世真宵人
雨月 史
序章 黄昏を狩る者
黄昏は月と共に
混沌とした世界をどう生きるかは
自分次第だ……。
けれども少なからず自分の生けるべき道を見出せない、もしくは世界の
宵に呑まれる前の黄昏を狩る、
それが我々のやるべき使命……。
『月の教典』
第一章一部抜粋
。。。。。
月のない闇夜のようなその駄々黒く長い布切れに身を包み、小さな
怒りとも悲しみとも取れるその表情は、
言ってみれば『虚無』とでもいうべきか。
能面の様に
ようするに黄昏を狩るという使命を与えられたこの男ですら何の為に生きているのかを模索していたわけだ。
西の空には陽が
竜の鱗を思わす規則的に並んだ雲を赤らめながら、夕暮れ時を演出しているようだけれど、
それは1日の終わりのでもあり、
世の中の終わりのようでもあった。
とにかく黄昏時は『
廃墟の様な
朝と夜の
摩天楼の屋上に一台のピアノが置かれている。それは一見、一般的などこにでもあるグランドピアノの様に見える。
けれどもこの屋根のない屋上に置かれたそのピアノは、風に吹き晒され、砂土に塗れて、
凛としてその存在感を示していた。
夕陽に背を向けたまま
それから彼はそう決まっていたかのようにそのピアノの前に立つと、音もなく静かに椅子に座った。そうして瞑想するかのように目を閉じるとゆっくりと蓋を開き両手を優しく鍵盤の上に乗せた。
そして今も部屋で老婆の様に横たわる妹の事を思った。
あたりは赤い陽と静かに唸る風の音しかなく、それすらもやがて夜の静寂へと変わっていった。
物悲しげなピアノのメロディが流れる。
ピアノソナタ第14番嬰ハ短調
『幻想曲風ソナタ』
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1801年に作曲したピアノソナタ。
『月光』という通称は、ドイツの音楽評論家で詩人であるルートヴィヒ・レルシュタープのコメントに由来する。ベートーヴェンの死後5年が経過した1832年、レルシュタープはこの曲の第1楽章がもたらす効果を指して「スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」と表現した事だと言われている。
指先で音を感じながらその世界観を創り出していく。そして心の歌を音色にこめる。
希望なんて物はいつだって……
いつかは絶望に変わる物だ。
かつての俺がそうだったように……。
ならばなぜいつも世は開けるのだ?
いつだって
それでも時間て奴は誰にでも平等なわけだ。
どんなに苦しい夜でも朝は必ず訪れるのだ。
明けない夜は無い。
世界が抱えた黄昏時の微睡は誰かが狩らねばならないのだ。
「行くのね。」
一節弾き終わったところで誰かがそう言った。
白い足首まで丈のあるふんわりとした民族衣装を赴くような
すっかり自分の世界に入り込んでいたのでその気配に全く気付かなかった。
少し彼女に目をやりながら、けれども夜聡は何事もなかったかのように鍵盤を撫で続ける。
「相変わらずあなたは、感情を表に出すのが上手ではないのね。あなたの想像力の世界観とは全くもって一致しえないわ。隣……いいかしら。」
そう言いながら近づいてきたので、
彼女の白くて長い指が鍵盤に近づき、
やがてリズムは彼女の曲調に変わっていく、
月の光は湖の
ヘンリー・マンシーニの名曲
『moon river』だ。
空には濃艶な闇と共に薄らと疑いようのない円周率を思わす丸さの月が現れる。
二人は連弾を終えるとお互いの表情を確認しあい、その時間が有意義であった事を確認しあった。
「
夜聡のその感情の見えない瞳の奥にある深い闇を思うと少し言葉につまる。
「父は……主長様は小さなコミニティーを育てる事が『人を思い人を敬う糧』だというお考えです。だから……本当は…(混沌を狩るという事は必ずしも破壊ではないし、断ち切る事など望んでおられないと思う。)」
そう思いながらも
父の表向きの考えと夜聡の考えは、少なからず別の考えではない。けれど彼女にはどちらが正しいかなんて判断出来なかったからだ。
「理想郷を作るには前に進むためには、誰かが決行するしかないんだ。」
そう言ってパタリとピアノの蓋を閉める。
それから音なく立ち上がると足音を立てない様に静かに、扉に向かう
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