雨夜の月 目に見えない光

珈琲の香りがしないカフェのような物。

先の見えない夜の闇をあてもなく歩いた。

全てが思う程にうまくいかないようだ。

このままどこまでも闇は続くのだろうか?


夜を表現する為の旋律は、

穏やかで優しくて、そしておそろしい。

けれども光のない世界の演出は決してすべてが、negativeな要素だけでもないようだ。

先が見えなくて怯えている者には、

手を差し伸べる月光つきひかりもあるものだ。


その優しい音色が幻夜を彷徨っていた夜聡を現世へ導く様だった。


次第に月光つきひかりは色を失っていく、東の方から闇の色は海の青さを取り戻していく。陽の光で白んだ空はやがて朱華色はねずいろに染まっていくのだ。


夜聡はその朝の光の眩しさに、

思わず目を閉じて、それからすぐにうっすらとゆっくりと瞼を開いた……。


「あら気がついた?」


と、ピアノを弾きながら葉月はるなは言った。彼女の白くて美しい繊細な指は、

話しながらもなおピアノを弾き続けた。

slow tempoの優しい音だった。

けれどもそれは高級なジャズバーで聞く大人の曲調ではなく、オルゴール調で静かに暖かく悲しみについて語っているかの様に思えた。


「その曲聞いた事ある。」


葉月は、「ふふふ。」と声には出さずに笑顔を見せた。それから


「そうね……「夜空ノムコウ」は昔のアイドルグループが歌っていたからね。きっと多くの人は聞いたことがあると思うわ……。でも私はこの曲を作ったスガさんの歌っている時の方が好きかな。」


目線こそ夜聡にあわせないけれど、葉月はるなは詩でも読むように、曲と曲の合間でその曲についての自分の思いを語った。

それは弾き語りでもしているかの様だった。



「僕の思っている事を少し話してもいいかな。」


ちょうど葉月の話が終わったのを見計らって夜聡は思い切ってそう切り出した。



葉月はるな


「もちろん。」


と言ってピアノを弾く手をとめて夜聡の方へ向き直した。


「君には僕の……その……音の世界が見えるのかい?」


葉月はそう質問されるのをわかっていたかのように迷う事なく答える。


「あなたの音の世界……。そうね見えると言えば見えるわ。でも現実的には見える

という表現は的確ではないわ。そうね……、

まーどちらかといえば同調というか、同期するというか……あなたの曲の世界を共有はできていると思うわ。」


ゆっくりと熟考しながら時折、言葉を選びながら彼女はそう答えた。


「同調?同期?まるでデバイスの共有のようだね。結局……その……僕が葉月に伝えたい事は…なんだろう。はっきり言って何から話していいかわからない。」



苦悩苦悶しながら伝えたい事を整理できない夜聡を優しく宥めるように葉月は続けた。


「うん。わからない事はわかるわ……。

どうかしら、あなたが今一番引っかかる言葉を発してみたら。そこから答えが見つかるかもしれないわ。」



夜聡は少し考えてみた。

今自分が何を伝えたいのか?

自分が何に苛まれているのか?


音の世界の同調、同期。

ただの感性の世界ならば、あの想像を喰らう物や白い怪鳥のように具体的な生き物たちは

いったいどこまでが自分の妄想で、どこからが共有できているのだろうか?

『月の都』や『幻夜』などというワードは、あの世界で出会った葉月自身からでた言葉なわけで……ならばあの森は二人の共有世界という事になるのではないだろうか?

いや聞きたい事はそれではないな。


聞きたい事?

気になる事?

あの森はいったいなんなのか?

ばぐという生き物は実在するのか?


いや違う……僕が今本当に知りたくて気にしているのは……。



「僕には何かが足りないらしい。」



「足りない……。」



「葉月も僕には何かが足りないと感じるかい?」



「足りない……。その言葉が的確かはわからないけれど、私はあなたの事を知らなさすぎると思う。そのあまり知らない人の何が足りないか?それはやはり答えられない。それは信頼?というか……どれだけあなたを信じられるか?そういう観点で言えば、少なくても私はもう少し……というか……もっとあなたの事を知りたいわ。」


『知りたい』と『足りない』

なにか一つの線でつながりそうで繋がらない。



「そうね……例えて言うならば、コーヒーの香りがしない喫茶店みたいなものじゃないかしら?」



「コーヒーの香りがしない喫茶店?」


「そうよ。少し想像してみて。」


そう言いながら彼女は再びピアノの方に向き直り目を瞑ってその妄想の世界を表現するようにピアノを奏で始めた。


聞き覚えのあるメロディだった。

夜聡もまた彼女に習って目を閉じた。




その川は片田舎の辺鄙なところを流れているわけではない。すごく都会的な美しい造形の西洋的な建物が立ち並ぶ大きな街だ。

夜の街並みは現在のようにネオンの光が灯るわけでもなく、ただ静かに、そして都会的に優しい光を保っているのだ。だからこそその川の水面には月の光がとても美しくそしておぼろげにたゆんでいた。

その川のほとりを葉月は優雅にそして美しく歩いている。彼女は高貴でとても魅力的な高嶺の花の様に思える。葉月から少し距離を取りながら、夜聡はその後を歩いた。まるでその高嶺の花に恋に落ちてしまった青年の様に……。



彼女は歩きながらこう話す。


「すごく評判の良いカフェがあってね、季節を感じるフレーバーや生クリームやフルーツのソースやチョコレートなんかを使って、きれいに美しく盛り付けている。けれどもそこには珈琲の香りがしない。あの芳ばしく、豆を炒られた香りも、その豆を弾いている音も、紙のフィルターにゆっくりと湯をかけた時の荒く弾かれた豆の蒸れた芳醇な香りがしない。

見栄えは良いし、味も申し分ない。確かに美味しいと思うの。飽きがこないように様々な工夫もされている。けれどもそれは言ってみれば量産品であって、誰が淹れても、誰が作ってもレシピさえ守れば同じ物ができるし、どの飲み物も同じでしかない。」



そこまで言い切ると彼女は川辺りにあるベンチにハンカチを取り出してそれを敷くとそこに腰をかけて夜聡に隣に座るように促した。

夜聡は彼女に対して、失礼のない様に、程よい距離を持って隣は腰をかけた。それは葉月はるなであって葉月はるなではなく、その音の世界に存在する、高貴でとても魅力的な高嶺の花の様な存在だった。

だから夜聡はそうしなければならないと自然に思えたのだ。


そろから彼女は、珈琲の香りがしないカフェの様な物についての考えを語り始めた。

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