雪月花、君を憶ふ

十井 風

第一章

第1話

 人と妖が手を取り合い、共に生きる国――真朱国しんしゅこく

 国の真ん中に位置する首都・朱宮あけみやを囲うように、四つの大都市が存在していた。

 小夜が住むこの紅鳶べにときの地もその一つ。真朱国の長、丹朱元君のお膝元でもある中央四府は、各地方からの作物や米、その土地の特産品を首都へ運ぶ道中にある為、早い時間から人と妖で賑わう。


 小夜達が経営する煮売り屋『雪月花』も朝早くから営業しているが、店内はたくさんの声が行き交っていた。


「すみません、煮豆ください」

「こっちは米と煮物を!」

「はい、ただいま!」

 注文をする客に小夜は朗らかに返事をした。てきぱきと言われた料理を器に盛りつけ、客へ渡す。


 煮売り屋は炊いた米とおかずを作って提供している。煮豆や煮魚など煮込み料理を中心に作っていた。店内で食べる人や持ち帰って食べる人など楽しみ方は様々だ。紅鳶の街では自炊をする人は、世帯を持つ者以外ではほとんどいない。

 朝食、昼食を自分で作らずに食べられるのだから、独身者にとっては頼りになる味方である。


 慌ただしくしているとあっという間に時間は過ぎていく。客足が絶え、店内が静かになるとようやく小夜は朝の営業が終了した事を実感するのだった。


「お父ちゃん、今日も大盛況だったね」


 小夜は床几に置かれた空っぽの器を洗い場に運びながら、皿を洗っている父に話し掛けた。父は顔を動かさずに答える。


「そうだね、今日は小夜が作った鶏肉と大根の煮物が美味しいってお客様がよく言っていたよ」


 父が自分が褒められたかのように嬉しそうに笑った。


「ふふ、あれはお母ちゃんから教わった料理だから自信があるの」

「夕霧の煮物は美味しかったからね」


 小夜と父が顔を見合わせ微笑み合う。小夜の母はこの世にはもういない。

 幼かった頃に病で去ってしまったのだ。だが、母が教えてくれた鶏肉と大根の煮物の作り方は小夜の心にずっと残っている。数少ない母の形見と言ってもいいだろう。


「お父ちゃん、今日の夜営業で何か必要な物とかあるかな。この後、仕入れに行って来ようか?」


 器を洗いながら小夜は父に問う。

 雪月花では、朝と夜の二部制で営業をしている。夜は店舗での炊事が禁止されている為、シャクナゲ川へ屋台をひいて営業をするのだ。

 雪月花のような営業をする店は多いので必然的に屋台が多く立ち並ぶ。その様子からシャクナゲ川のほとりは『屋台通り』と呼ばれており、夜になると屋台を目当てに訪れた人で賑わうのだった。紅鳶の観光名所にもなっている。


「そうだね……じゃあ、蒟蒻と蓮根、ごぼうと里芋を頼もうかな」

「夜は煮しめを作るの?」

「正解。よく分かったね」


 ある程度の洗い物は減ったので後は父に任せようと、小夜は手ぬぐいで水滴を拭き、店舗と小夜達の住居が連なる廊下を渡る。

 自室に向かい、タンスから古紙を引っ張り出す。鉛筆を使って古紙に父から頼まれたものを書いていく。


 数年前、丹朱元君が外界から手に入れた鉛筆は、瞬く間に庶民の間で便利な筆記用具として広まった。今までは筆を使っていたので、何か書く時はわざわざ墨をすらないといけない。ちょっとした書き物に手間をかけていたので庶民はとても喜んだのだった。


 籠と財布を持ち、店舗に戻ると片づけをしている父に声をかけた。


「わたし仕入れて来るね! あとはお願い」

「任せたよ」


 雪月花を出て紅鳶の街を歩く。昼前になったこの時間帯は、一番人で賑わっている。小夜は人にぶつからないように避けながら目的地へ向かう。

 煮しめに使う根菜類はいつも使っている八百屋だ。小夜は、のれんをくぐると声をかけた。


「ごめんください、雪月花の小夜です!」


 すると、奥に引っ込んでいたらしい店主が慌てて店に出てきた。小夜の顔を見るなり、嬉しそうに破顔した。

「小夜ちゃんじゃないか! 今日は何が欲しいんだい?」

「蓮根、ごぼう、里芋をお願いします」

 小夜は手に持ったメモを見ながら店主に伝え、籠を手渡す。店主は小夜から受け取った籠に、手際よく言われた品を入れていく。


 ここの店とは付き合いが長い。いつも店主は小夜が来るのを楽しみにしてくれているようだ。

 籠には新鮮な根菜が注文した量よりも多く入っている。小夜は素直に店主に報告した。

「旦那さん、量が多いと思いますけど……」

「いいの、いいの! サービスだから」

 そう言って店主は小夜から半額の代金を貰うと、おまけで人参もつけてくれた。小夜は丁寧にお礼を言って店を後にする。


「あとは蒟蒻ね……」

 籠には溢れんばかりの根菜が入っている。ちょっと人とぶつかっただけで中身がこぼれそうだった。小夜は次の目的地に向かいながらより慎重に人を避けて進んでいく。

 大通りには人がより集まってきている。小夜の身長では、人込みの中から店の看板を見つけるのは難しかった。店の名前を呟きながらつま先で立ち、何とか看板を見ようとしていた時。


「その店ならこっちや」

 紅鳶では聞きなれない話し方をする男の声が耳元で聞こえた。小夜が振り返ろうとした瞬間、手首を掴まれ人込みの中を泳いでいく。不思議な事に乱暴に見える動作だが、籠の中の根菜は動かない。小夜は顔を知らない青年の後ろ姿を見ながらついて行く。


 青年が立ち止まる。小夜は彼にぶつかりそうになり、慌てて立ち止まった。上を見ると、目的の店名が書かれた看板があった。

「紅鳶蒟蒻屋……ここです! ありがとうございました……ってあれ?」

 連れてきてくれた青年にお礼を言うも既に彼の姿は無かった。一体、夢を見ていたのだろうかと思うほどに気配を消して去って行った。


(さっきの人は何だったんだろう。今度また会えたら次こそお礼言おう……)


 小夜は首を傾げながら青年が掴んでいた自分の手首を見る。まだ体温が残っているような気がした。


(変わった香りがする人だったな)


 煙草のようなほろ苦い匂いの中に甘さを感じる香りだった。彼の残していった香りが小夜の鼻にこびりついたような気がした。

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