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「いや、それだけじゃ密室にはならないんじゃないか? 犯人は密室を作り上げた後、どうやって鍵のかかった部屋から外に出たんだ?」
榎本が提示したのは、あくまでも密室となり得た部屋に入る方法であり、その先――すなわち、密室からどのように出たのかまでは説明されていない。そこに菱田がすかさず突っ込んだ。すると、榎本は小さく鼻で笑う。別に他人を馬鹿にするようなものではなく、彼の癖のように見えた。それでも、中には自分を嘲っていると思う人がいるだろうから控えたほうがいいだろう。
「――その考え自体、少し方向性が違うんだよ。犯人は、密室となった部屋から出ていないんだ」
榎本の推測は、まだ全貌が見えてはこない。しかしながら、蘭の中でずっと引っかかっていた事象を、どうやら解決してくれるらしい。その引っかかっていたこととは、亜純の殺害現場にだけ見ることができた残虐性である。麗里は胸をナタでひと突き、細川は鈍器で頭を殴られる形で殺害された。それならばなぜ、亜純だけバラバラ死体にされねばならなかったのか。蘭の心情を読み取ったかのごとく榎本が続ける。
「もっと端的に言ってしまえば、僕が窓から部屋に入って、みんなで遺体を発見した時――あの時、まだ犯人は部屋の中にいたのさ。しかも大胆に堂々とね。加能さんの遺体だけバラバラになっていた理由も、おそらく部屋に犯人が潜伏したままであることを悟られないようにするためだ。あれだけ遺体がバラバラにされ、部屋中いたるところにばら撒かれた。当たり前だけど、人がバラバラにされてしまった現場を喜んで見たがる人間はいないだろう。それすなわち、じっくりと部屋を調べようとする人間もいないということだ。つまり、犯人はあえて加能さんの遺体をバラバラにすることで、部屋に潜伏している自分への注意を逸らそうとしたんだ。まさか、あんな血にまみれた部屋に、生きている人間が潜伏しているなんて思わないからね」
最後の悪あがきと言わんばかりに、弱々しい雷鳴が響いた。その距離は大分遠くなっており、嵐の集結を示していた。
「さて、とりあえず第二の事件までの僕の見解だ。ここまでで質問は?」
まだ腑に落ちない点は多くある。確かに、密室のトリックに関しては、榎本の言う通りにすれば可能だろう。しかし、まだ肝心の第一の事件が解決していない。仕掛けが施されていたわけではないと分かっただけで、根本的な解決にもなっていないだろう。それに、第二の事件についても矛盾が生じてくる。
「ひとつだけ――」
遠慮がちに手を挙げたは安楽だった。榎本と目を合わせると、小さく頷いてから発言する。
「一応、確認なんだけど、犯人が第二の事件のトリックを実行した場合、アリバイなどの問題はクリアできる――と考えているんだよね?」
安楽がした質問の意図はどこにあるのだろうか。榎本は自信ありげに言う。
「遺体が発見される直前、菱田さんと安楽君は外の窓のほうに回り込んだ。その後、僕も呼ばれて菱田さん達のほうに向かう。廊下には女性陣4人と、万が一を考えて細川を残してたわけだ。つまり、この時点で全員が揃っていた。その後、僕が部屋に入って扉を開けた時点で、部屋は密室ではなくなっていた。この時、犯人は部屋の中に潜伏していたはずなんだ。この時点でアリバイがあったのは、安楽君、菱田さん、僕、細川――男性陣には全員あるね。そして、女性陣は、天野さん、御幸さん、小川、糸井田が廊下にいた。密室になった部屋に入る直前の段階で、全員のアリバイが成立しているわけだね」
「だったら、犯人は最初から最後まで密室の中に潜伏していたってのは無理があるんじゃない? だって、全員のアリバイがあるんだから」
密室の中に人が潜んでいた――そういったトリックは、割と古くから使われてきたものだし、手垢のついた典型的なものだともいえる。ただ、このトリックには欠点があって、密室が出来上がってから、誰かに密室を認識してもらえるまで、犯人がアリバイを作れない。ゆえに、単純である分、犯人を絞り込むのも簡単だといえよう。しかし、今回にいたっては、全員のアリバイが確保されている状態だ。このままでは、犯人がずっと部屋の中に潜伏していた――という推理は成立しない。
「いいや、僕の考えが間違いなければ、ただ1人だけ、密室を作り上げることができた人間がいるんだ。その答えは……細川が残してくれていたよ」
榎本はそういうと、ポケットの中からスマホを取り出した。そのデザインは彼自身のものではない。細川のものだ。
「実は細川は、死ぬ間際の数分間を動画として残していたんだ。実際には犯人によってもみ消されてしまったが、ダイイングメッセージも残されていたんだよ。とにかく、これを見てくれ」
榎本は動画を再生すると、それを近くにいた蘭に手渡してきた。すると、蘭の周囲にあっという間に人だかりができた。みんな、蘭の手元にあるスマホの画面に釘付けだ。
「――えっ? そんな、まさか」
動画内で細川が犯人の名前を堂々と書き記す。そして、犯人らしき人物に向かって啖呵をきった。ここにお前の名前を書き残してやったからな――と。そして、犯人らしき人物が、細川の残したダイイングメッセージをもみ消したところで動画は終わっている。
「ダイイングメッセージに、直接犯人の名前を書くなんて初めて見るな。推理ドラマとかじゃ絶対にありえない」
そう言いながら、どこか嬉しそうな菱田。犯人が判明したことが嬉しいのかもしれない。
「実際のダイイングメッセージなんて、そんなもんじゃないか? 気の利いたものや捻ったものなんて、死の間際が訪れた奴には思いつけるもんじゃない。あぁいうのは、推理作家の先生が、散歩がてらに煙草をふかして思いつくもんなんだよ」
細川は捻りもなにもないダイイングメッセージを残した。漢字で、しかもフルネームでだ。そう、それは確かに蘭でも知っている名前だったし、その人物が犯人だと考えれば、これまでのアリバイの問題も全てクリアする。
「でも……私は信じられない。あの麗里ちゃんが人殺しだなんて」
ここに来てからも滅多に口を開いたことのない香純が、やや感情的に言葉を漏らした。もう一度、細川の動画を見返してみる。もう、その映像で全てを納得した者が多かったのか、蘭の手元を覗き込んでいるのは、麗里が犯人ではないと信じて疑わない様子の香純だけだった。
「いや、残念ながら神楽坂が犯人だと考えると、色々筋が通ってしまう。第一の事件だって、見方が大きく変わってくると思うんだが」
全員にアリバイがある状態で、麗里がリネン室にて殺害された。しかし、麗里を殺害することが可能であり、なおかつアリバイを作る必要のない人物が、確かに1人だけいたのだ。それは――被害者となるはずの麗里本人だ。
「第一の事件によって自分を殺すことで、表舞台から姿を消し、そして第二と第三の事件を起こした。つまり、最初の事件は自分の存在を消すための、彼女の自作自演だったってことか!」
菱田が興奮した様子で唾を飛ばす。榎本は小さく、しかし自信がありげに頷いた。
「その通り。そう考えると、例の悲鳴の意味も変わるだろ? あれは、自分が何者かに殺害されたことを印象づけるためのお芝居だったんだ。そして、自ら殺されたふりをする。おそらく、ピアノ線など、それらしいものが残されていたのは、さも第三者が、アリバイのある状態で、なんとかして彼女を殺そうとした――と僕達に思い込ませるための細工だったんだ」
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