第3話 調査

 次の日のお昼時、僕と奈々実は、奈々実の実家に来ていた。

 彼女のお母さん、妙子さんが用意してくれた冷やし中華を食べながら、奈々実は早速スプーンの話を切り出した。


「あのね、お母さん。この前買い物に行ったら、おばあちゃんのスプーンと全く同じものがあったの」

「あら、えーと……何の話?」


 妙子さんは、よく分かっていない笑顔で首を傾げた。


「これの話」


 奈々実はテーブルの上に箱を置いた。中のブリタニア・スプーンを見ると、妙子さんはパンッと小さく両手を打つ。


「あーこれ、おばあちゃんの!」

「そう。これと同じものを街のアンティークショップで見つけたの。商品じゃないからって売ってくれなかったんだけど……ねぇお母さん、このスプーンの事、本当に何もおばあちゃんから聞いてない?」

「そうねえ……お義母さんが亡くなるまで、そんなもの持ってる事すら知らなかったし。そもそもアンティークの話なんて、一度もした事ないし……」


 眉尻を下げて、困ったように笑う妙子さん。

 妙子さんはいつもこんな感じで、どんな時も笑顔を絶やさない。ずっと専業主婦で、結婚してから今までほとんど働いたことがないと聞いている。やり手の営業部長だった父と、バリバリのキャリアウーマンの娘とは正反対。森口家の癒し担当なのだ。


「おばあさんて、どんな方でしたか?」


 僕が聞いてみると、妙子さんは思い出し笑いをしたのか、小さく吹きながら答えてくれた。


「お義母さんはねぇ、ふふっ、とても面白い人でしたよ。いつも冗談ばかり言っていて、とても昔の人とは思えないくだけた感じの人でした。そうかと思うとお琴を爪弾いてる時はキリッとしていらして。ここぞという時は礼儀作法もキッチリこなす、メリハリの付いた素敵なおばあちゃんでした」

「おばあさんは若い頃、イギリスに留学されてたんですよね?」

「正確には、留学していたのは前夫の旦那さんで、お義母さんはその妻として一緒に行ってらしたはずです。でも当時の旦那さんは現地の流行り病で亡くなられたとかで……お義母さんはしばらくイギリスで暮らしてたようですが、戦争が始まる直前、お義父さんと一緒に日本に帰国したと言っていました」

「という事は、奈々実のおばあさんとおじいさんは、イギリスでご結婚されてたんですか?」

「いいえ、日本に戻ってきてからですよ。昔、結婚式の写真を見せてもらった事がありますけど、会場は日本の有名なホテルでした」

「じゃあ前夫の旦那さんが亡くなってから、イギリスでおじいさんと知り合って、一緒に日本に帰ってきてから結婚した、というわけですね」


 奈々実が子供の頃に聞いたおばあさんの話とほぼ同じだ。違いがあるとすれば、魔法のスプーンで帰ってきた事くらい。

 やはり、自分の経験に子供向けの脚色をして聞かせた、作り話なんだろうか。


「そうそう。帰国した時には、既にお義母さんのお腹の中に主人がいたようです。結婚しようにも外国にいたわけだし、仕方ない事だったのでしょう。身重での長旅は大変だったと思いますが、戦争が始まる前に帰国できた事は、とても幸運だったとおっしゃっていました」

「そうだったんですか……」


 戦争とは、一九四一年十二月八日に開戦した、太平洋戦争の事で間違いないだろう。

 当時日本は、米英含めた諸外国との関係が急速に悪化していたと聞く。確かに戦争が始まっていたら、帰国は絶望的だったろう。

 奈々実は妙子さんの話に興味を示さず、ブリタニア・スプーンを持って溜息を吐いている。多分、同じ話を何度か聞かされているのだろう。


「それにしても……どうしてこのスプーンが、アンティークショップに売られていたのかしら……」

「売られては、いなかったじゃん」


 僕の揚げ足取りの返しに、奈々実はビシッとブリタニア・スプーンを差し向ける。


「そうじゃなくて。あのお店にもう一本あったって事は、おばあちゃんか誰かが、ペアのスプーンを一本だけ売ったって事でしょ? セットで揃ってた貴重なアンティークを、一本だけ売ったっていうのもおかしな話じゃない? お金が欲しいんだったら二本セットで売った方が、買取金額も高くなるのに」


 確かに、奈々実の言う事はもっともだ。

 どこかの誰かが、たまたまペアの一本を手に入れて、あのアンティークショップでブリタニア・スプーンを売った。そこに、たまたま片割れのブリタニア・スプーンを譲り受けた奈々実が訪れ発見する。それではあまりにも偶然が過ぎる。

 元々ペアで持ってた琴子さんが、最寄り駅近くのアンティークショップで一本だけ売ったと考えるべきだ。でもそれだと、奈々実の言う通りペアで売らない理由はない。


 戦争直前に帰ってきた、祖父母。

 一本だけ売られたブリタニア・スプーン。

 孫娘だけに語られた『魔法のスプーン』の話。

 全てが関係しているようで、その全てが繋がってこない。

 もし繋がりがあるのだとすれば……。


 僕は冷やし中華を食べ終わると「ご馳走様でした」と言って席を立った。


「ちょっと調べ物をしに、図書館に行ってきます」

「あ、何か思い付いたの? 私も行く!」


 僕らが立ち上がると、妙子さんはにこやかな笑顔で見送ってくれた。


「何か分かったら私にも教えてね。いってらっしゃい」


* * *


 学生時代よく足を運んだ都立図書館で、僕はコンピュータを使って新聞の検索を行った。

 年月日の範囲は『一九四一年六月から十二月』、キーワードは『留学生』だ。

 蒸気船しかなかった時代、イギリスから日本への船旅は四十~五十日程度かかる。戦争直前の半年間を調べれば見つかるはずだ。

 検索ボタンを押すと、思った以上の数が検索に引っ掛かった。後ろの日時の記事から順番に確認する。

 目的の苗字はすぐに見つかった。一九四一年十一月三十日の記事だ。


——-

『英引揚留学生横濱港着』

 時局急迫し如何なる事態発生するやも想像し難い事を理由に、英より留学中の学生が横濱港に帰國せしめるに至った。引揚留学生三名 (うち女学生一名) は左記の通りとなってゐる。△森口勝治 (二三) △敷島幸士郎 (二四) △内田陽子 (二一) 以上、東京帝國大学。

——


「この森口勝治さん。奈々実のおじいさんで合ってる?」

「うん、間違いない……この時代って、留学先から帰ってくるだけで新聞に載っちゃうのね」

「当時の海外留学は、政府が優秀な学生に知識を習得させる一種の公共政策だからね。プライバシーなんて概念もないし公費で勉学に努めるわけだから、大学名と実名公表くらい当たり前だったんだろう」

「でもこの女の人の名前……琴子じゃない。おばあちゃんは留学生じゃなかったから、記事にはならなかったのかな?」

「いや。他の帰国の記事を見ると、学生と一般人が一緒に帰ってきた時は『学生及其他邦人』という文言になっている。つまりこの船に乗っていた海外からの帰国者は、この留学生三人以外にいなかったはずだ」

「……やっぱりおばあちゃん、おじいちゃんのポケットに入って帰ってきたのかな?」


 奈々実が嬉しそうに言う。いよいよ魔法のスプーン説が、現実味を帯びてきたのかもしれない。

 僕は図書館の複写サービスを利用して、記事のコピーを取った。奈々実と連れ立って、夕陽を背に帰路に着く。


「私としては魔法のスプーンでも一向に構わないんだけど、そんな話じゃあのおじいちゃん、売ってくれそうにないよねえ」

「ああ」


 奈々実の話を生返事で聞き流し、僕は頭の中で推論を組み立てていく。

 妙子さんが本人から聞いていたように、勝治さんと琴子さんが同じ船で日本に帰ってきた事は間違いない。でも新聞には、勝治さんの名前はあっても琴子さんの名前はなかった。一か月以上かかる船旅で、身重の密航者を誰にも見つからず匿うなんて、できるわけない。

 留学生が賄賂を渡して密航なんて、それこそ現実的じゃない。現金じゃなかったとしても、買収できるような価値のあるものを持っているわけなんて……⁉


「ねぇ、聞いてる? なんか夢中で考えちゃってるみたいだけど、私はただ、あのお店のブリタニア・スプーンを売ってほしいだけなんだからね!」

「分かってる。だからこそこうして、店主を説得する材料を……」


 アンティークショップの老店主の顔が、脳裏に浮かぶ。

 緻密な装飾のブリタニア・スプーン。彼は、本物のアンティークには果たすべき役割、あるべき場所があると言った。

 琴子さんも同じように考えてたとしたら、スプーンを奈々実に遺した意味は……。

 そうか。

 そういう事だったのか!


「悪いけど奈々実は先に帰っててくれ。僕はちょっと寄るところができた」

「え? 今から⁉ 何か分かったんだったら一緒に行くよ?」

「いや、ちょっと確認したいだけだから大丈夫。収穫があったら、あとでちゃんと話すよ」

「……分かった、絶対だよ!」


 少し不満げな顔を見せる奈々実だったが、最後には笑顔で送り出してくれた。

 僕は手を振って奈々実と分かれると、駅に向かって走り出した。

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