……できれば、やめてくれないか?」
「え、人間を食べるんでしょ? 私一応人間だし」
「何? そうか。さいぼうぐは人間の進化系か。まあ、食べると言ったって、血を飲むだけだ。野蛮にムシャムシャ食ったりはしない。我々は高貴な生き物だからな」
「ふーん。血が欲しいの?」
「あ、ああ、そうだ。だからお前の血を……」
少女は背負っていた鞄の中から赤い液体の入ったパックを取り出し、地面に放り投げた。その赤い液体はほんのり光を放っていた。
「人工血液だよ。あげるよ」
「なっ……! この私に、地面に投げた物を拾って飲めと言うのかっ! ふざけるな、いらん!」
「いらないなら良いけど……なんか指先が塵みたくなって消えてってるけど、大丈夫?」
「なに! ううう……屈辱だが、仕方がない!」
男は地面を這って人工血液のパックを取ると、勢いよく破き、ぼんやり赤く発光する中の液体を喉に流し込んだ。
「ぐへへ……おえっ! まずっ! しかも光ってる! なぜだ!」
「さあ? なんとなく?」
一応血液としての効果はあったらしく、男はほどほどに自分の中に力が戻ってくるのを感じた。男は早速、バキバキに折れていた両手両足を再生させた。
そして、長年研究を重ねた威厳たっぷりに見える角度を意識しながら身をそらせ、少女に向かって尊大な態度で言った。
「小娘、よくやった。名を聞いておこう」
「名前? 『ラーレ』だけど……そう言う変態珍生物さんの名前は?」
「ふっ。私の名か? ルス……いや、その名は捨てた。そうだな……」
ちょうどその時、雲間から満月の光が降り注いだ。夜空を見上げながら、男は恍惚とした表情を浮かべ、言った。
「良い月だ……そうだ。私の名は『モーント』。そう名乗るとしよう」
「血を啜る変態珍生物、自称モーントね」
血を啜る変態珍生物、いやモーントは、少女の前に立ち、言った。
「小娘、私への侮辱は死に値する。残念だが――死ね」
モーントは腕をサッと横に振るった。
人間離れした怪力で、ラーレの首が無惨にちぎれ飛び――はしなかった。
「あ、あれ? 人間をボロ雑巾のように引き裂く怪力、のはず……」
ラーレは人差し指一本でモーントの腕を受け止めていた。モーントは力を込めるが、腕がプルプルと震えるだけだった。ラーレは少し困った顔をして言った。
「うーん……この変な生き物は、一体何がしたいのかなぁ?」
「ば、バカなぁ。うっ、ごほ、ごほ……」
モーントは胸を押さえ、咳き込んだ。その様子を見てラーレが首を傾げる。
「胞子で苦しむってことは、キノコ人間じゃないのかな。でも、なんで死んでないんだろう。本当に変な生き物だねぇ」
「ううう……あのマズイ血が悪いのだ。首から本物の血を吸えば……うおおおお吸わせろぉ」
モーントは牙を再生し、再びラーレに襲いかかった。結果は同じで、牙はポッキリと折れて地面に転がった。
ラーレは肩をすくめた。
「サイボーグのスキンバリアーに牙が通るわけないでしょ」
「ううう……なぜだ、なぜ血が吸えないのだぁ。吸いたいよぉ……吸わせろぉ……」
情けなく膝をついて項垂れるモーントを、ラーレは哀れみと
「なんか気持ち悪いから、放っておこう……弱いから危険性もなさそうだし」
「弱いだと! この私が?」
「じゃあね。あと、これも全部あげるよ」
ラーレはそう言うと、勢い良く地面を蹴った。スカートを翻しながら軽やかに数十メートル跳躍したかと思うと、空中を蹴ってさらに加速し、あっという間に見えなくなった。
一人残された吸血鬼モーントは屈辱に震えていた。そこには三パックほどの人工血液が無造作に地面に置かれていた。
「くそう、くそう……許せん! 絶対に本来の力を取り戻して、あいつの血を吸って、そして吸血鬼にしてやるのだ。私の眷属として、なんでも言うことを聞かせてやるぞ。ぐへへ……絶対にだ!」
こうして吸血鬼モーントは、サイボーグ少女ラーレの血を吸うことを強く心に誓ったのだった。
続く
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