従兄の頼みごと

融木昌

従兄の頼みごと

「待たせたな」

 井山は片手を挙げ、申し訳なさそうな素振りを見せる。二十分の遅刻で、電話ぐらい入れろよと思うが、謝っていると理解してやることにした。同期入社の彼とはこの四月の定期異動で共に係長に昇進し、忙しい日々が続いたこともあって、いつもの居酒屋で二人で飲むのは久し振りだった。俺がジョッキを手にしているのを見て、彼はすぐさま生ビールを注文し、

「今までと仕事の内容が違うので、遣り取りに時間が掛かってしまった」と言い訳を口にした。

「それは俺も同じだ」

 すぐさま言い返す。我が社は社員育成の観点から、それまでとは別の部署に異動して昇進するという方式を採用していて、俺たちもそれぞれ別の課に移って係長になっていたからだ。同じような悩みを一頻(ひとしき)りぼやき合ったあと、

「このところ事件の話がないな」

 空けたジョッキを眺めながら、井山がまたぼやいた。

「いつもあったら困るだろう」

「別に困らないが、事件じゃなくてもそれに似たような話題はないのか?」

 店員を呼んで彼は生ビールと焼き鳥盛り合わせ、野菜サラダを注文し、お前は冷酒でいいなと訊いてきた。二杯目からはいつも冷酒に替えるからだ。ああ、と答えるが、実は従兄(いとこ)に困りごとがあり、彼に相談したものかどうか迷っていたのだ。親戚の話をべらべら喋るのは如何かと思う一方、井山の推理力には一目置くところがあって、彼に聞いてもらえば解決の糸口が見つかるかもしれない。

「ないことはないが」と答えてしまう。

 他言無用と断り、説明を始めた。

 先日、従兄の母、俺にとっての伯母――従兄夫婦と同居していた――が亡くなったのだが、彼女が持っていたルビーの指輪――百万円はするという代物もので家宝として代々、嫁に引き継いでいくという――が行方不明だというのだ。家中探しても見当たらないため、彼女によくしてもらっていた俺に、あるとすればどこかを考えてみてくれ、と従兄が頼んできたのだ。俺はちょくちょく伯母の家に遊びに行っていて、小さかった頃は絵本を読んでくれるのが楽しみだった。本棚にたくさん並んでいたが、その本を書いた人からもらったという赤い表紙の絵本だけは絶対に触れさせてはくれなかった。また、引き出したり押し込んだりする小さいノブがたくさん付いた足踏みオルガンがあって、一端(いっぱし)のオルガニスト気取りでノブを引っ張ったり、鍵盤を叩いたりしていたことを覚えている。料理が上手で、大きくなってからも食べたことのないおいしい料理が出てきて感激したことが何度もあった。とりあえず絵本の本棚の奥ではと伝えたが役には立たなかったようだった。

「まずはご愁傷様。いくつだったんだ?」

「七十六。そう言えば伯母はお前と同じで大のビール好きだったよ」

「ビール好きにはいい人が多いんだが、ちょっと早かったな。ところで指輪はどこに保管してあったんだ?」

 井山は運ばれてきたジョッキに手を伸ばす。

「使わないときは家のダイヤル式の金庫に入れていたそうだ。勿論、金庫のなかにはなかったが、俺も一度だけ見せてもらったことがある。鮮やかな紅色の石で豪華なケースに入っていた」

「指輪を最後に見たのは?」

「伯母が亡くなる二か月ぐらい前らしい。従兄が金庫を開けた際、ケースがあったのを覚えているそうだ」

「中は見ていないのか?」

「用もないのにいちいち確かめないだろう」

「そのときあったとして、二か月前以降に伯母さんか誰かが金庫から持ち出したことになる。遺言書に書いてあるとか、あるいは亡くなる前に伯母さんから何か話はなかったのか?」

 それが、と俺は従兄から聞いた内容を説明した。伯母は旅行から帰ってきて体調を崩し、その後突然、脳梗塞で亡くなってしまったため、指輪のことを話題にする機会はなかったらしい。伯父は既に亡くなっていて相続人は従兄とその妹の二人で、簡単な遺言書はあったが指輪のことには触れられていなかった。従兄の奥さんに渡ることになっているからだろう。数年前にも伯母は軽い脳梗塞を患ったことがあり、幸い後遺症はなかったが、それ以来、伯母名義の預金通帳や印鑑などは従兄に預けていて、結果として相続はスムーズにいったようだ。

 話し終わると井山は、

「家の中は隅から隅まできっちり探したんだろうな?」と念を押してきた。

「従兄は三回、家探(やさが)ししたそうだ。紛失したと思っていたものが見つかったり、あることを知らなかったものを発見したりしたとも言っていたが、指輪は見つからなかった」

 答えながら俺は焼き鳥に七味を振りかけ、砂肝を口に運ぶ。

「ケースに入っているとすれば、その大きさだと見つけるのはそんなに難しくないはずだ。指輪は家の中に無いのかもしれない」

 ねぎまの串を取った井山は、

「確認だが、伯母さんが旅行の際に失(な)くしたということはないんだな」と続けた。

「旅行には持っていかないだろうし、そんな話は聞いていない。それに失くしたら伯母が話すだろう」

「言えないまま亡くなったかもしれないぞ。泥棒の可能性は?」

「そういう形跡はないし、他に無くなったものもないので、それはないと言っていた」

「じゃ、妹さんが伯母さんから貰ったとか、兄嫁に渡るのが不満で勝手に持ち去ったというのはどうだ?」

 失礼な質問だが、従兄も妹にそれとなく訊いたそうだ。知らないとの返事で、兄妹間で険悪な雰囲気になっても困るとそれ以上の追及は止めたと言う。井山が言うように家の中にないとすれば、誰かが持ち出したと考えざるを得ない。妹は勝気な性格で兄嫁とは仲がいいとは言えなかったようだが、そんなことをするだろうか……。その兄嫁、従兄の奥さんの場合はいずれ自分のものになるのだから変なことをするとは考えにくい。誰が何のために持ち出したんだろう。盗ったとしたらみんなの前で指輪を嵌(は)めることなんかできないし――まさか、お金に換える? 高価な宝石だから結構な値段になるに違いない。金庫から指輪が無くなっていたとしたら開けることができる者が怪しいとなるが……。これ以上詮索して、親族の恥を晒すようなことになってはまずい。

「もう、いいよ」と告げる。井山は、

「待て、待て。いずれにしても伯母さんが絡んでいる可能性が高いんだから、最近の行動に何かヒントが隠されていないか検討してみようぜ。旅行はどこに行ったんだって?」とジョッキを傾けた。

「伯母は高齢者が多く通っている英会話教室に行っていて、女性の教室仲間三、四人でその内の一人が所有している別荘に遊びに行ったということだ。列車とタクシーで三時間ちょっとの山麓にあるそうだ」

 次の週の教室は休みとなっていたので、ゆっくり一週間滞在したらしい。伯母はとても楽しみにしていたようで、出発当日は始発電車に乗るような早い時間に、着替えなどいっぱい詰めた大きなスーツケースを引っ張って出て行ったとのことだった。

「張り切って出掛けたのに、帰ってきて急に亡くなったんだな」

「帰って三日目の夜中だったそうだ。倒れたことに気付くのが遅かったのか、救急車を呼んだが助からなかったということだ」

「旅先で予兆的なものはなかったのか?」

「なかったんじゃないかな。伯母は友達とゆっくり過ごすので、電話など掛けてこないでくれ、何かあれば彼女から連絡すると言って出掛けたらしい」

 井山が黙っているので、

「ヒントになるものはあったのか?」と訊ねる。

 彼は手羽先に手を伸ばし、「ちょっと引っ掛かるんだよな」と呟いた。

 何がだよ、と訊くと、

「一週間とはいえ友人の別荘だろう。スーツケースというのはちょっと大げさじゃないか」

「女性だから着替えの服や下着など、いろいろ要るだろう」

「洗濯もできるはずだし……」と、井山は腕組みをし、首を傾げた。

「考え過ぎじゃないか」

「そうかもしれないが、他に変わったことはなかったか?」

「旅行から夕方に帰宅して一人で荷物の片づけを始めたが、疲れたのか夕食も食べずにすぐに寝てしまったそうだ。よっぽどくたびれたんだと従兄が言っていたぐらいかな」

「別荘への旅行にしてはちょっとひどくないか? ひょっとして時差ボケの可能性も――」

 井山がおかしなことを言い出した。

「行ったのは国内だぜ。旅疲れだろう」と返すが、

「さっきから伯母さんの行動に引っ掛かっていたんだ。そんなに早く出発する必要がないと思われるのに早朝に、しかも大きなスーツケースを持って出掛けているだろう」

 井山は海外旅行に出発する当日みたいだと言う。確かに飛行機の出発時刻の二時間ほど前に空港に着くよう求められるなど、昼頃の出発便であったとしても早朝に家を出ないといけなくなることがある。

「伯母のことだからビールの本場のドイツへでも行ったかな」

 海外と聞いて、従兄が指輪を探していた際、伯母の部屋の飾り棚にそれまで見たことがなかったミュンヘンの有名なビアホールのマークのついたジョッキを見つけたと話していたことを思い出したのだ。国内でも買えるはずだから、俺は冗談で言ったつもりだったが、井山はまともに受け取ったようだ。

「ドイツだと時差は八時間ぐらいだから昼夜逆転とまではいかないが、時差ボケは十分考えられるし、その可能性はあるんじゃないか」

 指輪探しがいつの間にか海外旅行の話に変わってきた。

「さっきのは単なる戯言(ざれごと)だよ。それに通帳を含めお金の管理を従兄に委ねていたのだから、別荘に行くということで必要なお金を貰ってるはずだ」

「知らない者同士で議論していてもしょうがない。確かめればいいことだ」

 井山は従兄に確認するよう求めてきた。旅行の費用として伯母に渡した金額とパスポートがあれば最近、海外に出掛けた形跡がないかを教えてもらうのだと言う。

 従兄は、渡したのは十万円だとすぐに答えてくれたが、パスポートの件については何のことか要領を得ないようだった。とりあえず調べてくれと電話を切った。

「十万円じゃドイツに一週間は行けないだろう」

 これで海外旅行の話はおしまいだな、と言い放つ。井山はそれに答えず店員を呼んで焼き魚と冷奴を注文し、彼はジョッキを、俺は冷酒の杯を無言で傾けた。

 しばらくして折り返しがあった。伯母のパスポートのスタンプから別荘にいるはずの時期に少なくともドイツに行っていたことが分かったと驚きの声で伝えてきた。

「当たったな」

 井山は持っていたジョッキを掲げる。俺はきつねに抓(つま)まれたような気分となった。何があったんだろう? 伯母が嘘を吐(つ)くなんて。

「海外行きを家族に反対されると思ったのかもしれないぞ」

「しかし、十万円でどうやって行くんだよ。格安のツアーでも見つけたのか?」

 まだ信じられずに疑問をぶつける。

「ツアーにしろ個人旅行にしろ高齢だからそれなりので行くはずだが――」と喋り出した井山は突然、「分かった!」と叫んだ。

「何が?」

「伯母さんは足りない分を指輪で補ったんじゃないか」

「まさか、売ったのか?」

「それは考えにくい。大切な指輪だからそれを担保に誰かから借りるとか――友人? いや、友人だと家族にばれるかもしれない。質屋だ。そこなら大丈夫だろう。指輪を質草(しちぐさ)、担保として預けて、何十万円か借りたんじゃないか。だから指輪は家に無かった」

「何でそんな必要がある。従兄に頼めばいいことじゃないか」

「その理由は分からないが、まずは指輪の在り処だろう。質屋だったら質札がどこかにあるはずだ」

「質札って?」

「質草の預かり証だ。それを質屋に持っていって借りた金と利息を払えば品物が戻ってくる。どこに仕舞ったか思い当たるところは?」

「例えば本のページに挟めるようなものか?」

「勿論だ」

「赤い表紙の絵本かも」

 あるとすれば伯母が大事にしていた本だと思ったのだ。俺は井山に急(せ)かされるまま従兄に、伯母の本棚の赤い絵本の中に何か紙切れが挟まっていないか調べてくれるよう依頼した。

「しかし、何で伯母は嘘を吐いたんだ?」

 俺の質問に井山は、

「旦那さんはだいぶ前に亡くなっているんだろう。ひょっとしたら老いらくの恋かもしれないぞ。英会話教室の男性とか。相手もビール好きで一緒にドイツに行ったんだ。家族には秘密にして――かもな」と茶化してきた。

 それならそれでいいのかもしれない。伯母にとって楽しい旅だったろう。そんなことを考えていると携帯が鳴った。本の中から質札が出てきたとのことだった。従兄も、何故、嘘を言ったのかと訊いてきたが、俺は、過去に心筋梗塞を起こしたこともあり反対されると思ったんじゃないかと答えておいた。

「これでまずは解決だ。伯母さんの冥福を祈って好きだったビールで献杯しよう」

 井山は店員を呼んだ。

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