ルーティーンガール

七雨ゆう葉

第1話

 高校三年、夏。

 期末試験の成績発表を経て、阿鼻叫喚と化した教室。

「すごいね久美子ちゃん。また学年一位だなんて!」

 すると突然、クラスメイトの一人の女子が自席まで駆け寄り、私にそう声を掛けた。

 溌溂はつらつとした声色とその表情から察するに、決して嫌味でもなく皮肉でもなく、素直に漏れ出た混じりけの無いピュアな発言なのだろう。とはいえ、普段から仲が良い間柄ではない。そもそも私には、クラス内に友人と呼べる同級生がいるわけでもないが。

「……ありがと」

 それでも純粋な称賛なのだと判断すると、私は「結構勉強したから」と精一杯の愛想笑いを添え、返答と同時に席を立った。



 私は、ルーティンを大事にしている。


 だからこの結果は当然だと思った。別に自分に奢っているというわけではない。日々自らにかせを課し、習慣へと馴染ませ、秩序として重んじた、その結果なのだから――。




 母子家庭である私は、部活には一切入らず、学校が終わるとまっすぐ帰宅する。そしてまずは、夕食までにその日の宿題を全て終わらせる。夜は基本的に十一時を目途に就寝し、毎朝六時に起床。


 当時十歳、小学四年生の頃だった。父が病気でこの世を去り、以降家事と仕事を両立する母の負担を少しでも軽減させたいとの思いから、私も家事を手伝うようになった。家事は将来、自立する中で必要にもなるスキル。結果今では、特段苦にも感じることなく、母に代わり週の半分以上は自分で夕食と昼食の弁当も自作し、持参している。


 当初は家事と同様の考え方で情報処理部に所属し、PCスキルを会得しようとも考えた。だが自分でテキストでも買って取り組めばいいと、すぐに改心。受験が終わった際に取り掛かればいい。その方が効率的だ。

 それに今は受験生の身。帰宅部且つ日々勉学漬けの毎日だが、かといって運動も怠ってはいない。週に三日、夜のランニングも欠かさず行っている。自分で言うのもなんだが、成績優秀、運動神経共に優秀。容姿に関しても、忖度なしで平均以上には位置していると自負していた。


 ここまで自分を高めてこれたのは、育った環境もさる事ながら、何よりルーティンを順守してきたから。ルーティンは私をより高めてくれる。導いてくれる。

「あ、あのさ。久美子……ちゃん」

 だから私は――。

 その秩序を、この生命線とも呼べる支柱を崩されることが大嫌いだった。

「その……放課後、少し時間もらえないかな」

 なのに。それなのに。

 そんな私のリズムを壊そうとする人間が……今日もまた、一人。




「……ごめんなさい」

「私。今はそういうの、考えてなくて」

「そっか……そうなんだ。……わかった」

「クッ――それじゃあ」

 聞こえた、歯ぎしりのような嘆息。その瞬間、目の前に立つその男の感情曲線が鋭利に尖ったのが透けて見えた、そんな気がした。呼び出しておきながら、告白に敗れ足早に去って行く青年。断って正解。何ならもっとストレートに、鉄面皮を突きつけながら拒絶のセリフでも吐き捨てればと後悔すら覚えた。

 なぜなら、時間は財産だから。奴は私の秩序を、著しく乱したんだから。怠惰なるタイムロス。気を取り直し軽くかぶりを振ると、私は急いで玄関へと向かった。


「く~みちゃん!」

「わっ……!」


 靴を履き替えいざ――と、その時だった。うなじにスライムか、はたまた粘液をまとった爬虫類でも乗せられた……一瞬そう思った。それほどまでの気味の悪い冷たさが、首筋から足先へと稲妻のように伝い、飛び跳ねるように起き上がる。

「もう……ビックリした」

「――萌絵もえ

「フフッ」

 こっちの心情など露知らず。手にした白濁色のペットボトルをひらひらと揺らし、光沢あるボブヘアの黒髪を携えながら、あどけない破顔を放出する少女。


 萌絵は、別のクラスの同級生。

 そして。私にとって、唯一の友人だった。


「ごめんごめん、久美ちゃん! そんな怒んないでってば」

 陸上着越しから伸びる、細く、白磁のような腕。その先へと延びる華奢な指先をパタパタさせながら、慌てたようにこうべを垂れるその動作に、フゥ……と思わず嘆息する。

「別に怒ってない。それより、部活は行かなくていいの?」

「これから行くトコ。ちょうど行こうとした時に、空き教室に久美ちゃんがいるのが見えて。あれ、珍しいなって思って……。それで」

「え……? じゃあ萌絵。まさか」

「へへ……ごめん久美ちゃん。全部聞いちゃった」

 別に聞こえたからといって問題はない。申し訳なさげにペコリと顔を伏せる萌絵に「別にいいわよ」と返すと、私は半ば反射的に萌絵の頭と撫でた。

 サラリとした艶やかな髪質。程よい熱を宿し、頭頂部から毛先へ流れると同時に、淡いシャンプーの香りが鼻先へと漂着した。私の行為に対し、愛犬のような無垢な反応を見せる萌絵。


 先程の青年と同様のタイムロス。けれども今体感しているは、私の中で例外だった。

「そろそろ行くね」

「――うん」

 首から下げたロングタオルを握りながら腕を振り、萌絵は斜陽間もないグラウンドへと駆けていく。そのキラキラした後ろ姿を見届けると、今度はかぶりを振ることなく、私は校門を後にした。



 萌絵との時間は、例外。

 そして――。


 私の中の、もう一つの秩序だった。

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