第2話 最悪な遊園地

 暑い夏の終わり。ジィジィという蝉の声も鬱陶しく聞こえる。

 見上げた夏の空は私の頭の中みたいにぐずぐずとした薄曇りだ。滴るような暑さのせいか、喜一は心なしかぐったりしていたけれど、いつものように微笑んだ。

「由花、遊園地ってやっぱりデートっぽいね」

 これから別れる予定の最後のデートは、既にデートと呼べないんじゃないのかな。この間の夕食の後から、行きどころのないもやもやした気持ちがずっと心の奥底に沈み込み、楽しいと思えなくなっていた。

 最後の日なのに。


 結局のところ、付き合い始めた時に砂時計をひっくり返して、砂が尽きるのが今日。そう思いながら観覧車に乗り、メリーゴーラウンドに乗る。世界が私達をのせて、無味乾燥にぐるぐると動く。

 見上げたジェットコースターはゴゥと音を立てて鉄の車輪を滑らせてた。

「私だけで乗るの?」

「うん。俺は乗れないからさ。良ければ感想を聞きたい」

「乗れない?」

「ああ。揺れるのは耳に良くないんだ。俺も本当は乗ってみたいけど」

 そう言って補聴器を指してため息のように笑う。前に振動や衝撃があると、お酒を飲んだ時みたいにふらついて気持ち悪くなると言っていた。思わずため息をつく。一人で乗ることに一体何の意味が?

 最後のデート。

 それなのに一人で乗るジェットコースターは重力に振り回されるだけで、隣の空いた席がちらりと目に入るにつけ、そして前の席の2人組が歓声を上げるにつけ、何やってるんだろうというやるせなさが込み上げた。


「御免、つまんなかったみたいだね」

「やっぱ一人で乗るとさ」

「そっか。そうだよね。じゃあお昼にしようか。あっちのピザ屋が美味しいって聞いたんだ」

 結局喜一は3割ほどの高低差のあるアトラクションは乗れなかった。バイキングも、スプラッシュも。

「楽しくない?」

「楽しい以上に不毛だなと思って」

「不毛?」

「私たち、これで別れるんでしょう? それなのに思い出を作って何の意味があるの?」

「……別れるからこそ思い出を作る意味があると思うんだけど」

 思い出。思い出すもの。結局見てる地点が違うんだろうなって思う。

 私は今、喜一と付き合っている今を楽しく過ごしたい。だから思い出なんかにしたくない。けれども喜一にとって今はもう過去なんだ。もうすぐ別れるから思い出として残したい。

 私の認識をざくりとハサミで切りとるため息のような笑顔。本当に私たちの関係が今日で終わるんだってこと、それがわかる諦めたような笑顔。陽が落ちて、世界もずんと暗くなっていく。私たちの間に砂がパラパラ落ちていく。その度に、どこかから溢れてくる悲しみに悲鳴を上げそうな気持ち。私は喜一が好きなのに。

 けれどもこれで本当にお仕舞だ。私じゃ喜一の笑顔を変えられそうにない。だからなるべく、楽しそうにしよう。どうせ思い出になってしまうんなら。


「今日はごめんね」

「なんで謝るの」

「悲しませたくはなかった」

 そもそも別れるってこと自体、どうしようもなく悲しい。遊園地がつまらないことよりずっと。

「どんなつもりでそれ言ってるの」

「ごめん。もうすぐ花火が上がる。花火を見ながらキスしたい」

 そんなフィナーレの時間。花火が終われば砂時計は全部落ちきる。予定調和に訪れる最後の時間。明るい場内アナウンスが開始を告げ、空には大きな音とともに空疎な花が打ち上げられ、その光が音の衝撃とともに私達の上にカラフルに落ちてくる。

「どう? 花火は」

「綺麗。夜を覆い尽くすみたいに光の線が散らばっていく、夢みたいに綺麗」

 見上げた空は、私のぐちゃぐちゃな気持ちとは全く異世界にあるように綺麗で、その儚い美しさはさらに私の心を混乱させる。

 振り返って見た喜一の瞳は花火がキラキラ瞬いていて、予定通りにそっとキスをした。

 これで終わり?

 終わってしまうの?

 本当に?

 でも私は花火が綺麗だと思った。

 てことは、きっと私も諦めて、いつのまにかこの光景を思い出にすることに同意してしまったのかもしれない。私も諦めてしまった。喜一との関係を。そんな自分が許せなくて、やっぱり涙が出そうになった。それが伝染ったのか喜一の顔も歪む。別れるのをやめようと言ってくれたらいいのに。

 そう一瞬思って、喜一の様子が変なことに気がついた。焦点が定まらず苦しそうに顔を顰め、額に脂汗が浮かんでいる。

「どうしたの⁉︎」

「気持ちが、悪い。花火の揺れのせいだ、多分」

 花火?

 至近距離で打ち上がる花火は光と轟音と、都度発生して空気を揺らす震動が体の芯を震わせる。助けを求めて救急車に乗り、喜一が通院しているという大きな病院に急いだ。

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