彼女の嘘とその中身

助六稲荷

第1話 嘘

「私には秘密があるんだよ」


 帰り道、畔原ミキ(あぜはらみき)はぱんっとアスファルトにローファーを叩きつけてくるりと振り返ると意味ありげにそう呟いて笑った。

 その言葉と笑顔を投げられた秋篠ヨウコ(あきしのようこ)はため息を漏らしながら呟いた。


「そりゃ、あるでしょーよ」

「おや、あんまり驚かないんだね。無二の親友だから打ち明けたというのに」

「普段の行動見てりゃ秘密の一つや二つ無きゃ格好がつかないでしょって話」


 ヨウコはミキの言動を思い出す。

 教室ではいつも隅に座り、席替えがあったとしても頑として動かない。

 物憂げな笑みを浮かべて窓の外を眺めたかと思えば何も映っていないスマホを何時間も見つめてみたり。

 授業中ふらりとどこかへ出かけては下校時刻になってやっと帰ってくる。

 おおよそ学生の本分を逸脱する痛々しい行動の連続に教師も最近はミキを視界から外し、級友はいじめと嘲笑のターゲットに加えた。

 それでも何か悟ったような笑顔を浮かべたまま、自分の行動を改めはしない。それが洋子から見た畔原ミキという女だった。


「常人代表みたいな私のヨウコもなかなか鋭くなってきたじゃあないか。見どころがあるよ。スカウトしたっていい」

 

 得意満面といった調子で再び前を向き歩きだすミキ。ヨウコはまたため息をついてその後を一メートル下がって追いかける。


「一体何にスカウトするってんのよ」

「私が所属している公安の秘密警察にだよ。それとも私の実家がやってる妖怪調伏の陰陽組織のほうが良いかな? もしかしたら秘密裏にやっている魔法少女組合にもヨウコだったら馴染めるかもしれないね。それとも……」

「あーはいはい」


 ヨウコと話すとき、ミキはこの調子のバレバレの嘘をよくついた。

 その時々によってミキはなにがしかのおとぎ話じみた組織に所属し、世界を救うヒーローだった。今日はその全ての気分らしい。


「この虚言癖が」


 ストレートにヨウコは罵倒する。嫌われ者のミキと特に目立つところのないヨウコがなぜか気が合い、喋る様になった時に最初に約束したことの一つだ。嘘はつかない、思った事は正直に言う。もっともミキはそんな約束をすっかり忘れているようだが。


「どうかな、いくら荒唐無稽なおとぎ話に聞こえたとしても事実とはえてしてそういうものだよ」

「事実だったらアンタの体いくつあってもたんないよ」

「おっと説明するのを忘れてたね、私は実はクローン体で製造番号100248番なんだ。つまりこの世界には10万人以上の私が存在するんだよ」

「ほんとああ言えばこう言うよね」

「事実だからね」

「設定過多なんだよ、ミキは」

「さあてねぇ、案外、非日常への扉というのは普通の生活のすぐ隣に開いているものなんだよ」


 その言葉にピクリと洋子の肩が動く。


「そうだね、非日常への落とし穴は予想もしない所に空いてるもんだ。ミキの口から初めて真実を聞いた気がするよ」


 それまでのヨウコの口調とは少し違う、一段深い所からくるような声。聞いたこともないその声音に、ミキは思わず振り向いた。


「じゃ、私こっちだから。また明日学校でね」


 しかしその時にはヨウコはいつもの調子に戻って路地を曲がり、ミキの視界から消えてしまった。


 *


 可哀想な奴だ。とヨウコは思う。もちろん畔原ミキの事だ。

 明らかな虚言僻、本人だけがそれに意味があると思って付いている嘘。ミキは何とか私の気を引こうとあんなバレバレの嘘をついているのだ。厨二病的な奇行に酔って、気づけば教室は地獄。そんな中で唯一出会った会話してもらえる相手。

 そんな相手にさえ嘘でしか気を引こうと思えない所にミキの人間性が現れていると思ってしまうのは巷でよく聞く「いじめられる側にも理由がある」なんて糞みたいな言説を補強してしまうようでヨウコはあまり考えたくなかった。


「はぁ、しかし本当にミキは嘘が下手だよなぁ。つくならもうちょっと上手に騙してくれりゃいいのに」


 ペタリペタリとローファーを鳴らしながら、とうとうそんな独り言がヨウコの口から漏れた。実際、嘘さえなければミキと付き合うのはヨウコにとってさほど難しい話では無かった。

 気に障るようなことは言わないし、ユーモアのセンスも似ていて、会話していて楽しい相手だ。だからこそバレバレの嘘がその会話に顔を出す度、ヨウコはげんなりとした気持ちになる。


「はぁ」


 溜息をついているうちに自宅のマンションについた。

 エレベーターで3階へ上がり、鍵を回し、ついでにドアノブを回して帰宅する。


「ただいまー」


 そうは言うものの迎えてくれる人間などいない。いや、一月ほど前に居なくなった。

 靴を脱ぎ、鞄を下ろし、手を洗った跡、ゴム手袋を付ける。

 そしてリビングに行く。そこにはあまり高くはないヨウコの背丈ほどの真新しい冷凍庫が低い唸り声をあげて鎮座していた。電源コードも丸見えで、導線を塞ぐ場所に置かれたそれは明らかに急ごしらえで用意したという雰囲気が漂っていた。

 冷凍庫の観音開きの扉を開ける。冷気が白く漏れる。


「ただいま、お母さん」


 そこにはジップロックに小分けにされた肉片が天井までぎっしりと詰まっていた。


 *


 カチカチカチ……一秒ほど火花が散る音がしてガスコンロに火が灯る。そこに水の入った巨大な寸胴鍋をかける。


「今日は5袋いけるかなぁ……」


 ヨウコは冷凍庫からジップロックを5つ取り出し、中の肉片をぼちゃんぼちゃんと無造作に寸胴鍋に放り込むと蓋を閉めた。


「まずはグズグズになるまで煮込んで肉の水分を抜いて更に骨と分離させます」


 まるで料理の手順を読み上げるような無感情さで呟くヨウコ。


「煮込んで分離させた骨は一日乾燥させて水分を抜きます、それを用意したのがこちら」


 シンクの下からタッパーに入った人骨を取り出すヨウコ。


「オーブンで焼いてさらに水分を抜き、乾燥させます」


 言葉の通りオーブンに骨を入れる。


「その間に肉の処理をしましょう、こちらも煮込んだ後一日乾燥させたものがこちらになります」


 またしてもシンクの下から取り出した人肉をもってトイレに行くと、それを少しずつトイレに流していく。


「オーブンで焼きあがった骨も粉末状になるまで砕いてトイレに流してしまいましょう」


 無機質に呟く工程が全て終わった後、日はとっぷり暮れて、時刻は午後九時を回っていた。


「お疲れ様でした。また明日も何も起こっていないふりをして学校生活頑張りましょう」


 そう呟くのが日課の作業終了の合図になっていた。ふっと気が抜け、ヨウコの顔に人間らしい生気が戻って来る。

 そのまま真っ暗なベランダに出ると、広がる地方都市の夜景とも言えない家々の生活の光を眼下に眺め、つかの間の開放感にヨウコは酔った。


「嘘っていうのはこうやってつくんだよ、ミキ」


 いもしないミキに向かってそう呟くとヨウコは冷蔵庫から取り出したサイダーをプシッと小気味のいい音と共に開け、安心したようなため息を漏らした。

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