探偵残念 ―案楽樹は渋々推理する―

鬼霧宗作

プロローグ

プロローグ 1

「僕……もう、ランちゃんと一緒にどこか行くの嫌だ」


 セピア色の、うっすらと霧がかかったような世界。パトカーから降りた小さな男の子がぽつりと呟いた。その後に降りてきた女の子が面白くなさそうに言う。


「えー、なんでよ? 私、イッ君が気に障るようなことしたぁ?」


 霧がやや濃くなり、そして男の子と女の子の影が伸びる。いいや、正確には男の子と女の子が成長しているようだった。セピア色の世界では、それぞれの両親に抱擁され、そして涙を流される2人がいた。


「だって、ランちゃんとどっか行くと、絶対に嫌なことが起きるんだもん」


 それぞれ、両親に抱きつかれたまま、それをやや迷惑そうにしながら女の子が口を開く。


「嫌なこと? 例えば?」


 また場面が切り替わり、2人の影が伸びる。2人は高校生くらいになっていた。これはまだ記憶に新しい。警察署らしき一室で、感謝状を受け取った時のもの。そこで気づく。これはきっと夢であると。


「誘拐事件、窃盗事件、そして――殺人事件。絶対にランちゃんとどこか行くと事件に巻き込まれる。俺だけの時は何も起きないのに!」


 声も幼い頃のものから大人びたものへ。一人称もしっかりと『僕』から『俺』へと変わっている。小学校高学年の時に追い越された身長は、もう追いつきようのないくらいの差がついていた。


「でも、それは全部イッ君が解決してきたじゃん。だからさ、今度の大学のサークルの旅行に……」


 2人の姿は消え去り、スマートフォンの通話中画面が現れる。通話している相手の名前は安楽樹あぎょう いつき。彼女こと御幸蘭みゆき らんの幼馴染だ。


「だーかーら、蘭とは旅行にいけないって! あのな、普通に考えてみろよ。まだ20歳そこそこなのに、行くところ行くところで事件が起きんだぞ? 誘拐事件の時は自分達が助かりたい一心だったし、窃盗事件の時はお前が疑いをかけられただろうが! 殺人事件にいたっては、いつ殺人鬼に殺されるか分からない状況でね、でも助かるためには事件を解決しなきゃならんわけで。もぉぉぉぉぉっ! その、世の中の名探偵ってのはどんだけメンタルが鋼なんだよ? 行く先々で事件が起きても平気な振りして、祖父の名にかけて事件を解決してみたり、挙げ句の果てにはサッカーボールひとつで凶悪犯をのしてみたりと――あいつらのメンタルどうなってんだ!」


 あー、このやりとりはあれだ。つい先日やったやりとりだ。どれだけ説得しても、彼は一緒に旅行に行きたがらないのだ。なぜか、蘭と一緒だと事件に巻き込まれてしまうから――という曖昧な理由だけでだ。


「いや、でもね。今入ってるサークルが他の大学のサークルと合同で孤島にある別荘で合宿する――なんて聞いたら行きたくなるじゃん。しかも、イッ君とどこかに行くと必ず何かが起きるって話にサークルのメンバーも乗り気でね。連れて来いって言うんだもの」


 蘭は某大学のミステリ研究会に所属している。確かに、安楽と一緒に何度か事件には巻き込まれたものの、小さい頃からミステリ小説が好きで、今でも月に数冊は読んでいる。むしろ、高校生の頃に巻き込まれた殺人事件は、不謹慎ながらミステリファンとして胸が躍ってしまった。それは今でも、心の中だけに留めてはいるが。


「孤島? 大体、行く日取りは決まってるのか? だとしたら、その前後の天気は? どうせあれだ、孤島に俺達が到着したら急に天候が悪化して嵐になるに違いない! どうせ爆弾低気圧ばっかりなんだろ!」


 あー。出た出た。いつもの、かもしれない探偵が顔を出しました。蘭は大学に進学したこともあり地元を離れたが、安楽はいまだに地元にいる。大学3年になるまで何度か、こちらに遊びに来るように誘ってみたり、どこかに出掛けることを提案したりしたが、ことあるごとに彼の中にいる、かもしれない探偵が顔を出し、断りを入れてくるのだ。


「もちろん携帯電話なんて使えないし、港に泊めてあった船は8割方は爆破される。もしくは、3日後に迎えに来る――なんて言って、船は本土に戻るかもしれない!」


 夢の中だというのに小さく溜め息を漏らすと、蘭は当時のやりとりを再現する。安楽という男は警戒心が強いものの、ちょっと心配なところがある。それは、単純であるということ。自分の身に危害が及ばぬためという名目はあるものの、これまでの事件を解決してきた頭脳とスペック同じだとは思えないほど、単純なのである。


「ちなみに、今回の旅行には現役の刑事さんが同行するから、仮に何か起きても心配いらないよー」


 ミステリ研究会の合同合宿――という名のバカンスなのであるから、刑事が同行するわけがない。しかし、彼はあっさりと信じたりする。


「刑事だと? しかも非番だろう? そいつ、非番だから旅行に来るんだろ? フラグじゃねぇか! 非番の刑事なんて事件が起きるためにいるようなもんだぞ!」


 蘭としては安心感を演出したかったのであるが、しかし逆効果になってしまったようだ。くわえて、彼の中に生じてしまった疑心暗鬼は止まらない。


「もしかして、医者、もしくは医者の卵。さもなくば看護師なんかも同行しないだろうね? ああいう類の人達はね、死亡推定時間を確定させるためだけに旅行に行ってるようなものなんだから!」


 それはさすがに謝るべき。全国の医療従事者に謝るべきであろう。偏見とミステリに寄った考え方。それもおそらくは、彼の巻き込まれ体質が生んだものなのだろう。まぁ、合同で合宿する相手の大学が医大であることは黙っておくべき。


「そ、その辺はノーコメントで。それじゃあさ、何かが起きてもすぐに帰れるように、船には港に待機してもらうことにする。しかも、何かが起きてしまった場合、その旅行にかかった費用、全部私が出す。何も起きなかった場合でも私が全部出す。これでどう?」


 彼が旅行を渋っているのは、蘭が同行するからという理由だけではないだろう。彼はしばらく沈黙する。しかし蘭は知っているのだ。安楽が地元でフリーターをしながら、実にくすぶった毎日を過ごしていることを。そういった情報は、必要とせずとも母親からメールにて提供されている。幼馴染なめんな。すかさず追い討ちをかける。


「それに、いいのかなぁ。もしかすると、可愛い可愛い幼馴染がぁ、事件に巻き込まれちゃうかもしれないんだよぉ。その時にぃ、そばにいれなくていいのかなぁ?」


 すかさず切り札を出した。安楽は単純がゆえに隠せない。さすがの蘭でも分かるくらい、好意が分かりやすいのである。高校時代はあからさまに避けられていたものの、小さい頃から安楽が蘭に寄せている想いくらいには気づいている。その想いを悪用するなんて、なんとも悪どいことか。でも、ここまでしなければ安楽は動かない。旅費を全部もってやるくらいでは動かないだろう。


「な、なんのことかなぁ。べ、別にいぃ。蘭がどうなろうとぉ、俺の知ったことではないしぃ」


 案の定、動揺したような態度見せる安楽。本当に分かりやすくて面白いくらいだ。まぁ、正直なところ蘭もまんざらではないのだが。


「ま、そういうことだから。興味があったら11月の6日、午前9時に東京駅に集合。一応、頭数に入れておくからよろしく」


 なによりも安楽は押しに弱い。勝手に頭数に入れてしまえば、まず来ないことはないだろう。


「ちょっと待て。色々と準備というものが必要だし、旅行の日程が分からない以上は、こちらも動きようがないというか……」


「私もよく分からないけど、多分1週間くらいになるんじゃない? 行くところが行くところだし」


 蘭が喋っている最中、耳元で耳障りな電子音が鳴り始めた。それが目覚ましのアラームであることは、とっくの昔に知っている。


「そもそも、どこに行くんだ?」


「それはね――」


 安楽の言葉に答えながらも、蘭の意識は枕元にあるスマートフォンを探していたのだった。

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