忍べよ!御剣さん

ハニワニハ

御剣さん、仕える


 突然始まった一人暮らしは、案の定すごく自由だった。でもそろそろ退屈になってきた。ちょっとしたスパイスが欲しい気分だ。

 朝、ペヤングを食べても許される。お菓子を買い食いしてもお母さんが小言を言ってこない。あと『あやかしトライアングル』をしまった引き出しに鍵をかけなくてもいい。どれもはじめてやった時はドキドキしたけど、今ではすっかり慣れた。

 きょうも学校の正門を出てから、マンションをひとつ挟んだところのコンビニでおやつを買う。暴君ハバネロには飽きたから、巨峰味の忍者めしを選んだ。

「ん」

 いつも通りの東京の景色の中で、僕の口の中に広がる風景だけが山梨になる。

 家が近づいてきたけど、中身にはまだ余裕がある。取っておいて後で食べよう。僕は忍者めしをポケットにしまうと、代わりに家の鍵を取り出した。十字路を右に曲がれば、すぐ家だ。

「あれ?」

 角を曲がる。目に飛び込んできたのは、見慣れた我が家、柿の木、たまに塀の上で香箱を組んでいる隣の家の猫。

 そして……何か布のようなものを被って、僕の家の前で倒れている人だった。


 一瞬、頭が真っ白になった。でも、すぐに我に帰ることができた。

「もしもし!どうしたんですか⁈大丈夫ですか⁉︎」

 なにか怪我をしているんじゃないかと思い、確認のために布を取る。僕はさっきよりもっと驚いた。だってその人は、その女の人は、ひと口に言えばまるで漫画やゲームで見るような感じの忍者の格好をしていたから。

「えっ?ええっ⁈」

 立て続けに起きる予想外の出来事に腰を抜かしていると、むくりと彼女が起き上がった。

「う、う~ん……。む、ここは……」

 彼女は、真っ赤なフレームのメガネをかけ直しながら辺りを見渡している。どうやら自分の置かれた状況を理解できていない様子だった。

「えーっと……あなたここで倒れていたんですよ、どうしたんですか?事故に巻き込まれた……ってわけじゃないですよね、多分……」

 僕が言うと、彼女はようやく自分がここにいる理由を思い出したようだ。

「そうだ、私は隠れ蓑の術を使っているときに空腹で倒れて……」

「隠れ蓑の術……っていうことは、あなたはやっぱり忍者なんですか?」

 なんでこんなところで忍術を使っていたんだろう。彼女は立ち上がって膝と太ももをはらい、バツが悪そうに答えた。

「ああ、その通り私は忍者だ。といっても、まだ忍者学校で修行中の身だが」

 さっきまで慌てていたから気づかなかったけど、この人なんというか……全体的に大きい。僕より5歳ぐらい年上だろうか、吊り目の大きな瞳と色黒の肌も相まって、色んな意味でちょっとドキドキする。全然忍んでない。

「そ、そうなんですね……あの、よかったらこれ食べますか?」

 言葉にも詰まりかけたので、僕は手に持っていた「忍者めし」を差し出した。

「……これは……食い物か?」

 警戒されている。そうか、もし本当に人里離れたところで暮らす忍者だったとしたら、一般世間の文化には疎いのかもしれない。

「大丈夫!変な食べ物じゃないですよ、ほら」

 僕は、袋から手のひらに忍者めしを一粒出して食べてみせた。それを見て安心したのか、彼女も袋から忍者めしをつまみ上げると、ぽんと口に放り込んだ。

「……!!」

 彼女は袋を逆さにして残りを口に流し込んだ。

「うまい!染みるような甘さだ。いや、本当に感謝する」

 目が輝いている。さっきまでの生気のない表情とは違う、つやつやした顔だ。

「い、いえどういたしまして……」

「お主……いや、貴殿は命の恩人だ。危うく野垂れ死ぬところだった」

「そ、そんな大袈裟な」

「いや、そんなことはない。ああ、自己紹介が遅れたな!すまない。私は御剣牡丹みつるぎぼたんというものだ。貴殿の名前を伺ってもいいだろうか?」

 御剣と名乗るその人は、コスプレをしているあぶない人ではない気がする。おそらく本当に忍者なんだろうなという雰囲気を纏っていた。

「僕は浦河泉うらかわいずみ、中学3年生です」

「なるほど、良い名前だ……どうだろう浦河殿。恩返しという言葉に納まるものではないが、私を浦河殿に仕えさせてはくれぬか?」

「ええ⁈」

 御剣さんのあまりに唐突な提案に、僕は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。

「変だろうか?」

「いや、変というかなんというか……そんな大袈裟な……」

 彼女は真剣な眼差しで僕を見つめてくる。ヤバい、茶化せる感じじゃない!

「ほ、ほら!僕もまだ15歳ですし、誰かを従えるなんて荷が重いというか……」

「もう15歳、と言うべきではないか?昔なら元服、浦河殿も成人の歳であろう。それに、先ほどの私への処置。惚れ惚れしたぞ、浦河殿。貴殿のような人間にお仕えしてこそ忍者冥利に尽きるというものだ」

「そ、そうですか?」

 褒められると悪い気はしない。

「浦河殿、ぜひ貴殿に仕えさせていただきたい。邪魔だてする者が現れたとしても、私が盾となり矛となり、貴殿をお守りすることを約束しよう」

 彼女はそう言うと跪き、右手を胸の前にかざして頭を下げた。まるで時代劇みたいだ。

「う~ん、邪魔にならない程度なら……」

 思わず頼みを承諾してしまった。

「ありがたき幸せ……!」

 御剣さんはさらに頭を深く下げる。

「わわわ、頭上げてくださいよ……!」

 こうして僕は、自称・くノ一の女性を従えることになったのだった。




「失礼致す。ほう、実に立派な屋敷だ」

 ひとまずご飯を食べさせてあげようと、僕は御剣さんを家にあげた。キッチンには、まだ買い置きのカップ焼きそばとカップうどんが5、6個あったはずだ。

「ぼ、僕が建てたわけではないですけどね……」

 今年の2月くらいから両親は、主に海外で働いている。たまに近所に住む叔母さんに頼ることもあるけど、基本的にこの一軒家には僕しかいない。

「浦河殿のご両親は何をしておられるのだ?」

「あ、親ですか?今は遠くにいて……」

「遠く……そうか、すまなかった。許してくれ」

「?」

 なにか勘違いされているような気もするけど、今はとりあえず食事が先だ。僕は御剣さんをキッチンに案内して、シンクの下からインスタントのうどんと焼きそばを取り出した。やかんに水を注ぎながら訊ねる。

「まだお腹空いてますよね、どれにしますか?」

「……なんだこれは?」

 ああ、しまった!まずそこからか!

「これはカップ麺っていう、お湯を注ぐだけで食べられるご飯の一種なんですよ」

「ああ、カップ麺……!」

「えっ、食べたことあるんですか?」

「人里に溶け込むための訓練で、存在は学んだ」

「じゃあ見るのは初めてですか?」

「左様だ。すまないが、作っていただいても良いだろうか?」

「もちろんです!どれにしますか?何個でも大丈夫ですよ」

「かたじけない……では、これとこれをお願いしたい」

 御剣さんは、近所のスーパーにあったでっかいカップうどんと、大盛りのペヤングを指さした。よっぽどお腹が空いているらしい。

「じゃあ、うどんの方を先に作りますね」

 僕は、水を入れたやかんをコンロに置いた。

「ああ、お湯なら私が沸かそう!浦河殿はそちらでお待ちくだされ」

 僕は素直に、ダイニングの椅子へ腰掛けて待つことにした。

 御剣さんが懐から葉っぱを取り出してコンロに置き、なにかを小声で呟きながら印のようなものを結ぶ。すると、葉っぱが燃え上がってオレンジ色の火がついた。

「火遁の術……?」

「む、よく存じておられるな!」

「火遁の術くらいなら、有名ですし……すごいなあ、ホントに忍者なんですね」

「まあ、まだまだだがな」

 御剣さんはやかんを見つめながらポリポリと頭をかき、照れくさそうに答えた。

「修行ですか……今はどんなことをしているんですか?やっぱり、潜入調査とか?」

「ははは、面白いことを仰る!とはいえ、そう遠くもない。やはり浦河殿は勘が良いな」

「というと……?」

「私は今、忍者学校の卒業試験中でな。『試験監督から見つからないようにしながら1年間人里で暮らす』という課題に取り組んでいる最中だ。毎年、なかなか合格者は出ないのだぞ」

 そう遠くもない……かなあ……

「大変ですね……じゃあ、あまり一つの場所にとどまれないんですか?」

「いや、そうでもないな。私はこの試験の攻略方法に気づいてしまったんだ」

「攻略方法?」

「うむ。ああ、もう湯が沸いたようだな。ここから先はどうすれば良いのだ?」

「あっ、僕がやりますから見ててください!」

 僕はやかんを火から下ろして、カップうどんのフィルムを剥がす。

「ほら、中に袋が入ってますよね?お湯をかけるとこの粉がつゆになって、この乾燥した麺もつるつるのうどんに戻るんです」

「ほう、実に興味深い。では、私が湯を入れるとしよう」

「あっ、じゃあ僕は割り箸を用意しますね!」

 僕は引き出しから割り箸を取り出して、テーブルの上に並べる。

「こちらの……『ペヤング』というのも、同じような仕組みなのか?」

 御剣さんがお湯を注ぎながら訊いてきた。

「ああ、そうです!でも、ちょっと違うんですよ」

「違う?」

「蓋をめくると、中にかやくが入っているんです」

「かっ、火薬だと?!」

 やかんが御剣さんの手から離れた。

「あ、危ない!」

「しまった!」

 御剣さんは即座にやかんの取手を掴んだ。そして、宙を舞う水滴を全てやかんの注ぎ口でキャッチする。なんて動体視力だ。

「ふう……危ないところだった」

「だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫だ、すまない。まさか火薬が入っているとは思わなくてな……」

「すいません、言い方が悪かったですね。かやくって言っても爆発したりする方じゃないんですよ、具なんです」

「なるほど、それなら安心だ」

「ペヤングも、お湯をかけると麺がほぐれてソースの絡んだ焼きそばになるんですよ」

「すごいな……忍者学校に持っていけば重宝されるだろう」


「よし、そろそろ出来上がりですね!」

 5分が経った。蓋をめくると、出汁のいい香りが立ち上った。

「おお、実に美味そうだ!」

 御剣さんがしげしげと覗き込む。僕からしたらなんでもないものだけど、すごく珍しいもののようだ。

「では早速……」

 御剣さんは箸で麺をつまみ上げ、ふうふうと冷ましてから口に運んだ。

「うむ!これは……これは?」

「どうかしたんですか?」

「……忍者学校の学食で出ていたうどんと似ているような……麺の食感もとても近いな」

「……もしかして忍者学校で提供されてたうどんって」

「あれはカップ麺かなにかだったのか……毎日食べていたんだが……」

 そう言う御剣さんは微妙に落ち込んでいるように見える。まずい、もしかすると申し訳ないことをしたかもしれない。僕はちょっと気まずくなって、ペヤングを作りにキッチンへ立った。

「み、御剣さんはいま卒業試験中なんですよね?」

 お湯を注ぎながら、別の話題を振る。

「ん?ああ、そうだが……どうしたのだ?」

 ふーふー息を吹き、うどんをさましながら御剣さんが答える。よし、このまま話を続けよう。

「ほら、さっき『攻略方法を見つけた』って言ってたじゃないですか」

「ああ、あれか。……ふっ、よくぞ聞いてくれた」

 御剣さんは派手にうどんを啜ってから箸を置くと、自信ありげに微笑んだ。……ネギがほっぺたについている。

「私は『毎日うどんを食べていた』と言っただろう?」

「ええ、そうでしたね」

「毎日ひとつのものに触れていると、それに起きたわずかな変化にも気づきやすくなる……という経験は、浦河殿にもお有りだろう」

「ありますあります」

「私は、うどんに起きた変化に気づくことができた。だから今、こうして悠々と過ごせているのだ」

 御剣さんが満足げな顔をして、ゴキュゴキュとうどんのつゆを飲む。……全然話が見えてこない。

「その、変化ってなんですか?」

「あれは卒業試験開始日の前日の夜だったな。その日も私は学食でうどんを注文した。しかし到着したうどんを口にすると、普段とは少し麺が異なっているように感じられたのだ」

 つゆを飲む手を止めて御剣さんが答えた。

「麺が、ですか」

「うむ。何か不自然な麺が1本混ざっているような気がしたのだ。私はその麺を懐紙に包んで、こっそりと部屋に持ち帰った」

「調べたんですか?」

「観察は忍者の基本だからな。するとどうだ、麺の中からゴマ粒ほどの機械が出てきたのだ」

「ええ?!」

「一体何の機械なのかまるでわからなかった。そこで私はその機械を無くさないよう厳重に保存し、卒業試験が開始されたその日のうちに、かつて試験を突破した数少ない先輩へ相談に行ったのだ」

「正体はわかったんですか?」

「結論から言うと、超小型GPSだったのだ」

「……!?」

「私が話を聞きに行った先輩も、これの存在に気づいた生徒の一人だった。まあ、つまりこういうわけだ。『卒業試験の開始前日に、生徒の食事に超小型GPSを仕込む。GPSは体内に取り込まれると、体内で1年間動き続ける。試験監督はそれを用いて生徒の動向を監視し、適当なタイミングを見計らって生徒を捕まえに行く』。……そういう仕組みだったのだ、あの試験は。あー、喉が渇いた」

 そこまで語ると、御剣さんは残りのつゆを一気に飲み干した。つゆなんか飲んだらもっと喉が乾くんじゃ無いだろうか。僕は麦茶を持ってきてあげた。

「ああ、手を煩わせてしまって申し訳ない!」

「いえ、こちらこそ飲み物を用意するのを忘れてしまってすいません。……それにしても、すごい試験ですね」

「そうだな。一年間の長期戦に見せかけた、一瞬の勝負だったのだから」

 御剣さんは、麦茶の入ったマグカップを置いてしみじみと答えた。

「……ところで、ペヤングは何分ほど待つのだ?」

「あっ、結構話してたし、もういいかな。ちょっと伸びちゃったかも……」

「それはまずいな!次はどうするのだ?」

 御剣さんは慌ててキッチンへ走った。

「蓋に作り方が載ってるので、それを見れば大丈夫ですよ」

「そうか。……なるほど、一度湯を捨てるのだな。そしてこのソースを混ぜる……ふむ、確かに焼きそばのようだ!」

「学食の焼きそばとは似てますか?」

「似ておらぬな!香りも刺激的だ」

「……ん?」

 なにか大事なことを忘れている気がする。小走りの御剣さんがニコニコしながらペヤングを持ってきた。

「いやあ、こちらも実にうまそうだ。いただくとしよう」

「あ」

 ズゾゾゾゾ!と音を立ててペヤングをすする御剣さん。……その顔が笑顔のまま真っ赤に変わり、額から玉のような汗が吹き出す。

「ウワーーーッッ!!痛い辛い!!痛辛い!!く、口がっ!!お水お水!!!!!!!!」

「わーーーっっ!!ごめんなさい!!今持ってきますっ!!」

 朝、激辛のペヤングを食べて目を覚ますのが習慣だったのを、僕はすっかり忘れていた。あまりに慣れきっていて忘れていたのだ。

「やっ、やはり火薬入りではないかっ!!」

「違うんです違うんです〜!!」




 ……日常にちょっとしたスパイスが欲しいと思っていた。思っていたけど、まさかこんなものが加えられるなんて、誰が予想できただろう。もうとにかく激辛の極彩色になってしまった気がする。先が思いやられてしょうがない。

 僕はわけのわからない胸の高鳴りに戸惑いながら、しばらく御剣さんのマグカップに牛乳を注ぎ続けた。

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