75.時間と戦い時

 クロディスが美鈴と依織いおりに教えている間、トオルはヘッドホンのスイッチを押してワンレンズメガネをかけた。どんな時も、追跡中の二人の様子を確認することは忘れない。


 リーゼロティを追う蝶は、さっきからずっと一軒の酒場に留まっている。どうやら彼女は仕事中か、食事中かという時間帯なのだろう。


 今度はカブトムシの様子を確認する。春斗はるとは商店街にも寮にもおらず、新入生があまり足を踏み入れないような、へんぴな工場団地にいるようだ。


――何のためにこんな場所に……?まさか、すでに貪食者グラムイーターの情報を仕入れたのか?


 トオルが春斗のことを夢中で考えていると、バンと背を叩かれた。


「痛っ!な、何ですか金田かなたさん?!」


「少年、せっかく妹と食事だというのに、さっきからずっと一人で何をしているんだ?」


 トオルは肩を縮めて言う。


「あ~、ちょっと、考え事を」


「ん、何だそのメガネ、君の新作か?」


「ああ、ぼくのドローンがターゲットを追跡しているんだ。その様子をこのメガネで見ることができる」


「ほう、このスケベ太郎は、こんなに美人の妹と一人屋根の下に住んでいるだけでは飽き足らず、他の女を追跡までしているのか」


 酔いも回り、良い気分の穣治じょうじはからかうつもりでニヤリと笑って言ったが、トオルは真っ赤になった。


「ち、違うよ。貪食者の居場所を探るためだ」


「ふむ、魔獣狩りにも興味がないトオルくんが貪食者探し?怪しいな」


 春斗との駆け勝負について話すべきかどうか、トオルはとっさに口をつぐんだ。


――こんな危ないことに皆を巻き込んだら、きっと迷惑だ……。


 だが、その一瞬の思考を、クロディスは読み取っていた。


(トオル、皆に話してみて)


 トオルはクロディスと目を交わす。


(クロディス、でも……)


 これまでもずっと、トオルの心強い参謀であり続けたクロディスの言葉でも、やはり躊躇った。


(皆さんに手伝ってもらいましょう?その賭け事のために、トオルが一人で複数の貪食者を確保するというのはあまりに危険すぎるよ。意地っ張りはやめて、協力が欲しいと言ってみて)


(でも、迷惑を掛けるだろ)


(それは皆が決めることだよ。それとも、トオルはその勝負に負けても良いの?)


(分かった……)


 結局トオルはクロディスの言うとおりにする。それが、彼にとっていつも最善の選択だった。


「……実は、クラスメイトから賭け勝負を言い渡されて、ぼくはそれを受けた」


 穣治の顔から酔いの色が少し消えた。


「賭け勝負?トオルくん、まさか貪食者を確保しようと思っているんじゃないだろうな」


「あ、えっと、その通り。先に三体の貪食者を捕まえないといけなくて……」


「トオルくん……どうしてそんな危険な賭けを?」


 依織は心配しているのか、少し怒ったように言った。トオルは困ったように小さく息を吐く。


「……棄権するなら、ぼくの父が指名手配犯だって、セントフェラスト中に流布するって言われたんだ」


 それを聞いて、一瞬場が凍りついた。


「左門さん、そんなことがあったんですか……」と、美鈴が慮るように言った。


「それで、負けたらどうなる」


 穣治は冷静だったが、テーブル全体の空気は重くなっていた。


「その時は、ぼくは彼のしもべになる」


「んだよそれ……」と大輝だいきが不機嫌さを隠さずに言った。


「何だそいつ、卑怯すぎるだろ、聞いてるだけで不快だな」


「トオルくん、その勝負の相手って、誰なの?」


「石井春斗。よくぼくらの教室棟の玄関で小道具とか売ってる男だ」


 依織は「ああ」と言った。春斗の顔を知っているようだ。


「あの詐欺師みたいな人ね」


「うん、依織さんも何か買った?」


 依織は首を柔らかく振り、少しだけ声をひそめて言った。


「ううん、知恵の輪が解けたら頭が良くなるってやつでしょ?怪しいと思った。うちのクラスの人も買ったけど、何にも変わらなかったから返品してって言ったのに、逆にEPポイントを請求されて損したって」


「やっぱりか」


「あんな人が同じヒイズル出身だと思うと本当に恥ずかしいって思ってたんだけど、トオルくん、そんな人との勝負を受けちゃったのね」


 トオルが断れないよう、弱みにつけこまれたのだと分かり、依織の口調も重くなった。

「うん」と頷くトオルも、苦い顔をしている。


「どうして相談してくれなかったの?一人でそんな人に立ち向かうなんて、危ないじゃない」


「……ぼくのせいで、皆が危険な目に遭うのは申し訳ないと思って」


「よーし、決めた!俺は乗るぜ」と、穣治がトオルに笑いかけた。もう酔いはすっかり覚めているようだ。


「金田さん……でも、ご迷惑に……」


「水くさいこと言うな、少年。飛空船でともに戦った仲間だろ?必要な時に助け合うのは当然だぜ。それに……そいつのことが気に食わんっていうのもある。ちょっとお仕置きが必要だ」


「俺も乗る」


「大輝くん……」


 美鈴が大輝を見た。その目に怒りの炎がちらついていることに気付く。それは、すぐに爆発するいつもの怒りではなく、冴え冴えと冷たい怒りだ。


「良いのか?」とトオルが訊いた。


「ああ、俺は美鈴を襲った奴を倒したい。目的は同じだ」


 そわそわと事の成り行きを見ていた美鈴が、膝の上に置いた手をきつく握りしめた。


「さ、左門さん、私も仲間に入れてください」


 美鈴の決断に、四人は驚いた。


「美鈴ちゃん、戦えるの?」


「やめとけ美鈴、お前には無理だ」


 人には向き不向きがある。そう分かっていても、美鈴は揺れなかった。


「私は、実際に貪食者に襲われた経験があります。彼らは好みの標的を何度も襲う特徴があると、先生から聞きました。私なら、おとりになって彼らの本拠地を暴くことができるかもしれません。それに、一刻も早く彼らがいなくなれば、私も安心できますから」


「白河のお嬢ちゃん、勇気があるな」


「分かった、美鈴ちゃんの安全は私が守るよ」


「え、依織さんも協力してくれるのか?」


「当たり前じゃない。戦闘力も経験値もトオルくんより上なんだから、乗らない理由がないでしょう?その前にまず、トオルくんは、私抜きで戦えると思う?」


「たしかに……」


 戦闘シミュレーションでは、依織が攻撃の前線に立ち、トオルはバックアップに回るのが二人の戦いだ。それに、トオルは持久力がないため、途中でかならず補給が必要になる。

トオルは依織も協力してくれると分かり、心強く感じた。


「皆さん、兄にご協力くださること、私も感謝します」


 クロディスは、まるでこうなると分かっていたかのように、淀みない口調で言った。その言葉で、皆の心が一つになった。


「さて、トオルくん。まずは君がこれまでに手に入れた情報を共有してくれ」


「はい。今ぼくのドローンが追跡している目標が二人。そのうちの一人は、ぼくのクラスのリーゼロティ・ヘムス・ヌーヌという女性だ」


「どうしてその心苗コディセミッとを追跡しているの?」と依織が訊ねる。


「彼女は白河さんと同じく、貪食者グラムイーターの被害者だと考えている。犯人が同じターゲットを繰り返し狙うのであれば、いつかまた彼女を襲うつもりじゃないかと思って追跡中だ」


「なるほどね……」


 皆、真剣にトオルの話を聞いている。


「もう一人は?」と穣治じょうじが訊いた。


「石井春斗はると


「そうか、石井を使うわけだな」


「はい」


「うむ、よく考えたなトオルくん」


 穣治はトオルを褒めたが、大輝はまだその意味がわからないようで、「どういうことだよ」と言った。


「石井春斗は貪食者との接触を試みるはずだ。衝突が起きれば彼はダメージを負うが、見張っているこちらは情報だけを得ることができる。実に賢い作戦だ」


 トオルと皆が話し合っている間、彼らの思いの流れを読み取っていたクロディスは、無言でその場にいた。


「それで、これからどうするつもりだ?」と穣治が訊いた。


「貪食者と戦えるような武具アイテムを完成させる。それから、貪食者が餌にかかれば一気に攻めるつもりです」


「そんなアイテムを……完成までどれくらいかかる?」


「今夜、徹夜で……」


「そんな大事な時にのんびりメシ食ってたのかよ」


 大輝は呆れたように言った。


「いや、クロディスを紹介するって前から約束していたから……」


「トオルくん、悪いことは言わん、今日はさっさと帰れ。魚はいつかかるかわからん、一刻も早く武具アイテムを完成させてくれ」


「はい……じゃあ、ぼくはこれから高速でプログラミングを始めます」


「よし、俺も地道に貪食者の情報を探っておこう」


「私たちも何か、役に立つような情報を調べてみます」


 美鈴が言って、大輝も頷いた。


「じゃあここで解散ね、それぞれできることを進めましょう」


 クロディス紹介のための食事会は、途中から貪食者確保のための作戦会議に変わった。五人はトオルが貪食者を捕まえられるよう、各自の行動に当たった。

 

*     *     *


ティエラルス516号の小屋に戻ったトオルは、すぐに武具アイテム作りの作業に没頭した。


 クロディスは『浄化』の入浴を済ませた後、『契紋石パトンピス』作りを始めた。

 それでもまだ余裕のあるクロディスに、リーゼロティと春斗はるとを追跡するためのレーダー機元ピュラトの見守りを任せ、トオルはひたすら作業に没頭している。


 書斎には机を指で弾く音が響いていた。BPM300の高速曲を奏でるように、両手の指が打ち込みを続ける。宙の立体映像には、文字が球体の紋様を描いていた。


 トオルが今やっているのは、今朝、依織いおりに試してもらった試作品の武具アイテムのデータをベースに、指令回紋マンダキューを書き直す作業だ。一時間の集中速筆プログラミングで、書き直しは滞りなく進んだ。


「よし、完成だ」


 トオルが呟いたちょうどその時、クロディスが書斎に入ってきた。


「できた?」


 クロディスはそっとトオルの背後に立ち、机に投影された立体画面を見る。


「ああ、できた」とトオルがクロディスを振り返った。


「今からやっと武具アイテムの作成で、複数のドッターに書き上げていく。そういえば、ターゲットの様子はどう?」


「リーゼロティさんは寮に戻ったよ。今のところ異変はないみたい」


「彼の方は?」


「一時間前、一度ロッドカーナル学院のキャンパスに行ったよ。移動速度からすると、飛空艇テュルスで移動したんだと思う」


「ぼくらはまだ一年なのに、ロッドカーナルに?」


 クロディスは頷いた。


「石井さんはエヌスというバーに行ったよ。調べてみたけど、エンドルヌス騎士団が経営しているお店みたい」


「クロディス、騎士団って何なんだ?」


 トオルは担任のオリヴィアが騎士団に所属していると聞いた時から、ずっと気になっていたことを訊ねた。


「ロッドカーナルにはね、所属クラスとは別に、騎士団という組織があるの。アイラメディスで私が入っている結社ゼムと似た機能を持つものなんだけれど、ロッドカーナル学院では心苗コディセミットが自由に騎士団を作ることが認められているの。団として魔獣退治や賊、異端犯罪者ヘラドロクシー事件の捜査依頼を受けることが多いかな。でも、一部の騎士団は、直営の事業を運営しているところもあるの」


「なるほど」と言いながら、トオルは春斗のことを考える。


 トオルのドローン虫は、ターゲットがレストランなどに入った場合、仲間では追跡しないようタグ付けされている。害虫として駆除されないためだが、カブトムシは指示通りバーの外で待機していたため、店内で春斗が誰と何をしていたのか何もわからなかった。


「彼はそんな店で何をしていたんだろう」


 トオルはしばらくの黙考の後、クロディスに訊いた。


「クロディスはアイラメディスでセキュリティーの監督をしているんだよな。その権限で何か調べることはできないのか?」


 クロディスは残念そうに首を振り、「ごめんね」と答えた。


「私がしているのは、セキュリティーのメンテナンスの監督。それに、ロッドカーナルを調べる権限はないの。両学院共同の捜査をする時を除いて、各学院の治安維持は、それぞれの生徒会に調査権や責務があって、お互いに干渉しないことが原則なんだよ」


「なるほど……。もしロッドカーナルを調べたいなら、そっちの生徒会に要請しないといけないのか」


「そうだね、でも、トオルと石井さんの個人的な賭けのために生徒会が動くことはないと思う。何か実際に被害が出れば話は違うかもしれないけど」


「そうか……他に情報を得る方法はないかな」


「うーん、知人に訊ねてみようか。すぐに答えが来るとは限らないけど……?」


「助かる、じゃあ情報収集はクロディスにお願いするよ」


 クロディスがさらに近寄ると、心の落ち着くような甘い匂いがトオルの鼻腔をくすぐった。


「トオル、武具アイテム作成の他にも、今日は作業があるの?」


「ああ、法具アーティファクトに術式回紋を書き入れる作業、それに、コダマたちの調整」


 今日のトオルは確実に徹夜だ。クロディスはトオルがあまり根を詰めて作業に没頭するのも心配だった。


「夜食を作ったんだけど、少しお休みにしない?」


「ありがとう、テーブルに置いておいてくれ」


 集中すると寝食を忘れるのはトオルの常だ。

 クロディスは腰に手を当て、母親のように言った。


「書斎では物を食べないようにしよう、トオル。仕事をしながらじゃお行儀が悪いし、書斎に食べものの匂いが充満するでしょう?」


 トオルはこれまでにも何度も同じことを指摘されていたが、クロディスが相手でも、あまり良い顔はできなかった。


「……うん、じゃあ、アイテムができたら食べるよ。今は時間との戦いだから」


「トオル、準備と同じくらい休息も重要だよ。もしも貪食者グラムイーターが現れた時、お腹が空いていたり、体調を崩していたらどうするの?それでもトオルは捕まえられる?」


「……そこまでは考えていなかった」

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